まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第32番「観音正寺」~西国三十三所めぐり3巡目・25(近江商人+聖徳太子=SDGs?)

2021年06月23日 | 西国三十三所

西国四十九薬師の西明寺の参詣を終え、次は西国三十三所の観音正寺に向かう。カーナビは途中狭い道も選択するので、滋賀県名物の「飛び出し坊や」の姿も結構見ながら走る。

国道8号線に出て観音正寺の方向に進むが、その手前、五個荘に立ち寄る。近江商人の拠点の一つだったところで、前回観音正寺を訪ねた時、参道入口から案外近かったのを覚えている。今回歴史スポットとして、せっかくなので立ち寄ることにした。慌ただしい5ヶ所めぐりの中でも、五個荘に行くこと自体は計算に入れていた。

やって来たのは近江商人博物館。地域の歴史、近江商人の暮らしや文化について紹介する施設である。

近江は主要街道が通り、街道沿いの定期市や座が早くから発生したことで商業が活発だった。近江商人のルーツはさまざまあるが、中世の頃は若狭方面へ行商に出かける五個商人と、伊勢方面に出かける四本商人に分かれていた。江戸時代に入ると大きく分けて高島、八幡、日野、湖東商人に分かれ、進出地域や取り扱い品目などに違いがあったものの、活動の範囲は全国に広がった。

天秤棒一本から始めて巨大な富を得た者もいるが、当然ながら皆が皆成功したわけではなく、商人間の競争も激しく、厳しいものがあったことだろう。

一方で神仏への信仰が篤く、道徳を重んじる者も多く、その行動哲学がよく現れているとして有名なのが「三方よし」である。「売り手よし、買い手よし、世間よし」、特に「世間よし」の箇所は地域社会の発展や福利の増進ということで、昨今流行りの「SDGs」と結び付けて取り上げられることもある。もっとも、「SDGs」で掲げられている課題・取り組みは、世界規模、地球規模のものが多く、単に「三方よし」だけで解決できるわけではないのだが・・。

それにしても、「SDGs」・・・街中で、スーツの胸のところにこのマークのバッジをつける人をたまに見かけることもあるし、テレビでも番組の間などで「私たちのSDGs」とか言ってアナウンサーや芸能人が「こんな取り組みをしています」というのが流れるのを目にすることがあるが、どこか白々しさを感じる(昨今の状況で、単に私がテレビを素直に見られなくなっているだけなのかもしれないが)。

博物館を後にして、金堂の町並みに向かう。近江商人の屋敷などが保存されているが、さすがに屋敷の見学まではいいかなと、外側の風情だけ楽しむことにする。ちょうどいい具合に雨もやんだ。

ここから観音正寺への上り口は近い。観音正寺に来るのは3巡目。初めての時は、安土駅から歩いて石寺まで来て、表参道の1200段の石段を上がった。2回目は、能登川駅からバスで観音寺口まで来て、裏参道の山道を歩いた。

そして今回の3回目、クルマ用の林道を使うことにした。だんだん楽しているようだが、この日の5ヶ所めぐりには観音正寺、長命寺という「難所」も含まれている。ただ、クルマを使えば参道の時間もかなり短縮できるし、これまでと違ったアクセスを経験できる。

その林道だが、決して楽な山道ではない。カーブも多いし、対向車が来ればどちらかが離合可能なところまでバックする必要がある。途中に料金所があり、林道の維持費として600円を払う。この季節だから何の問題もなく通行できるが、冬は積雪・凍結で何度か通行止めになるという。

実際に上る時間は5分程度のものだが結構長く感じられ、駐車場に着く。この先もクルマが通れるだけの道幅はあるのだが、関係者用ということでチェーンで仕切られている。裏参道の山道を歩いた場合も、駐車場のあたりに出てくる。

ここからは観音にちなんで33の格言の立て札が並ぶ。カウントダウン式で、この言葉の意味を噛みしめながら歩くのもよい。今の心境にぴったり来るものもあれば、もう一つ自分のこととしては感じられないというものもある。

裏参道から来たためか、途中で先に奥の院に出る。岩窟が天然の祠となっており、巨大な岩に神が宿るとする昔からの磐座信仰の場と言われている。観音正寺は聖徳太子により開かれたとされるが、寺の言い伝えでも、太子がこの地を訪ねた時に天人が巨大な岩の上で舞っていたのを見て、岩に仏を刻んだことが由来とされている。

新幹線も見下ろす位置に来る。新幹線からも車窓を中止するとこの寺の境内の幟を見ることができる。ちょうど反対側の線路際にあるロッテの工場が目印。

露天に建つ仁王像のところに出て、境内に入る。

境内には「聖徳太子遠忌1400年」の幟も目立つ。2022年は聖徳太子が亡くなって1400年目ということで、聖徳太子関連の寺院ではさまざまな記念行事が行われるようだ。その記念事業として、江戸時代の観音堂、閼伽井堂の再建も含まれている。ただ、年の数え方の違いなのか、2021年を1400年御遠忌とする寺院もある。まあ、だいたいその辺りというくらいでいいのかな。

聖徳太子といえば十七条憲法、そして、先に触れた「SDGs」は「17の目標」で構成されている。17というのは全くの偶然だが、世の中には「SDGs」には聖徳太子の教えが込められていると説く人がいるとかいないとか。まあ、話のつかみとしては悪くないかな・・。

2004年に再建された本堂に上がる。インド産の白檀の原木で造られた千手観音が本尊である。白檀は本来禁輸されているものだが、インド政府のご厚意により特別に持ち出すことを許され、現代の名仏師である松本明慶氏の手による彫られたもの。丈六で、実際に千の手を持つ千手観音像は珍しいものとされる。本堂の床に座り、ちょうど千手観音像と相対する形でのお勤めである。

本堂の横から改めて周囲の景色を見渡す。新幹線の走行音も響くところだ。

西国三十三所、四国八十八ヶ所をそれぞれ38度巡拝したことを記念した人が奉納した石碑もある。上にはいくらでもいるものである。

境内の横に、観音寺城跡、そして桑實寺への道案内がある。これから向かう西国四十九薬師の桑實寺だが、同じ繖山の反対側にあり、登山道が続いている。初めて観音正寺に徒歩で来た時は、帰りに桑實寺を経由して安土駅まで戻った。今回も山道を通れば距離は近いが、レンタカーを置いているし、同じ山道を通るのも時間がかかる。このため、繖山を回り込む形で桑實寺に向かうことに・・・。

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