まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第46番「桑實寺」~西国四十九薬師めぐり・36(白鳳時代からの古刹)

2021年06月24日 | 西国四十九薬師

西国三十三所の観音正寺から、同じ繖山の西側にある桑實寺へレンタカーを回す。観音正寺から山道を歩いていけば・・という声が聞こえてきそうだが、以前歩いた時、かなり急な下りだったのを覚えている。帰りにまた上ってくること、そして次の札所に移動するためにもクルマは回しておいたほうがよい。

繖山をくぐるトンネルを抜け、北側に出る。安土城跡の前に出るがここは素通り。JRの安土駅近くに出て、桑實寺の方向を目指す。

参道に出るがクルマの乗り入れはできず、安土城関連の資料館である信長の館の方向に向かった道から上がる。少し上ったところに小ぶりな駐車場がある。他にクルマは停まっていなかった。

細道を行くと石段に出て、その上に山門がある。山門をくぐるとインターフォンのような呼び出し音が鳴る。これで寺のほうに合図が行く。観音正寺へと続く山道の途中にある桑實寺だが、ここにお参りせずとも通り抜けるだけでも入山料(拝観料)を申し受ける。確か、観音正寺側から下りた時も途中に同じ仕掛けがあったと思う。

ここから石段だが・・・結構長い。500段ほどあるという。昔からこういう形で積み上げられたのかなと思う。おまけに、石段を上がる途中で再び雨が落ちてきた。

途中、江戸中期に再建された地蔵堂の前を通る。ここで半分くらいだったかな。石段はまだまだ続く。

ようやく「南無薬師如来」の幟が見え、本堂が近づいた。本堂前の納経所で入山料を納め、朱印は、お参り後にバインダー式の紙をいただくことにする。

桑實寺の開創は白鳳時代までさかのぼる。天智天皇の娘・阿閉(あべ)皇女が病に伏せた時、藤原鎌足の長男で僧の定恵に祈らせたところ、琵琶湖から薬師如来が現れ、皇女だけでなく疫病に苦しんでいた多くの人たちを病から救ったという。このことから、定恵が薬師如来を本尊として、この地に寺を開いた。

桑實寺の名前は、定恵が留学先の唐から桑の木を持ち帰り、日本で初めて養蚕を始めたことからついたという。山の名前である繖山の「繖」の字も、もともとは蚕が口から糸を散らして繭をつくることから来ているそうだ。

本堂は室町時代に建立されたものとされる。一時荒廃していたが、織田信長により再興されたという。この日たどったところで、西明寺は延暦寺と同じく信長により焼き討ちにあったり(本堂、三重塔は無事だったが)、観音正寺がある観音寺城も信長に攻められた。その一方で桑實寺は再興されたのだが、これは「安土側」ということもあるのかな。

本堂の中に入る。内陣も開放されていて、自由にお参りすることができる。まずはこちらでお勤めである。本尊の薬師如来が収められた厨子の両脇には「チーム薬師」が控える。

諸仏の中に大日如来も祀られている。室町時代に建てられた三重塔に祀られていたが、三重塔が明治時代に風水害のため大破したため、本堂に移されている。現在、かつての図面が残っているとかで三重塔の再建に向けた寄付が呼びかけられている。

本堂の格子からしばし外を眺めるうちに、雨はやんだ。朱印を受け取り、手を合わせていただいて再び石段を下りる。ひっそりとたたずむ寺だったが、こうしたところに長い歴史が埋もれているものだと感心するところだった。

さてこの次だが、(結局昼食は抜きとなったが)カーナビで到着予定時間を検索すると、長命寺、善水寺の両方を訪ねてもレンタカーの返却には間に合いそうな表示だった。予定通り、残り2ヶ所を回ることにして、安土から近江八幡の琵琶湖畔に向かうことに・・・。

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