まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第10番「真光院」~広島新四国八十八ヶ所めぐり(ご近所に宮島ゆかりの札所)

2021年06月02日 | 広島新四国八十八ヶ所

5月23日、まずは第9番の金剛院を回り終え、自宅にて昼食。その後、夕食の買い出しを兼ねて、歩いて次の第10番に向かう。

第10番の真光院だが、実は自宅からものの400メートルほどのところにある。この辺りは宮島街道沿いにさまざまな商店やマンションが並ぶが、道を一本中に入ると静かな住宅地である。元々の地主だろうか、ゆったりとした敷地の一軒家も比較的多く建ち並ぶ。

その中にちょっと古い家屋があると見えるのだが、目指す真光院。寺というよりは昔からの民家のようにも見える。門も、普通の家屋の門である。道に面して看板、そして年中行事、月例祭の案内が出ているのでどうにか寺とわかる。

玄関には広島新四国の札所番号の表示があるが、扉は閉められたまま。こちらも「無人寺」のようである。

こういう場合、どこに向かって手を合わせるかだが、幸い玄関脇に観音像、そして向かいには地蔵を祀った祠がある。こちらに向けてお勤めとするか。

さて、道路に面した看板には「宮島弥山 三鬼大権現西広島別院」と書かれている。本尊もこの三鬼大権現である。三鬼大権現とは真言宗や山岳信仰に登場するもので、宮島の弥山や、麓の大聖院などに祀られている。追帳鬼神、時眉鬼神、魔羅鬼神の三鬼神で、弘法大師空海が勧請したとされ、神仏習合の時代にはそれぞれ大日如来、虚空蔵菩薩、不動明王を本地仏としていた。

真光院が開かれたのは大正時代。大聖院の僧である田川栄真という人が弥山で修行していた際、三鬼大権現の霊感を体し、広島城付近の聖地に道場を開き衆生を救済せよとのお告げを得た。そこで市内の中広に礼拝所を設けたのが始まりという。その後も弥山での修行が続いたが、戦時中の登山禁止で中断され、原爆の被災で中広から可部に移り、現在地に三鬼大権現田川支部が設立されたのは1952(昭和27)年のこと。今は西広島別院ということで、大聖院が実質管理しているのかな。

広島新四国では第87番が大聖院、結願の第88番が弥山本堂となっている。真光院が札所の一つなのもその関係だろう。その弥山までたどり着くのはいつのことになるだろうか・・。

地蔵の祠には例によって朱印の紙が収められた箱がある。文字は三鬼大権現。これが朱印というのは珍しいのではないだろうか。

ご近所でこういう札所があるのも意外なこと。そして、この次はまた別の意外なところへ・・・。

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