まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第12回中国観音霊場めぐり~錦川の源流へ

2020年06月23日 | 中国観音霊場

岩徳線に揺られて徳山駅に到着。鹿野行きのバスまで少し時間があるので、土産物を物色したり、駅に隣接する周南市立駅前図書館をのぞいたりする。

こちらの図書館は蔦屋書店とスターバックスを併設しており、前回来た時には図書館らしからぬ内装に驚いた。その時はコロナ対策で市の施設全体が休館していたが、今は通常開館に戻っている。訪ねた時は図書館がまだ開館時間前だったが、スターバックスには行列ができているし、ベンチで憩う人たちもいる。何か良さげな本がないか書棚をしばしぶらつく。地元関連の書籍がわかりやすいところにあればよかったなとも思う。

9時40分発の鹿野行きバスに乗る。乗ったのは私ともう一人だけである。私が乗ったのは防長バスのオリジナル色の車両だったが、ロータリー周辺を見渡すと、ところどころには青と黄色のどこかで見た色の車体のバスがある。近鉄バスの塗色に似ているなと思ったが、防長交通が近鉄グループに属していることが関係するのだろうか。

空調を効かせていないため、他に客もおらず換気をしようと窓を全開にする。まずは徳山の駅前からロードサイドの大型店が並ぶ一角を抜け、隣の新南陽駅前に着く。鹿野へはここから進路を北に向ける。県道3号線で、新南陽から津和野まで抜けるルートである。しばらくは郊外の雰囲気だが、山陽自動車道、山陽新幹線の高架をくぐると、少しずつ上り坂となり、田畑も増えてくる。そんな中に「周防国三十三所霊場」という看板も見える。国ごとに開かれた三十三観音霊場や八十八所めぐりの一つである。地元の人の中にはこうした地方霊場を回る人もいるだろうが、そうした人はクルマ利用が前提だろう。まあ、そんな中大阪からわざわざ来て、在来線からさらにローカルバスに1時間揺られて一つの寺を目指すヤツもいるわけだが・・。

車内放送が「次は川上ダム」と告げる。県道はカーブとトンネルで高度を稼ぎ、高い橋からは立派なダムの姿を目にする。川上ダムは富田川(とんだがわ)の中流に建てられたダムで、当初は洪水調整のために1962年に完成した。その後、周南市の中でも新南陽地区(かつての新南陽市)の工業用水を安定的に確保するためとして1979年にダムのかさ上げが行われ、現在にいたっている。川上ダムの奥、車窓の左手には菊川湖というダム湖が広がっていいる。鹿野まで漠然と田園地帯を行くのかなと思っていたが、標高も上がり、山深い景色になった。こういう車窓が見られるとは思わなかった。

バスはその後も山がちな区間を走る。クルマの交通量はそれなりにあるので、乗降客はいないがしばしば途中の停留所で路肩に車体を寄せて、後続車を先に行かせる。それでもダイヤには余裕があるようで、途中で数分停車時間があった。その時に年配の運転手が文庫本を取り出して2~3ページ読んでいたりする。広げていたのがスマホなら即通報ものかもしれないが、文庫本ならローカル線の景色に見えてしまう。多分に主観がはいっているが、のどかといえばのどか。

山深い一帯を抜けた先の集落を見ると、赤い石州瓦の屋根が目立つ。同じ周南市の中でも徳山や新南陽とは異なり、気候としては内陸性に近く、冬は結構冷えるのかなと思う。そこで、近くから調達できて寒さに強い石州瓦が広まったのだろう。

今度は車窓右手に幅の広い川が見える。川にしては流れがおとなしいなと思って地図を見ると、向道湖というこれもダム湖である。この南側(進行方向とは反対側)の下流に向道ダムというのがあるが、この川はあの錦帯橋のかかる錦川の上流である。錦帯橋から、錦川鉄道に沿って上流にさかのぼるところまではイメージしていたが、その源流はさらにさかのぼって鹿野まで至るということは初めて知った。「錦川源流の町 鹿野」という看板も見える。

中国観音霊場めぐりとは関係ないが、ふと思い出してスマホで検索することがあった。

周南市で2013年に発生した連続殺人事件がある。その現場となった集落というのは、ここから山一つ向こうにあるという。「平成の八つ墓村事件」と呼ばれたり、被害者宅の一軒に貼られた「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」と詠まれた川柳の紙が犯人の恨みを表した句として話題にもなった。地域の限界集落に住む昔からの住民と、上京したが親の介護のためにUターンしてきた男性(犯人 のちに最高裁でも死刑判決)とのトラブルが事件の根底の一つとも言われている。「地方暮らし」「田舎への移住」の理想と現実の間ということでクローズアップされ、まあ、それぞれに言い分はあったようだ。「なぜ話し合わなかったのか?」と疑問を投げかける向きもあるが、人間関係にあってはそもそも話し合いなど成立しないことがほとんどではないのかなと思う。きれいごとではなく現実のこととして。

・・徳山駅から1時間、鹿野の中心地に入ったようで集落の家並みが増えたところで、10時43分に防長バスの営業所がある鹿野に到着。目指す漢陽寺はバス停から歩いて10分ほどのところにある。帰りのバスは12時ちょうど発があり、まあ、このくらいの時間なら十分参詣できるだろう。

歩いていくと鹿野総合支所(かつての町役場)があり、そこから「清流通り」というのが続いているとの案内図がある。その入り口に銅像が立つが、「岩崎想左衛門重友」と記されている。この人物はこの先の漢陽寺、そして鹿野の町にも関係があるようで、次の記事で改めて触れたいと思う。

清流通りを歩くと龍雲寺という禅寺があり、その先には水車小屋や憩いの場が広がる。「平成の名水百選」の一つにも選ばれているそうで、そこは錦川源流の町とあるから、水のいいところなのかなと連想する(さすがに水路の水を飲もうとは思わなかったが)。水に映える青もみじの景色もこの時季ならではである。

歩くうちに漢陽寺の山門に着く。これからお参りである・・・。

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