まだやっているのか、いつまでやっているのかというこの机上旅行。1978年の宮脇俊三の『最長片道切符の旅』をめぐる机上旅行である。
この『最長片道切符の旅』をキーワードにすると、私のように机上旅行で済ませるのではなく、過去には実際に、途中の交通機関の形態が変わったとしてもリアルにそのルートをたどったという旅行記をいくつも見かける。移動のペースは人それぞれだが、やはり実際にその跡をたどって旅を完成させたのが素晴らしい。
さてこの机上旅行、前の記事では三原~岩国までと短区間の記載だった。そしてその大半が『最長片道』関係なく、何やら現在の自民党と、それに対する広島県ゆかりの宏池会のことについての内容だったが、それはさておき山口県に入る。
岩国から徳山までは2本の路線がある。山陽本線と岩徳線だが、当初は現在の岩徳線が山陽本線の線路だった。しかし戦時中、岩徳線区間は勾配のある路線のため輸送力増強のネックとなり、遠回りでも比較的平坦な地域を走る当時の「柳井線」が山陽本線となった。この区間は山陽本線の中でもっとも長く海と接する区間で、車窓から穏やかな瀬戸内海、そして大きく見える周防大島の景色も楽しめる。
徳山近辺でコンビナートの景色を見る。『最長片道』、2020年机上旅行ともに、ここの夜景を見ることなく日中に過ぎる。宮脇氏も「いかなる現代彫刻も及ばぬ迫力がある」としている。私も中国観音霊場めぐりで徳山まで進んだが、その時はコンビナートの景色を見なかった。この後再開する札所めぐりの中で、時間を取ってリアルで見ようと思うがどうだろうか。
小郡、現在の新山口から山口線に入る。『最長片道』、2020年机上旅行ともに、列車名は「おき」である。「おき」でも指定券を1車両に固めて発売していたようで、宮脇氏は車掌が来たら文句を言ってやろうとしていた。しかし、素朴な車窓の景色、そしてここで「日本の『国果』は柿、『国菜』は大根なのだろうか」という名言が飛び出す。平凡かもしれないが、ひょっとしたら中国地方の山間というのは日本のそうした平凡な山村の風景の代表とも言える。またこの後に車内改札に来た車掌の対応に宮脇氏もニンマリとして、そうした文句などどうでもよくなったという。
『最長片道』で宮脇氏は津和野で途中下車している。山口線内で1ヶ所くらいは途中下車可能としての計画のようだ。駅から歩き、森鴎外、西周の旧居を訪ねている。ちょうど当時が「ディスカバー・ジャパン」で萩・津和野が小京都のセットとしてブームになりだした頃という。宮脇氏も水がきれいということに感心している。私も久しぶりに訪ねてみたい町である。
津和野から山口線を進み、益田に到着。『最長片道』では駅の裏手にある「ニューフジタ」というビジネスホテルに宿泊しているが、駅から大きく回らなければならないようで、結局タクシーを使っている。そんなに遠いのかとホテル名前で検索すると、現在も健在のようだ。国道9号線に近く、イオンが目の前にある。ただ「駅前」という感覚ではなく、駅からだと線路を跨線橋から地下道で回らなければならないので、この日の早朝に東京を出発して、三原からは在来線を乗り継ぎ、津和野に途中下車した後だと、歩くのはちょっときついかもしれない。
さて次の日はいよいよ九州に入る。『最長片道』当時と比べて2020年の鉄道の状況ががらりと変わっていることを、改めて感じさせる日が続くことに・・・。
※『最長片道』のルート(第29日)
(第29日)宮脇氏自宅から東京6:00-(「ひかり21号」)-岡山-(「こだま◯◯号」)-三原11:07-(山陽本線)-12:26広島12:28-(山陽本線快速)-15:06小郡15:09-(「おき6号」)-津和野18:00-(山口線)-18:39益田
※もし行くならのルート(第28日続き)
三原11:59-(山陽本線)-14:07岩国14:42-(山陽本線)-16:33新山口17:12-(「スーパーおき6号」)-18:48益田