1978年の宮脇俊三『最長片道切符の旅』をめぐる机上旅行、南九州編である。
机上旅行では宮崎9時08分と遅めのスタートである。日南線の始発は5時26分発の志布志行きだが、これでこの後のルートをたどったとして、この日は吉都線・肥薩線の分岐である吉松までしか行けない。その先、人吉に向かう列車は翌朝の便である。これなら、手前の都城に泊まっても同じことで、時刻表を逆算して宮崎がこの出発時刻となった。日南線じたいはその前にも列車があるので、早い時間に乗って青島で途中下車して、日南海岸や鬼の洗濯板を見てもいい。あ、リアルならそうするか。
日南線はプロ野球のキャンプ地として聞く名前の駅も多く、運動公園(宮崎サンマリンスタジアム)はジャイアンツのキャンプ地で、青島はジャイアンツが例年必勝祈願をする青島神社がある。また日南市にある油津、南郷はそれぞれカープの赤、ライオンズのブルーに塗られた駅舎が建つ。また串間はかつてドラゴンズがキャンプを行っていた。日南線も昔に比べれば利用客も減少しているが、キャンプシーズンとなるとキャンプ地めぐりのプロ野球ファンも少しは乗るようである。
『最長片道』では、12月の九州で日暮れも遅いとはいえ、ほぼ暗い中を走っている。線路に近い漁港では、岸壁の電気に照らされた漁船群を見ている。志布志までの3時間は現在も変わらないが、夜となると淡々と走る。宮崎を出た時は4両編成が満席だったのが、志布志に着いた時は宮脇氏を含めて4人だけになっていた。
そして志布志で1泊。駅前の酒屋で旅館を教えてもらって向かうが、ちょうど忘年会の真っ最中。玄関で案内を乞うても旅館の人はなかなか出てこず、千鳥足の客が「玄関に客がおるじゃないか」と伝えてようやく投宿。地方の駅前旅館は地元の人たちの宴会による売り上げが多い例として、この後の宮脇氏の文章にも出てくるが、今でもこの旅館はあるだろうか。
志布志は、大阪からのフェリーが発着するため、ある意味鹿児島の玄関口の一つと言える。私も学生時代に志布志に上陸して、南九州を回ったことがある。しかし鉄道のほうは、『最長片道』当時は日南線で着くと大隅線、志布志線と分岐していたのが、民営化直前で廃止。路線図だけ見ると最果ての終着駅にも見える。
そして『最長片道』の翌朝。6時24分発に乗る予定にして、前夜のうちに宿のおかみさんに話してチェックアウトの手続きをしていたのだが、目覚めたのが6時23分という大失態をやらかす。まあ、列車が出る1分前に目覚めたというのは、話を盛っているのかもしれないが(「取材ノート」では、夜中の2時40分に一度目を覚まして「おれはどこにいるのか?」と考え、志布志にいるのだと改めて気づき、その後わけのわからん状況になったようだが)。
寝過ごしは仕方ないとしても、ここに及んで致命的なのは、実はこのきっぷの有効期限がこの日で最終日を迎えていて、後でも触れるが「継続乗車」の特例を使って枕崎まで行くことが厳しくなったことである。ひょっとしたら志布志から予定通りに進んでいれば、この日の最後に行き着いた駅でまだ何とかなったかもしれないが、もうダメである。
旅の途中、どうしても仕事等の都合で中断を余儀なくされた区間もあったが、風邪で1週間ロスしたり、果ては寝過ごしである。何度読んでも、詰めの甘い旅行記だなという感想を持つことになる。宮脇俊三という人を鉄道旅行や時刻表の神様のように崇める方もいらっしゃるようだが、所詮はこの程度のおっさん。おっさんで悪ければ一人の人間である。
この先の行程が半日遅れになるところだが、志布志でじっとしても仕方ないと、1時間後の大隅線の列車で、とりあえず鹿屋に向かっている。私は学生時代の旅で志布志に着いた後は逆に日南線に乗ったので、大隅線や志布志線のルートは未踏である。机上旅行では、日南線から鹿児島交通のバスで、かつての線路に近いルートで錦江湾に面した垂水を目指す。志布志から鹿屋を経て垂水へは概ね1時間に1本の頻度で出ており、事前に時刻表を確認しておけば普通に移動できる。
『最長片道』で鹿屋に着いた宮脇氏は、3時間半の待ち時間を使って大隅半島を南下した根占に寄り道している。根占の先は九州本土最南端の佐多岬である。ここは私も昔に訪ねたことがある。鹿児島の鴨池からフェリーで桜島を眺めながら垂水に渡り、バスに乗った。確か岬への道は有料道路ではなかったかと思う。根占という地名も、バスの乗り継ぎだったと思うが、記憶に残る。
私の机上旅行のほうは、曖昧な記憶で垂水に着く。鴨池に渡るフェリーは健在で、バスのルートもフェリー乗り場を経由する。また、かつての垂水駅跡も残っているようだ。垂水では少し時間があるので、そうしたところを回るのもよいかな。
それよりも、錦江湾を渡るフェリーとか、佐多岬とか・・・某人気番組の「カブの旅」のキーワードが登場するところ。旅の終盤をイメージさせるエリアだ。この机上旅行ではそこを路線バスで逆走する。さらに、桜島を目にしてゴールが近づくのを感じるところ、そこも逆走してさらに熊本県まで戻るのだが・・・。
国分から日豊本線で都城に向かう。『最長片道』では1時間の待ち時間を利用してバスで日当山温泉というところに行っているが、特に温泉に入るわけでもなく、単に時間をつぶしただけのようだ。「取材ノート」によると、次の急行「錦江6号」を待つ間、国分の駅前でソバとビール大瓶の食事。小瓶がないからという理由で大瓶に行っている。まあ、わからなくもない。
乗り継いだ「錦江6号」の車中にて、鉄道マニアかと思われるお婆さんにも遭遇しているが、本文では触れずにサラッと進む。机上旅行も鹿児島県から宮崎県に入り、都城に到着。『最長片道』ではとりあえず行けるところまでは行かなければならないので吉都線に乗り継ぐが、机上旅行はこのまま行っても行き詰まるので、この日はここでおしまい。
机上旅行でたどっているのは現在のJR最長片道切符の旅でもなく、各地でバスや第三セクターやタクシーに乗り、果てはレンタカーまで使っている。そもそも1枚のきっぷですらないのだから、有効期限など気にする必要はない(それを言っちゃあ、おしまいだろうが?)。ともかく気楽に残りのコースを進もう・・・。
※『最長片道』のルート(第32日続き、第33日)
(第32日続き)宮崎17:36-(日南線)-20:36志布志
(第33日)志布志7:23(寝坊のため。。)-(大隅線)-8:29鹿屋12:01-(大隅線)-14:43国分15:55-(「錦江6号」)-16:50都城・・・(以下続き)
※もし行くならのルート(第33日)
宮崎9:08-(日南線)-10:30油津10:46-(日南線)-11:57志布志12:44-(鹿児島交通バス)-14:42垂水港16:00-(鹿児島交通バス)-17:11国分17:19-(日豊本線)-18:17都城