まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

『最長片道切符の旅』をめぐる机上旅行~第34日(都城~薩摩大口)・その2

2020年06月18日 | 机上旅行

1978年の宮脇俊三『最長片道切符の旅』は、68日という期限がゴールの枕崎を前にした八代で切れてしまった。有効期間は68日だが、旅の日数としては第33日、半分にも満たない期間である。最後は「継続乗車」という荒技を使って期間内にたどり着こうとしたが、宿での寝坊ということもあり失敗。もっとも、その前に仕事や所用が入ったり、また東京近郊では自宅の近所なのでついダラダラしてしまったり、秋から冬への変わり目ということもあって風邪で寝込んだり・・・机上旅行ではなく生身の人間だからさまざまなことが起こっている。

「最長片道きっぷ」で全国をめぐる旅は、時代によって国鉄~JRの路線網も変わるが(新たな区間ができたと思えば、赤字ローカル線はどんどん廃止されたり)、2020年までにそれなりの人数が実際に走破している。最近ではその旅の様子をYouTubeに掲載したり、SNSでリアルタイムに報告したりして、自分だけではなくそれを観る人たちも一緒に旅した気分にさせる発信の仕方もある。宮脇氏や、その後に国鉄バスも含めた「国鉄最長片道きっぷ」の旅を行ったレイルウェイ・ライターの種村直樹氏(故人)が2020年にそうした様子を見たら、「ぞっとしない」感想を持ったかもしれない・・・。

それはさておき、『最長片道』としてはある意味延長戦に入った第34日目。八代から枕崎までのルートの乗車券をどのようにしたかは本文、「取材ノート」ではわかりにくい。前夜、八代の駅員に「継続乗車」を断られた後で、酒に酔った勢いでその後のルートを通る乗車券を翌朝までに作るよう注文したか、あるいは真逆で、列車に乗るごとに短距離のきっぷを都度チマチマと買ったのか。

『最長片道』では八代を朝6時すぎの客車列車で出発している。駅には前夜応対した「額ハゲ」氏がいたかどうか。

八代から鹿児島本線を南下するが、九州新幹線の開業と引き換えに、八代~川内は第三セクターの肥薩おれんじ鉄道に転換されている。新幹線の新八代は八代の北にあり、現在の八代は鹿児島本線~肥薩線乗り継ぎで何とかJR在来線のルートを守ろうとした結果である。宮脇氏よりも昔の『阿房列車』シリーズで内田百閒が八代を何度も訪ねたことは本文中にも多く書かれていて、八代の定宿がかつての肥後藩の家老屋敷を受け継いだ松浜軒だったことも知られている。私も松浜軒を訪ねたことがあるが、宿のほうではかつての家老屋敷が旅館をしていたことが「黒歴史」と思われるのか、そうした紹介はほとんどなかったように思う。

松浜軒は駅から離れているので今回はパスして、肥薩おれんじ鉄道の出水行きに乗る。九州新幹線の開業を機にJRから切り離された八代~川内間を引き継いだ第三セクターである。第三セクター線が「県単位」で経営されるところが多い中、この路線は熊本、鹿児島両県にまたがっている。電化区間であるが、運行コストを下げるために気動車が使用されている。

JR時代よりは列車の本数を増やしたり、「おれんじ食堂」など観光列車も走らせているが、経営状況はやはり厳しいものがあるようだ。沿線は不知火海に近いところも走り、のんびりしたところである。リアルでも長く訪ねていないところで、久しぶりに乗ってみたい。

ツルの飛来地として知られる出水で列車を乗り継ぐ。『最長片道』では寝台特急「明星3号」に乗り換えている。「寝台」特急だが、朝になると一部の車両を席数限定の「座席」として開放する。逆に夜を迎える前にも同じ扱いをする。朝夕の特急として利用してもらおうというもので、業界用語では「ヒルネ」と言われていた。現在は寝台特急そのものが「サンライズ」しかなく、こうした運用も昔の話になってしまった。

川内からは宮之城線。薩摩北部の内陸地域と鹿児島本線をつなぐ路線として開業したが、その後はご多分に漏れず赤字ローカル線としての日常があり、民営化直前の1987年に廃止されている。宮脇氏の中では、『時刻表2万キロ』では、その時に乗り残していた線区として宮之城線がもっとも長かったことから、「未乗線区の横綱」としていたが、途中で睡魔に勝てず居眠りして、その対策で運転席の後ろに立って前面を眺めたとある。『最長片道』でも居眠りをしている。鹿児島にしては水田が多く、本州のローカル線とそれほど車窓の変化がなかったからとしているが。

机上旅行では、宮之城線が廃止になった後のバス路線をたどる。線名にもなっていた宮之城までは鹿児島交通のバスで行く。川内から1時間の乗車。リアルでも乗ったことがない路線、足を踏み入れたことがないエリアなので、ここは『時刻表2万キロ』や『最長片道』の記述を追うしかない。

宮之城に到着。この先は南国交通バスが担当する。時刻表でも別欄に記載されているのだが、机上旅行では現地で2分の待ち合わせで乗り換え可能とした。ただ、実際の現地ではどうなのだろうか。特に違うバス会社同士で乗り継ぐ場合、バス停の名前が異なっていても実際は同じところから発着するので特に問題ないこともあれば、その真逆もある。この場合は、宮之城を中心として各方面を結ぶバスが発着していると理解する。

・・・ということで、宮之城から約1時間で薩摩大口に着く。『最長片道』では、薩摩大口から山野線に乗って栗野まで移動している。この山野線、水俣から栗野までの路線で、その両線が合流する薩摩大口もそれなりの駅だったと想像するが、山野線も民営化を前に廃止されている。

机上旅行にて、川内~宮之城~薩摩大口とバスを乗り継いだが、薩摩大口に夕方に着いた時点でこの日は終了である。肥薩線の栗野まで行くバスはもうこの日の運行を終了している。

薩摩大口。ネット検索にて、一応駅近く(バス停近く)にビジネスホテルがあるのがわかったので、ともかく寝床を確保する。一方の『最長片道』では、山野線の乗り継ぎまでの1時間を利用して、タクシーで「祁答院(けどういん)」住宅に向かっている。薩摩大口の歴史は鎌倉時代の土豪までさかのぼるといい、その武家屋敷の様子を見ようということだ。

その祁答院住宅、訪ねる前は立派な武家屋敷を想像していたが、実際は薩摩藩の郷士(百姓武士)の一つだったようだ。それでも屋敷がそのまま残り、観光スポットの一つとして紹介されていたので宮脇氏も行く気になった。もっとも、この時は祁答院の屋敷をおかみさんの案内で一通り回ったようだが、現在ではそうして回るのは限りなくゼロに近いだろう。

まあ、こうした薩摩北部の町で一泊というのも悪くないだろう。そして翌日は旅の期間としては第34日。最終日である・・・。

 

※『最長片道』のルート(第34日)

(第34日)八代6:12-(鹿児島本線)-7:42出水8:04-(「明星3号」)-8:55川内9:05-(宮之城線)-11:01薩摩大口・・・(以下続き)

 

※もし行くならのルート(第34日続き)

八代12:09-(肥薩おれんじ鉄道)-13:42出水13:46-(肥薩おれんじ鉄道)-14:49川内16:13-(鹿児島交通バス)-17:13宮之城17:15-(南国交通バス)-18:21大口

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