まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

『最長片道切符の旅』をめぐる机上旅行~第28日(松山(堀江)~益田)・その1

2020年06月03日 | 机上旅行

1978年の『最長片道切符の旅』から40年以上後にそのルートをたどる机上旅行。今回は四国を後にして中国地方に戻る。

かつての仁堀連絡船。戦後の1946年に、宇高連絡船の輸送力増強のために設けられた航路である。四国の西側で広島県と愛媛県を結ぶものだが、仁方(呉線)、堀江(予讃本線)ともに駅から連絡船乗り場まで離れており、鉄道で利用する客も少なかったという。また、堀江から呉の阿賀港まで結ぶ民間の呉・松山フェリーにも利用客を取られている。『最長片道』当時では1日3往復の運航だったが、1982年の廃止時には1日2往復となり、ほとんど話題になることもなく廃止となった。

『最長片道』の宮脇氏の描写から、当時の様子が伝わってくる。出航まで1時間以上あるので店をのぞいたり、呉・松山フェリーの船員が買い物かごを提げて劇画雑誌や妖しげな週刊誌を手当たり次第詰め込むのを見たりする。現在の堀江港だが、ライバルだった呉・松山フェリーも「しまなみ海道」の開通の影響で2009年に廃止され、こうした旅客船の姿を見ることはない。「うみてらす」という海の駅があるくらいだ。

船の形は瀬戸内海によくある「枠だけ載せたよう」なものだったが、船内には椅子席、桟敷席、甲板席と一通り揃っていて、売店もある。仁方まで1時間40分で結んでいたから、クルマやトラックの運転手にはちょっとした休憩時間になったことだろう。

宮脇氏も海や島の景色を眺めるが、鉄道とはテンポが違うようで退屈した様子だ。これはわかるような気がする。別に海や島の景色に限らず、同じような景色が続くと人間の心理として飽きが出るのではないかと思う。甲板の席で風邪をひきそうになったか、売店で日本酒とキャラメルを買ってしのいでいる。

・・・さて、2020年の机上旅行ではどうするか。前日に堀江港の様子を見に行った後で松山に宿泊したが、この日は松山観光港6時25分発の広島宇品行きのフェリーに乗る。この時刻に間に合うよう、松山駅からタクシーでも乗ったことにする。松山からは石崎汽船のスーパージェットで向かうのが最速だが、早朝便は呉に寄港せず、瀬戸内海汽船のクルーズフェリーのほうが早く着く。仁堀航路の西側を通るが、瀬戸内の島々の景色を眺めながらというのもいい。2019年には新造船「シーパセオ」が就航しており、ひょっとしたらこの便に当たるかもしれない。

音戸の瀬戸も通過して呉に到着。仁方駅などに立ち寄らず、呉駅に向かう途中で「大和ミュージアム」を見学してもいいが、そこはルール優先で先に進む。呉線に限らず広島近辺の電化路線に投入された227系の「レッドウィング」で広に行き、さらに乗り継いで1駅先の仁方まで行く。ここでいったん下車して、かつての仁方港まで向かう。もっとも、現在はこちらも他の航路はなく、対岸の下蒲刈島との間も「とびしま海道」として安芸灘大橋で結ばれている。かつて呉線が広島に向かう幹線だった名残が仁方駅のホームの長さに残っているというが、現在のところはどうなのだろうか。

1本後の列車で呉線を東に進み、途中の車窓で瀬戸内海を見る。須波から三原にかけての区間ものんびりと走るところだ。

三原に到着。『最長片道』ではここで中断して宮脇氏は東京の自宅に戻っている。この時は12月8日。「取材ノート」によると、12月9日~14日は仕事の都合もあったのだろうが、12日になって風邪をひきかけるとある。この方は12月、1月の時季はよく風邪をひいていたようで、かつての『時刻表2万キロ』の旅でも、年末の乗りつぶし旅行

の無理がたたって正月を布団の中で過ごしたという記載もある。また「取材ノート」によると、レイルウェイ・ライターの種村直樹氏にも相談して「出発を1日延期して」12月15日に東京から三原まで移動している。

種村氏にどのような相談をしたのかはわからないが、後々の結果として、『最長片道』は枕崎に着く前日に切符の有効期限が切れてしまう。体調を考えれば無理をしないほうがよかったのだろうが、ひょっとしたら種村氏に相談したのも、このままの行程で行くと枕崎に着く前にタイムアップになってしまいそうだが「最長片道切符」は現地レベルではどのような扱いになるのか?という内容だったのかもしれない。種村氏はそれに対してご自身の解釈で「15日に出発しても大丈夫、枕崎まで継続乗車できる」と宮脇氏に回答したのかもしれない。「取材ノート」にそこまで書かれていないが、同じ鉄道旅行のプロ同士でそうしたやり取りがあったのかな。

結果的に『最長片道』では有効期限最終日の夜、宮脇氏は八代駅で駅員と押し問答となるが、最後はあきらめて八代で期限切れとなった。しかし、その背景に国鉄規則に対する種村氏の解釈の相違があり、宮脇氏はそれに乗る形で「出発を1日延期」してしまった・・・のかどうか。あるいは、当初の宮脇氏の行程、そして種村氏の規則解釈では問題なくセーフだったのが、結局は宮脇氏が鹿児島県の志布志の旅館で朝寝過ごしたからご破算になっただけなのか・・・。

まあこの辺りは「その筋」の方々がとっくにお見通しだろうし、別に私がここに書いたからといって別に偉くとも何ともない。

このブログもこれまでのペースなら益田まで先行するところだが、三原まで来たところで一息入れることにする。机上旅行には切符のような有効期限はありません。この後も休み休み書くだけのこと・・・。

 

※『最長片道』のルート(第28日続き)

(第28日続き)松山9:50-(予算本線)-堀江11:43-(仁堀航路)-13:23仁方14:07-(呉線)-15:27三原・・・この後帰宅

 

※もし行くならのルート(第28日)

松山-(タクシー)-松山観光港6:25-(瀬戸内海汽船)-8:20呉8:34-(呉線)-8:48広8:53-(呉線)-8:57仁方10:23-(呉線)-11:45三原・・・(以下続き)

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