まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第30番「如意輪寺」~近畿三十六不動めぐり・21(蔵王堂、吉水神社)

2018年09月16日 | 近畿三十六不動
今回の近畿三十六不動めぐりの目的地は如意輪寺だが、吉野に来たからには金峯山寺の蔵王堂は外せないだろう。

まずは国宝の仁王門。今年の秋から10年がかりで大修理が行われるということで、門の外側は足場で囲まれている。

境内に入る。この時季は訪ねる人もそう多くなく、静かな佇まいである。蔵王堂の中に上がることにする。

金峯山寺は7世紀後半の白鳳年間に役行者により開かれ、蔵王堂には本尊の蔵王権現が祀られている。毎年一定の時期に開帳されるのだがこの日は幕が下ろされている。それでもけっかく来たのだからと畳敷きの外陣に上がり、お勤めである。

蔵王権現は不動明王と同じように火炎を背負い、怒りの表情を見せる仏である。役行者が大峯山を開いた時、社会と衆生を守護する本尊を祈請したところ、まず釈迦如来、次いで千手観音、そして弥勒菩薩が現れたという。しかし「混迷しきった世間や人心を救うには優しすぎる」として、さらに祈ったところに蔵王権現が現れたのだという。また一方、蔵王権現は釈迦如来(過去)、千手観音(現在)、弥勒菩薩(未来)が姿を変えて現れたともされている(蔵王堂の蔵王権現像は3体がセットになっている)。こうして蔵王権現を得た役行者は吉野に下り、桜の木で蔵王権現像を彫った。そのことから桜がご神木としてありがたられ、吉野が桜の名所になったことにつながる。

また蔵王権現開帳の時期に来たいなと思いつつ、奥に進む。何か昼食をと思う。柿の葉寿司、うどん、葛料理などあるが、今一つ入ろうという気にならない。そんな中で目についたのは新しい感じの豆腐の店。「豆富茶屋 林」。大豆、水、塩それぞれにこだわりを持つとあり、こういうところではやはり水がいいのだなと思う。

珍しいもので「豆腐ラーメン膳」を注文する。また素材の味を楽しもうとざる豆腐もいただく。ざる豆腐は豆の味が濃厚な感じがする。醤油をかけていただいたが、塩をかけても十分美味くいただけそうだ。豆腐ラーメンは、具材に湯葉とあげ、そして和風のだしということで「豆腐はどこに?」という感じだったが、実は麺にも豆腐が使われいるのだという。膳のセットはいなり寿司で、まさに大豆づくし、豆腐づくしである。他にも湯豆腐やら麻婆豆腐、厚揚げなどメニューは豊富で、いろいろ味わいたくなる。

食後に参拝するのは吉水神社。元々は役行者が開いた吉水院という寺で、南北朝の時には後醍醐天皇が南朝の皇居としても滞在したところである。明治の神仏分離の時には修験道などは徹底的に排除されるのだが、その際に後醍醐天皇を祭神とする神社に改めることで生き残った。祭殿には後醍醐天皇、そして脇には楠木正成が祀られている。

横の書院(有料エリア)には吉野の歴史が満載で、まずは源義経が兄頼朝の追手を逃れて弁慶や静御前と隠れ住み、静御前との別れの場ともなった「潜居の間」がある。

続いては後醍醐天皇の玉座。京都を離れた後醍醐天皇はこの吉水院を南朝の皇居とし、何とか都の奪還を願ったが叶わずに亡くなった。

また吉水院では、豊臣秀吉が大規模な花見を催した場でもあった。その時に用いた金屏風も残されている。一目千本の眺めも楽しめるし、目を転じれば蔵王堂も見える。

源義経と後醍醐天皇は都から逃れる形で吉野に隠れ住み、遥か昔には大海人皇子(後の天武天皇)が天智天皇の後継争いを巡って一時隠棲したこともある。吉野にはどこか中央と対峙するような、「逃れる」とか「隠れ棲む」のに適した何かがあるのだろう。

さてここから如意輪寺に向かうが、旅館街からその建物らしきものを見ることができるが、一度谷を下ってまた上がる必要がある。1キロあまりの道のり、雨は降っていないが蒸す感じがして汗が出る。「後醍醐天皇が歩かれた道」という立札もある中で参道を歩いて行く・・・。
コメント