2018年の夏は猛暑、豪雨で厳しいものだったが、その総仕上げとも言えるのが9月4日に日本に上陸した台風21号。この日は交通機関の計画運休も発表されていたから自宅待機となり、終日テレビでその様子を見ていたのだが、関西で大きな被害を受けたのは皆さんもご存知の通り。幸い、私の住むところでは報道されるほどの大きなダメージはなかったが、勤務先は6日夜まで停電が続いた。いったん出社したが仕事にならないのでパソコンだけ持ち出して自宅で仕事をした。社員の中には7日になっても自宅が停電し、その影響で水道も使えない人もいた。
そこに来て6日未明には北海道での大地震である。「平成最後の夏」は異常気象、また災害が多かった年として記憶されるのだろう。というか、「平成」という元号の名前とは裏腹に阪神淡路、東日本の二つの大震災に代表される天変地異、猛暑、豪雨、豪雪、そしてテロ事件などに見舞われた時代として記憶されることになるのだろう。
改めて台風21号、そして北海道地震で被災された方のお見舞いを申し上げます。
さて、そんな最中ではあるが第20回の四国八十八所めぐりである。くどいようだが、20巡目ではなく、区切り、ぶつ切りの20切れ目である。今回は瀬戸大橋を渡った宇多津にある第78番の郷照寺が目的地で、1回残っている青春18きっぷを活用した日帰りである。四国めぐりに日帰りで行くのは第5回(第20番鶴林寺、第21番太龍寺)以来のことで、それだけまた関西に近いエリアに近づいてきたことを感じる。
鉄道で行くなら郷照寺だけでなく、同じ予讃線の沿線にある79番天皇寺(八十場駅下車)、80番国分寺(国分駅下車)も一気に回れるが、思惑があってこれらは10月に回ることにする(その理由はまたその時に)。この先も1~2ヶ所ずつであれば日帰りで訪ねることができそうだが、どうせなら高松あたりでも1泊したいし、他の要素と絡めて少しずつ訪ねてみたい思いもある。残りが11ヶ所となってそろそろ最後を意識し始めるところだ。
79番や80番に行かない代わりに、少し道順を戻すが別のところにお参りする。それは多度津にある海岸寺。弘法大師の母親である玉依御前の出身地で、さらに弘法大師はここの奥の院で生まれたとされている。弘法大師の出身地は善通寺ではないのかという向きもあるが、「出身地」という言葉には母親のお腹から出た場所と、その後幼少期に育った場所という二つのニュアンスがあることを踏まえればいずれもゆかりの地ということになるだろう。母親が里帰り出産することだってあるわけだから。現在は四国番外二十霊場の第18番であり、私も番外霊場は必須で回っているわけではないが、そうしたいわれがあるのなら行っておこうと思う。アクセスも予讃線の海岸寺駅からすぐのところにある。
ただ、海岸寺と郷照寺なら、8月の七ヶ所まいりの時に行こうと思えば行けたところで、それだけの日程的余裕もあった。それが3日間猛暑の中にさらされてノックアウトされてしまったものだからそこまでの気力がなかった。1ヶ月近く経ち多少はマシになってきたところである。ということで、青春18きっぷの使用期間ぎりぎりの9月8日に出かける。
あいくにこの日の天気予報は雨。しかも明け方には関西で大雨となり、大阪、兵庫、京都の一部にも記録的短時間大雨警報が出た。一瞬、行くのを止めようかとも思ったが時間の経過で回復しそうとの見込みもあり、とにかく出発する。途中で本当にヤバそうになったら打ち切るだけのことだ。
ということで、新大阪6時25分発のさくら541号に乗る。あれ?青春18きっぷの旅なのに何で新幹線やねん?と思われるだろうが、これは私のチョンボによるもの。もともと大阪6時25分発の姫路行き快速(早朝大阪から西に行く時の定番列車)に乗るつもりで家を出たが、この列車は大阪始発ではなく野洲から来る列車である。今回ふと、青春18のシーズンで確実に座ろうと1つ前の新大阪から乗ることにした。そのために地下鉄で新大阪まで行き、朝食の買い物でもしてからその快速に乗ろうと動いたのだが、新大阪の発車時刻を勘違いしていた。時刻表で確認しておけば何ということもなかったのだが、在来線のホームに行くとちょうどその快速列車のドアが閉まり、出発するところだった。そこで勘違いに気づいたわけである。
これを乗り過ごすとその後の列車の接続の関係で1時間遅れとなる。後から思えば、この日の行程には余裕があるのだし1時間遅れたところで大勢には影響ないわけだが、場所が新大阪駅だったこともあるのだろう、ふと新幹線で先回りしようという気になった。とは言え岡山まで行かず、姫路まで行くことにする。乗車券プラス新幹線特急券で変な出費となり、せっかく青春18きっぷで乗って来たぶんの普通運賃との差額分の「貯金」を取り崩すことになった。
さくらの車内で時刻表を広げてその先の時間を確認する。姫路まで行けば7時05分発の三原行きに乗り継ぐことができ、当初の予定では姫路発が8時01分だったから逆に1時間の余裕ができる。それをもって良しとするか。
姫路~岡山間は列車の本数も少なく、時間帯によっては特に青春18の時期はラッシュ並みの混雑となる。ちょうど2年前のこの時期、青春18きっぷを持って瀬戸大橋を渡り、阿波池田を経由して徳島線の鴨島まで行ったのだが、その時も1時間以上立ちっぱなしだった。7時すぎだとさすがに京阪神方面からの乗り継ぎ客もいないためか席は余裕で座れた。制服姿の高校生も目立つが、竜野とか相生辺りで下車するのだろう。
雨の中、山陽線を西に進む。貨物列車ともすれ違う。西日本豪雨の影響で広島県内の山陽線の寸断はいまだに続いており、貨物列車もトラック、貨物船での代行輸送や、伯備線~山陰線~山口線経由の迂回運転が続く。そこに来て台風21号の影響で関西空港も大きなダメージを受けた。好調と言われる関西経済の「潮目」が悪い方に変わるかもしれない出来事である。
そういうことを考えるうちに竜野や相生を過ぎるが、周りの高校生はまだ結構残っている。上郡を過ぎると岡山県に入るがそのまま乗っており、岡山まで越境通学する生徒がいるのかなと思う。彼らが下車したのは岡山県に入り4つ目の駅の熊山。近くに高校でもあるのかなとスマホで調べると、地図に出てきたのは岡山白陵という私立の中高一貫校である。1976年に開校した学校で、当初は厳しい校則やスパルタ教育を掲げていたそうである。最近は時代の流れでそこまででもないようだが、それでも進路実績を観ると東大、京大、国公立の医大、早稲田、慶応といったところに多くの現役合格者を出している。姫路あたりの子どもたちの中にも、大学への進路を考えて神戸方面ではなくてあえて岡山の山の中の高校を選ぶ生徒がいるということだろう(さらにネット記事をたどって行くと、楽天の三木谷浩史社長も岡山白陵中学校に入ったが、スパルタ教育のためにノイローゼになり途中で退学、地元の中学に転校したとあった。三木谷社長はその経験をバネにしたと述懐しているそうだが)。
列車は岡山に到着。8時40分発のマリンライナー13号に乗り継ぐ。駅の案内放送では、大雨のため土讃線の阿波池田~土佐山田間の運転見合わせを伝えている。特急も阿波池田までの運転、その先の代行輸送も行わないとある。四国山地のもっと奥深いところでもともと雨の多いところである。私もあえてそんな時に出て来なくてもと思ったが、瀬戸大橋線は通常運転とのことでそのまま乗り込む。外は列車の窓越しでもはっきり見えるくらいの雨である。
瀬戸大橋を渡る。四国めぐりの中であと何回この橋を渡るのかなと思う。
坂出に到着して、9時32分発の琴平行きに乗り継ぐ。先に海岸寺に行くことにして、郷照寺の最寄り駅である宇多津はいったん素通りする。前回ベースキャンプ地とした丸亀も過ぎ、前回訪ねたエリアに再び入る。
多度津では、高松から先に到着していた伊予西条行きが待っていてこれに乗り継ぐ。多度津から先はワンマン運転とあるが、2両編成の後ろの車両を回送扱いとして完全に締め切るという独特の運用である。ひとまずこれに乗って次が海岸寺である。雨の中、島式ホームに降り立ったのは私一人だった・・・。
そこに来て6日未明には北海道での大地震である。「平成最後の夏」は異常気象、また災害が多かった年として記憶されるのだろう。というか、「平成」という元号の名前とは裏腹に阪神淡路、東日本の二つの大震災に代表される天変地異、猛暑、豪雨、豪雪、そしてテロ事件などに見舞われた時代として記憶されることになるのだろう。
改めて台風21号、そして北海道地震で被災された方のお見舞いを申し上げます。
さて、そんな最中ではあるが第20回の四国八十八所めぐりである。くどいようだが、20巡目ではなく、区切り、ぶつ切りの20切れ目である。今回は瀬戸大橋を渡った宇多津にある第78番の郷照寺が目的地で、1回残っている青春18きっぷを活用した日帰りである。四国めぐりに日帰りで行くのは第5回(第20番鶴林寺、第21番太龍寺)以来のことで、それだけまた関西に近いエリアに近づいてきたことを感じる。
鉄道で行くなら郷照寺だけでなく、同じ予讃線の沿線にある79番天皇寺(八十場駅下車)、80番国分寺(国分駅下車)も一気に回れるが、思惑があってこれらは10月に回ることにする(その理由はまたその時に)。この先も1~2ヶ所ずつであれば日帰りで訪ねることができそうだが、どうせなら高松あたりでも1泊したいし、他の要素と絡めて少しずつ訪ねてみたい思いもある。残りが11ヶ所となってそろそろ最後を意識し始めるところだ。
79番や80番に行かない代わりに、少し道順を戻すが別のところにお参りする。それは多度津にある海岸寺。弘法大師の母親である玉依御前の出身地で、さらに弘法大師はここの奥の院で生まれたとされている。弘法大師の出身地は善通寺ではないのかという向きもあるが、「出身地」という言葉には母親のお腹から出た場所と、その後幼少期に育った場所という二つのニュアンスがあることを踏まえればいずれもゆかりの地ということになるだろう。母親が里帰り出産することだってあるわけだから。現在は四国番外二十霊場の第18番であり、私も番外霊場は必須で回っているわけではないが、そうしたいわれがあるのなら行っておこうと思う。アクセスも予讃線の海岸寺駅からすぐのところにある。
ただ、海岸寺と郷照寺なら、8月の七ヶ所まいりの時に行こうと思えば行けたところで、それだけの日程的余裕もあった。それが3日間猛暑の中にさらされてノックアウトされてしまったものだからそこまでの気力がなかった。1ヶ月近く経ち多少はマシになってきたところである。ということで、青春18きっぷの使用期間ぎりぎりの9月8日に出かける。
あいくにこの日の天気予報は雨。しかも明け方には関西で大雨となり、大阪、兵庫、京都の一部にも記録的短時間大雨警報が出た。一瞬、行くのを止めようかとも思ったが時間の経過で回復しそうとの見込みもあり、とにかく出発する。途中で本当にヤバそうになったら打ち切るだけのことだ。
ということで、新大阪6時25分発のさくら541号に乗る。あれ?青春18きっぷの旅なのに何で新幹線やねん?と思われるだろうが、これは私のチョンボによるもの。もともと大阪6時25分発の姫路行き快速(早朝大阪から西に行く時の定番列車)に乗るつもりで家を出たが、この列車は大阪始発ではなく野洲から来る列車である。今回ふと、青春18のシーズンで確実に座ろうと1つ前の新大阪から乗ることにした。そのために地下鉄で新大阪まで行き、朝食の買い物でもしてからその快速に乗ろうと動いたのだが、新大阪の発車時刻を勘違いしていた。時刻表で確認しておけば何ということもなかったのだが、在来線のホームに行くとちょうどその快速列車のドアが閉まり、出発するところだった。そこで勘違いに気づいたわけである。
これを乗り過ごすとその後の列車の接続の関係で1時間遅れとなる。後から思えば、この日の行程には余裕があるのだし1時間遅れたところで大勢には影響ないわけだが、場所が新大阪駅だったこともあるのだろう、ふと新幹線で先回りしようという気になった。とは言え岡山まで行かず、姫路まで行くことにする。乗車券プラス新幹線特急券で変な出費となり、せっかく青春18きっぷで乗って来たぶんの普通運賃との差額分の「貯金」を取り崩すことになった。
さくらの車内で時刻表を広げてその先の時間を確認する。姫路まで行けば7時05分発の三原行きに乗り継ぐことができ、当初の予定では姫路発が8時01分だったから逆に1時間の余裕ができる。それをもって良しとするか。
姫路~岡山間は列車の本数も少なく、時間帯によっては特に青春18の時期はラッシュ並みの混雑となる。ちょうど2年前のこの時期、青春18きっぷを持って瀬戸大橋を渡り、阿波池田を経由して徳島線の鴨島まで行ったのだが、その時も1時間以上立ちっぱなしだった。7時すぎだとさすがに京阪神方面からの乗り継ぎ客もいないためか席は余裕で座れた。制服姿の高校生も目立つが、竜野とか相生辺りで下車するのだろう。
雨の中、山陽線を西に進む。貨物列車ともすれ違う。西日本豪雨の影響で広島県内の山陽線の寸断はいまだに続いており、貨物列車もトラック、貨物船での代行輸送や、伯備線~山陰線~山口線経由の迂回運転が続く。そこに来て台風21号の影響で関西空港も大きなダメージを受けた。好調と言われる関西経済の「潮目」が悪い方に変わるかもしれない出来事である。
そういうことを考えるうちに竜野や相生を過ぎるが、周りの高校生はまだ結構残っている。上郡を過ぎると岡山県に入るがそのまま乗っており、岡山まで越境通学する生徒がいるのかなと思う。彼らが下車したのは岡山県に入り4つ目の駅の熊山。近くに高校でもあるのかなとスマホで調べると、地図に出てきたのは岡山白陵という私立の中高一貫校である。1976年に開校した学校で、当初は厳しい校則やスパルタ教育を掲げていたそうである。最近は時代の流れでそこまででもないようだが、それでも進路実績を観ると東大、京大、国公立の医大、早稲田、慶応といったところに多くの現役合格者を出している。姫路あたりの子どもたちの中にも、大学への進路を考えて神戸方面ではなくてあえて岡山の山の中の高校を選ぶ生徒がいるということだろう(さらにネット記事をたどって行くと、楽天の三木谷浩史社長も岡山白陵中学校に入ったが、スパルタ教育のためにノイローゼになり途中で退学、地元の中学に転校したとあった。三木谷社長はその経験をバネにしたと述懐しているそうだが)。
列車は岡山に到着。8時40分発のマリンライナー13号に乗り継ぐ。駅の案内放送では、大雨のため土讃線の阿波池田~土佐山田間の運転見合わせを伝えている。特急も阿波池田までの運転、その先の代行輸送も行わないとある。四国山地のもっと奥深いところでもともと雨の多いところである。私もあえてそんな時に出て来なくてもと思ったが、瀬戸大橋線は通常運転とのことでそのまま乗り込む。外は列車の窓越しでもはっきり見えるくらいの雨である。
瀬戸大橋を渡る。四国めぐりの中であと何回この橋を渡るのかなと思う。
坂出に到着して、9時32分発の琴平行きに乗り継ぐ。先に海岸寺に行くことにして、郷照寺の最寄り駅である宇多津はいったん素通りする。前回ベースキャンプ地とした丸亀も過ぎ、前回訪ねたエリアに再び入る。
多度津では、高松から先に到着していた伊予西条行きが待っていてこれに乗り継ぐ。多度津から先はワンマン運転とあるが、2両編成の後ろの車両を回送扱いとして完全に締め切るという独特の運用である。ひとまずこれに乗って次が海岸寺である。雨の中、島式ホームに降り立ったのは私一人だった・・・。