雨の海岸寺駅に降り立つ。宇多津方面に戻る次の列車は10時47分発だから50分ほどの時間である。駅前の参道(という割に店があるわけでもないが)を3分ほど歩き、県道21号線(さぬき浜街道)に出る。クルマの交通量が多い道の向かい側に「屏風浦海岸寺」の看板がある。
山門に出る。通常なら門の両脇には阿吽の金剛力士像が立つところだが、何か様子が違う。力士は力士でもまげを結って廻しを締めた大相撲の力士像だ。お相撲さんが門の両脇を固める寺というのは全国でも唯一だそうだ。
力士はいずれも昭和30年代(時代で言えば栃若時代)に活躍しており、片や外から向かって右手が大関の琴ヶ濱である。観音寺出身で内掛けを得意とした。学生の時に大相撲力士の列伝で技能派として紹介されていたのを見て名前は知っていたが、香川出身だったのか。
こなた外から向かって左手に立つのは関脇の大豪。こちらは丸亀の出身とある。元は若三杉の名前で取っていて、平幕優勝も果たし、後に大豪と改めた。初代若乃花の妹と結婚したともある。
この寺に仁王像ではなく相撲の力士像を置いたのは、香川西部出身のヒーローを讃えようということからだろうが、本格的な金剛力士像を発注するだけのお金がなかったからとも言われている。いずれにしても、香川出身でもっとも出世した力士二人である。ついでに香川出身の力士をスマホで検索すると、古いところでは神風(私が子どもの頃のNHK相撲解説と言えばこの人だった)、現役の関取では琴勇輝や希善龍といったところだが、大関や幕内優勝となると琴ヶ濱、大豪の活躍が勝っている。現役の力士たちも頑張ってほしいものである。
雨の山門で相撲の歴史に触れてうなるところで、すぐ近くに本堂がある。他に参詣する人もいない外陣に入ってお勤めである。賽銭箱の周りにはさまざまな頒布品が揃っていて、弘法大師ゆかりの地であることも主張しているようだ。ちなみにここは聖観音が本尊である。
本堂の外べりが納経所で、先ほど上がった時は寺の方も居眠りだったが、気配を感じたのか起き上がる。まあ、こんな雨の中だし、別格二十霊場とはいいつつも四国八十八所と比べればマイナーだし・・と思っても不思議ではない。ただ起き上がった後はしっかりと筆を進めていただいた。別格二十霊場用の納経帳は持っていないので、四国用の空いているページに収まった。その海岸寺だが、本堂よりも奥の院のほうが重要なのだという。四国八十八所は本堂と大師堂をセットで拝むが、海岸寺では大師堂のあるエリアを奥の院としている。
その前に境内を歩く。十三仏や弁財天が祀られているが、雨のために境内の道にも雨水が浮いている。そこまでして海岸寺に来なくてもよかったのでは?ということも頭をよぎるが、ここはそこそこに歩いていく。
海岸に出た。海岸寺という名前なのだから海を見ないと。屏風浦という名前も寺の南に広がる弥谷寺から善通寺にかかる山並みが屏風のように連なっていることからつけられた名前だが、この雨ではその景色を望むべくもない。この後に奥の院に行くわけだが、この時点で海岸寺駅からの継ぎの列車をあきらめた。その次の11時44分発に焦点を定める。
さぬき浜街道を渡り、予讃線の踏切を過ぎると奥の院の山門に出る。こちらは仁王像でも大相撲の力士でもなく、門から少し離れて四天王の像が並ぶ。こちらのほうが先ほどの本堂がある境内と比べてゆったりとした造りだ。
弘法大師の産湯と伝えられる井戸を見た後、正面奥にある奥の院の大師堂(御影堂)に着く。先ほどの本堂よりも堂々とした造りで、これは先に訪ねた善通寺の立ち位置にも通じるかなと思う。本尊は弘法大師誕生仏。
お勤めの後、大師堂(御影堂)で、「弘法大師誕生仏」の朱印をいただく。やはりこの寺では、弘法大師が生物学的にこの地で生まれたということを後までの誇りにして続いたのだろう。本堂の奥には四国八十八所のお砂踏みがある。屏風浦新四国という形で並んでいる。乗る列車の時間を遅らせたのでどんなものかいくらか歩くことができる距離だ。所要時間は40~70分とある。
その道はどうだったか。舗装道で結ばれていて、札所の間には別格二十霊場の本尊の石像も立っている。ただそれらより目立つのは、どこかの講が四国満願のお礼か何かで建てた石碑である。もっともらしく漢字を並べた石碑もあるが、その漢語が何を意味するのかはよくわからない。舗装されているぶん道路は雨水の逃げ道がなく水たまり状になっているし、沿道の木々の手入れも不十分のようだ、最初はそれぞれの本尊の前で真言を唱えたりしてたが、中盤になると順路もぐちゃぐちゃになりどうでもよくなってきた。
丘の上に上がると文殊菩薩や不動明王のお堂もある。そこからは海岸寺近辺の海岸線がよく見えるというクチコミもあったが、この雨では景色を望むのは難しい。お堂の下のほうも草木が結構生えていし、連日の雨天のせいか、なかなか境内を維持するのが難しいのかもしれない。
奥の院のミニ八十八所めぐりも一応終えた形となり、境内に戻る。海岸寺は前回回った讃岐の七ヶ所まいりの別格として、始めまたは終わりに参詣する人が多かったそうだが、この日は大雨のせいか、他にお参りする人の姿はほとんど見なかった。奥の院でのお砂踏みに挑戦したのも私くらいのものである。
11時44分の列車まで30分以上あるが、雨の中を歩いて海岸寺駅に戻る。もちろん無人駅で、駅舎の中もガランとしているが、幸いだったのがこの日の最高気温が30度を下回っていること。駅舎内のベンチに腰かけてこれからのプランニングをしたり、足元が先ほどの寺の水たまりなどでグジュグジュになったので靴下を履き替えたりする。
やってきた高松行きは、先ほどの逆で多度津まではワンマン運転で運行する。1駅東の多度津に着くと、これまで締切扱いだった後部の2両目も開放される。多度津から新たに乗る人や、ここまで乗って来た人たちが後部車両になだれ込む。乗客が2両に適度に散らばったところで多度津を出発し、今回の目的地である78番の郷照寺の最寄駅である宇多津に到着した・・・。
山門に出る。通常なら門の両脇には阿吽の金剛力士像が立つところだが、何か様子が違う。力士は力士でもまげを結って廻しを締めた大相撲の力士像だ。お相撲さんが門の両脇を固める寺というのは全国でも唯一だそうだ。
力士はいずれも昭和30年代(時代で言えば栃若時代)に活躍しており、片や外から向かって右手が大関の琴ヶ濱である。観音寺出身で内掛けを得意とした。学生の時に大相撲力士の列伝で技能派として紹介されていたのを見て名前は知っていたが、香川出身だったのか。
こなた外から向かって左手に立つのは関脇の大豪。こちらは丸亀の出身とある。元は若三杉の名前で取っていて、平幕優勝も果たし、後に大豪と改めた。初代若乃花の妹と結婚したともある。
この寺に仁王像ではなく相撲の力士像を置いたのは、香川西部出身のヒーローを讃えようということからだろうが、本格的な金剛力士像を発注するだけのお金がなかったからとも言われている。いずれにしても、香川出身でもっとも出世した力士二人である。ついでに香川出身の力士をスマホで検索すると、古いところでは神風(私が子どもの頃のNHK相撲解説と言えばこの人だった)、現役の関取では琴勇輝や希善龍といったところだが、大関や幕内優勝となると琴ヶ濱、大豪の活躍が勝っている。現役の力士たちも頑張ってほしいものである。
雨の山門で相撲の歴史に触れてうなるところで、すぐ近くに本堂がある。他に参詣する人もいない外陣に入ってお勤めである。賽銭箱の周りにはさまざまな頒布品が揃っていて、弘法大師ゆかりの地であることも主張しているようだ。ちなみにここは聖観音が本尊である。
本堂の外べりが納経所で、先ほど上がった時は寺の方も居眠りだったが、気配を感じたのか起き上がる。まあ、こんな雨の中だし、別格二十霊場とはいいつつも四国八十八所と比べればマイナーだし・・と思っても不思議ではない。ただ起き上がった後はしっかりと筆を進めていただいた。別格二十霊場用の納経帳は持っていないので、四国用の空いているページに収まった。その海岸寺だが、本堂よりも奥の院のほうが重要なのだという。四国八十八所は本堂と大師堂をセットで拝むが、海岸寺では大師堂のあるエリアを奥の院としている。
その前に境内を歩く。十三仏や弁財天が祀られているが、雨のために境内の道にも雨水が浮いている。そこまでして海岸寺に来なくてもよかったのでは?ということも頭をよぎるが、ここはそこそこに歩いていく。
海岸に出た。海岸寺という名前なのだから海を見ないと。屏風浦という名前も寺の南に広がる弥谷寺から善通寺にかかる山並みが屏風のように連なっていることからつけられた名前だが、この雨ではその景色を望むべくもない。この後に奥の院に行くわけだが、この時点で海岸寺駅からの継ぎの列車をあきらめた。その次の11時44分発に焦点を定める。
さぬき浜街道を渡り、予讃線の踏切を過ぎると奥の院の山門に出る。こちらは仁王像でも大相撲の力士でもなく、門から少し離れて四天王の像が並ぶ。こちらのほうが先ほどの本堂がある境内と比べてゆったりとした造りだ。
弘法大師の産湯と伝えられる井戸を見た後、正面奥にある奥の院の大師堂(御影堂)に着く。先ほどの本堂よりも堂々とした造りで、これは先に訪ねた善通寺の立ち位置にも通じるかなと思う。本尊は弘法大師誕生仏。
お勤めの後、大師堂(御影堂)で、「弘法大師誕生仏」の朱印をいただく。やはりこの寺では、弘法大師が生物学的にこの地で生まれたということを後までの誇りにして続いたのだろう。本堂の奥には四国八十八所のお砂踏みがある。屏風浦新四国という形で並んでいる。乗る列車の時間を遅らせたのでどんなものかいくらか歩くことができる距離だ。所要時間は40~70分とある。
その道はどうだったか。舗装道で結ばれていて、札所の間には別格二十霊場の本尊の石像も立っている。ただそれらより目立つのは、どこかの講が四国満願のお礼か何かで建てた石碑である。もっともらしく漢字を並べた石碑もあるが、その漢語が何を意味するのかはよくわからない。舗装されているぶん道路は雨水の逃げ道がなく水たまり状になっているし、沿道の木々の手入れも不十分のようだ、最初はそれぞれの本尊の前で真言を唱えたりしてたが、中盤になると順路もぐちゃぐちゃになりどうでもよくなってきた。
丘の上に上がると文殊菩薩や不動明王のお堂もある。そこからは海岸寺近辺の海岸線がよく見えるというクチコミもあったが、この雨では景色を望むのは難しい。お堂の下のほうも草木が結構生えていし、連日の雨天のせいか、なかなか境内を維持するのが難しいのかもしれない。
奥の院のミニ八十八所めぐりも一応終えた形となり、境内に戻る。海岸寺は前回回った讃岐の七ヶ所まいりの別格として、始めまたは終わりに参詣する人が多かったそうだが、この日は大雨のせいか、他にお参りする人の姿はほとんど見なかった。奥の院でのお砂踏みに挑戦したのも私くらいのものである。
11時44分の列車まで30分以上あるが、雨の中を歩いて海岸寺駅に戻る。もちろん無人駅で、駅舎の中もガランとしているが、幸いだったのがこの日の最高気温が30度を下回っていること。駅舎内のベンチに腰かけてこれからのプランニングをしたり、足元が先ほどの寺の水たまりなどでグジュグジュになったので靴下を履き替えたりする。
やってきた高松行きは、先ほどの逆で多度津まではワンマン運転で運行する。1駅東の多度津に着くと、これまで締切扱いだった後部の2両目も開放される。多度津から新たに乗る人や、ここまで乗って来た人たちが後部車両になだれ込む。乗客が2両に適度に散らばったところで多度津を出発し、今回の目的地である78番の郷照寺の最寄駅である宇多津に到着した・・・。