まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第20回四国八十八所めぐり~別格18番「海岸寺」

2018年09月10日 | 四国八十八ヶ所
雨の海岸寺駅に降り立つ。宇多津方面に戻る次の列車は10時47分発だから50分ほどの時間である。駅前の参道(という割に店があるわけでもないが)を3分ほど歩き、県道21号線(さぬき浜街道)に出る。クルマの交通量が多い道の向かい側に「屏風浦海岸寺」の看板がある。

山門に出る。通常なら門の両脇には阿吽の金剛力士像が立つところだが、何か様子が違う。力士は力士でもまげを結って廻しを締めた大相撲の力士像だ。お相撲さんが門の両脇を固める寺というのは全国でも唯一だそうだ。

力士はいずれも昭和30年代(時代で言えば栃若時代)に活躍しており、片や外から向かって右手が大関の琴ヶ濱である。観音寺出身で内掛けを得意とした。学生の時に大相撲力士の列伝で技能派として紹介されていたのを見て名前は知っていたが、香川出身だったのか。

こなた外から向かって左手に立つのは関脇の大豪。こちらは丸亀の出身とある。元は若三杉の名前で取っていて、平幕優勝も果たし、後に大豪と改めた。初代若乃花の妹と結婚したともある。

この寺に仁王像ではなく相撲の力士像を置いたのは、香川西部出身のヒーローを讃えようということからだろうが、本格的な金剛力士像を発注するだけのお金がなかったからとも言われている。いずれにしても、香川出身でもっとも出世した力士二人である。ついでに香川出身の力士をスマホで検索すると、古いところでは神風(私が子どもの頃のNHK相撲解説と言えばこの人だった)、現役の関取では琴勇輝や希善龍といったところだが、大関や幕内優勝となると琴ヶ濱、大豪の活躍が勝っている。現役の力士たちも頑張ってほしいものである。

雨の山門で相撲の歴史に触れてうなるところで、すぐ近くに本堂がある。他に参詣する人もいない外陣に入ってお勤めである。賽銭箱の周りにはさまざまな頒布品が揃っていて、弘法大師ゆかりの地であることも主張しているようだ。ちなみにここは聖観音が本尊である。

本堂の外べりが納経所で、先ほど上がった時は寺の方も居眠りだったが、気配を感じたのか起き上がる。まあ、こんな雨の中だし、別格二十霊場とはいいつつも四国八十八所と比べればマイナーだし・・と思っても不思議ではない。ただ起き上がった後はしっかりと筆を進めていただいた。別格二十霊場用の納経帳は持っていないので、四国用の空いているページに収まった。その海岸寺だが、本堂よりも奥の院のほうが重要なのだという。四国八十八所は本堂と大師堂をセットで拝むが、海岸寺では大師堂のあるエリアを奥の院としている。

その前に境内を歩く。十三仏や弁財天が祀られているが、雨のために境内の道にも雨水が浮いている。そこまでして海岸寺に来なくてもよかったのでは?ということも頭をよぎるが、ここはそこそこに歩いていく。

海岸に出た。海岸寺という名前なのだから海を見ないと。屏風浦という名前も寺の南に広がる弥谷寺から善通寺にかかる山並みが屏風のように連なっていることからつけられた名前だが、この雨ではその景色を望むべくもない。この後に奥の院に行くわけだが、この時点で海岸寺駅からの継ぎの列車をあきらめた。その次の11時44分発に焦点を定める。

さぬき浜街道を渡り、予讃線の踏切を過ぎると奥の院の山門に出る。こちらは仁王像でも大相撲の力士でもなく、門から少し離れて四天王の像が並ぶ。こちらのほうが先ほどの本堂がある境内と比べてゆったりとした造りだ。

弘法大師の産湯と伝えられる井戸を見た後、正面奥にある奥の院の大師堂(御影堂)に着く。先ほどの本堂よりも堂々とした造りで、これは先に訪ねた善通寺の立ち位置にも通じるかなと思う。本尊は弘法大師誕生仏。

お勤めの後、大師堂(御影堂)で、「弘法大師誕生仏」の朱印をいただく。やはりこの寺では、弘法大師が生物学的にこの地で生まれたということを後までの誇りにして続いたのだろう。本堂の奥には四国八十八所のお砂踏みがある。屏風浦新四国という形で並んでいる。乗る列車の時間を遅らせたのでどんなものかいくらか歩くことができる距離だ。所要時間は40~70分とある。

その道はどうだったか。舗装道で結ばれていて、札所の間には別格二十霊場の本尊の石像も立っている。ただそれらより目立つのは、どこかの講が四国満願のお礼か何かで建てた石碑である。もっともらしく漢字を並べた石碑もあるが、その漢語が何を意味するのかはよくわからない。舗装されているぶん道路は雨水の逃げ道がなく水たまり状になっているし、沿道の木々の手入れも不十分のようだ、最初はそれぞれの本尊の前で真言を唱えたりしてたが、中盤になると順路もぐちゃぐちゃになりどうでもよくなってきた。

丘の上に上がると文殊菩薩や不動明王のお堂もある。そこからは海岸寺近辺の海岸線がよく見えるというクチコミもあったが、この雨では景色を望むのは難しい。お堂の下のほうも草木が結構生えていし、連日の雨天のせいか、なかなか境内を維持するのが難しいのかもしれない。

奥の院のミニ八十八所めぐりも一応終えた形となり、境内に戻る。海岸寺は前回回った讃岐の七ヶ所まいりの別格として、始めまたは終わりに参詣する人が多かったそうだが、この日は大雨のせいか、他にお参りする人の姿はほとんど見なかった。奥の院でのお砂踏みに挑戦したのも私くらいのものである。

11時44分の列車まで30分以上あるが、雨の中を歩いて海岸寺駅に戻る。もちろん無人駅で、駅舎の中もガランとしているが、幸いだったのがこの日の最高気温が30度を下回っていること。駅舎内のベンチに腰かけてこれからのプランニングをしたり、足元が先ほどの寺の水たまりなどでグジュグジュになったので靴下を履き替えたりする。

やってきた高松行きは、先ほどの逆で多度津まではワンマン運転で運行する。1駅東の多度津に着くと、これまで締切扱いだった後部の2両目も開放される。多度津から新たに乗る人や、ここまで乗って来た人たちが後部車両になだれ込む。乗客が2両に適度に散らばったところで多度津を出発し、今回の目的地である78番の郷照寺の最寄駅である宇多津に到着した・・・。
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第20回四国八十八所めぐり~台風と地震の最中で

2018年09月09日 | 四国八十八ヶ所
2018年の夏は猛暑、豪雨で厳しいものだったが、その総仕上げとも言えるのが9月4日に日本に上陸した台風21号。この日は交通機関の計画運休も発表されていたから自宅待機となり、終日テレビでその様子を見ていたのだが、関西で大きな被害を受けたのは皆さんもご存知の通り。幸い、私の住むところでは報道されるほどの大きなダメージはなかったが、勤務先は6日夜まで停電が続いた。いったん出社したが仕事にならないのでパソコンだけ持ち出して自宅で仕事をした。社員の中には7日になっても自宅が停電し、その影響で水道も使えない人もいた。

そこに来て6日未明には北海道での大地震である。「平成最後の夏」は異常気象、また災害が多かった年として記憶されるのだろう。というか、「平成」という元号の名前とは裏腹に阪神淡路、東日本の二つの大震災に代表される天変地異、猛暑、豪雨、豪雪、そしてテロ事件などに見舞われた時代として記憶されることになるのだろう。

改めて台風21号、そして北海道地震で被災された方のお見舞いを申し上げます。

さて、そんな最中ではあるが第20回の四国八十八所めぐりである。くどいようだが、20巡目ではなく、区切り、ぶつ切りの20切れ目である。今回は瀬戸大橋を渡った宇多津にある第78番の郷照寺が目的地で、1回残っている青春18きっぷを活用した日帰りである。四国めぐりに日帰りで行くのは第5回(第20番鶴林寺、第21番太龍寺)以来のことで、それだけまた関西に近いエリアに近づいてきたことを感じる。

鉄道で行くなら郷照寺だけでなく、同じ予讃線の沿線にある79番天皇寺(八十場駅下車)、80番国分寺(国分駅下車)も一気に回れるが、思惑があってこれらは10月に回ることにする(その理由はまたその時に)。この先も1~2ヶ所ずつであれば日帰りで訪ねることができそうだが、どうせなら高松あたりでも1泊したいし、他の要素と絡めて少しずつ訪ねてみたい思いもある。残りが11ヶ所となってそろそろ最後を意識し始めるところだ。

79番や80番に行かない代わりに、少し道順を戻すが別のところにお参りする。それは多度津にある海岸寺。弘法大師の母親である玉依御前の出身地で、さらに弘法大師はここの奥の院で生まれたとされている。弘法大師の出身地は善通寺ではないのかという向きもあるが、「出身地」という言葉には母親のお腹から出た場所と、その後幼少期に育った場所という二つのニュアンスがあることを踏まえればいずれもゆかりの地ということになるだろう。母親が里帰り出産することだってあるわけだから。現在は四国番外二十霊場の第18番であり、私も番外霊場は必須で回っているわけではないが、そうしたいわれがあるのなら行っておこうと思う。アクセスも予讃線の海岸寺駅からすぐのところにある。

ただ、海岸寺と郷照寺なら、8月の七ヶ所まいりの時に行こうと思えば行けたところで、それだけの日程的余裕もあった。それが3日間猛暑の中にさらされてノックアウトされてしまったものだからそこまでの気力がなかった。1ヶ月近く経ち多少はマシになってきたところである。ということで、青春18きっぷの使用期間ぎりぎりの9月8日に出かける。

あいくにこの日の天気予報は雨。しかも明け方には関西で大雨となり、大阪、兵庫、京都の一部にも記録的短時間大雨警報が出た。一瞬、行くのを止めようかとも思ったが時間の経過で回復しそうとの見込みもあり、とにかく出発する。途中で本当にヤバそうになったら打ち切るだけのことだ。

ということで、新大阪6時25分発のさくら541号に乗る。あれ?青春18きっぷの旅なのに何で新幹線やねん?と思われるだろうが、これは私のチョンボによるもの。もともと大阪6時25分発の姫路行き快速(早朝大阪から西に行く時の定番列車)に乗るつもりで家を出たが、この列車は大阪始発ではなく野洲から来る列車である。今回ふと、青春18のシーズンで確実に座ろうと1つ前の新大阪から乗ることにした。そのために地下鉄で新大阪まで行き、朝食の買い物でもしてからその快速に乗ろうと動いたのだが、新大阪の発車時刻を勘違いしていた。時刻表で確認しておけば何ということもなかったのだが、在来線のホームに行くとちょうどその快速列車のドアが閉まり、出発するところだった。そこで勘違いに気づいたわけである。

これを乗り過ごすとその後の列車の接続の関係で1時間遅れとなる。後から思えば、この日の行程には余裕があるのだし1時間遅れたところで大勢には影響ないわけだが、場所が新大阪駅だったこともあるのだろう、ふと新幹線で先回りしようという気になった。とは言え岡山まで行かず、姫路まで行くことにする。乗車券プラス新幹線特急券で変な出費となり、せっかく青春18きっぷで乗って来たぶんの普通運賃との差額分の「貯金」を取り崩すことになった。

さくらの車内で時刻表を広げてその先の時間を確認する。姫路まで行けば7時05分発の三原行きに乗り継ぐことができ、当初の予定では姫路発が8時01分だったから逆に1時間の余裕ができる。それをもって良しとするか。

姫路~岡山間は列車の本数も少なく、時間帯によっては特に青春18の時期はラッシュ並みの混雑となる。ちょうど2年前のこの時期、青春18きっぷを持って瀬戸大橋を渡り、阿波池田を経由して徳島線の鴨島まで行ったのだが、その時も1時間以上立ちっぱなしだった。7時すぎだとさすがに京阪神方面からの乗り継ぎ客もいないためか席は余裕で座れた。制服姿の高校生も目立つが、竜野とか相生辺りで下車するのだろう。

雨の中、山陽線を西に進む。貨物列車ともすれ違う。西日本豪雨の影響で広島県内の山陽線の寸断はいまだに続いており、貨物列車もトラック、貨物船での代行輸送や、伯備線~山陰線~山口線経由の迂回運転が続く。そこに来て台風21号の影響で関西空港も大きなダメージを受けた。好調と言われる関西経済の「潮目」が悪い方に変わるかもしれない出来事である。

そういうことを考えるうちに竜野や相生を過ぎるが、周りの高校生はまだ結構残っている。上郡を過ぎると岡山県に入るがそのまま乗っており、岡山まで越境通学する生徒がいるのかなと思う。彼らが下車したのは岡山県に入り4つ目の駅の熊山。近くに高校でもあるのかなとスマホで調べると、地図に出てきたのは岡山白陵という私立の中高一貫校である。1976年に開校した学校で、当初は厳しい校則やスパルタ教育を掲げていたそうである。最近は時代の流れでそこまででもないようだが、それでも進路実績を観ると東大、京大、国公立の医大、早稲田、慶応といったところに多くの現役合格者を出している。姫路あたりの子どもたちの中にも、大学への進路を考えて神戸方面ではなくてあえて岡山の山の中の高校を選ぶ生徒がいるということだろう(さらにネット記事をたどって行くと、楽天の三木谷浩史社長も岡山白陵中学校に入ったが、スパルタ教育のためにノイローゼになり途中で退学、地元の中学に転校したとあった。三木谷社長はその経験をバネにしたと述懐しているそうだが)。

列車は岡山に到着。8時40分発のマリンライナー13号に乗り継ぐ。駅の案内放送では、大雨のため土讃線の阿波池田~土佐山田間の運転見合わせを伝えている。特急も阿波池田までの運転、その先の代行輸送も行わないとある。四国山地のもっと奥深いところでもともと雨の多いところである。私もあえてそんな時に出て来なくてもと思ったが、瀬戸大橋線は通常運転とのことでそのまま乗り込む。外は列車の窓越しでもはっきり見えるくらいの雨である。

瀬戸大橋を渡る。四国めぐりの中であと何回この橋を渡るのかなと思う。

坂出に到着して、9時32分発の琴平行きに乗り継ぐ。先に海岸寺に行くことにして、郷照寺の最寄り駅である宇多津はいったん素通りする。前回ベースキャンプ地とした丸亀も過ぎ、前回訪ねたエリアに再び入る。

多度津では、高松から先に到着していた伊予西条行きが待っていてこれに乗り継ぐ。多度津から先はワンマン運転とあるが、2両編成の後ろの車両を回送扱いとして完全に締め切るという独特の運用である。ひとまずこれに乗って次が海岸寺である。雨の中、島式ホームに降り立ったのは私一人だった・・・。
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BCリーグ観戦記~滋賀対栃木@湖東(試合編 滋賀の勝利を初めて見る)

2018年09月08日 | プロ野球(独立リーグほか)
9月2日、BCリーグ湖東スタジアムでの滋賀ユナイテッド対栃木ゴールデンブレーブスの試合は、今季で引退の村田修一選手の勇姿を観ようと大勢のファンが見守る中で開始。

滋賀の先発は今季途中で信濃グランセローズから移籍の高井。昨年は12勝を挙げて信濃のBCリーグチャンピオン、さらには四国アイランドリーグとの独立リーグチャンピオンシップ制覇にも貢献し、BCリーグ投手部門のMVPにも輝いた。

1回表、まずは二死一塁の場面で4番の村田を迎える。スタンドから大きな拍手が起こり、多くのカメラやスマホが打席に集中する。その中での打球はセンターフライ。まず序盤を無得点で切り抜ける。

一方の栃木の先発はウーゴ。ブラジル出身でスワローズにも在籍していたし、ブラジル代表でWBCに出場したこともある左腕投手だ。こちらも序盤はNPB在籍の格の違いを見せつける形で、3回までに5三振を奪う。

滋賀の高井も毎回ランナーを出すが、栃木のランナーの盗塁失敗二つにも助けられて5回まで無得点に抑える。スピードガン表示がないので球速はわからないが、結構力強い投球をする印象だ。村田にも真っ向勝負で凡退に退ける。

1時間20分で5回裏まで終了という早い展開。5回終了後には球団スタッフによる滋賀ユナイテッドの球団歌の生声も披露される。

試合が動いたのは6回裏。二死二塁の場面で、滋賀の5番・前本がセンターへのタイムリーを放つ。ようやく均衡が破れて1対0と滋賀が先制する。

さらに、続く田中の代打には桑田が登場(あの桑田真澄氏の長男)。ストレートを振り抜いた当たりはライトへ、そしてフェンスを越える。代打ホームランが出てこれで3対0と大きくリードする。昨年のチーム発足以降、滋賀の試合の生観戦は7試合目だが、こういう形でリードする展開は初めてである。これ以降で滋賀の追加点の場面もあったが栃木も継投でしのぐ。

8回表、村田に4打席目が回る。ここまで無安打だったがさすがはベテラン。レフトへのヒットを放つ。プロ通算「2000本安打」には届かないが、先ほどのホームラン競争とは違い、終盤に相手を追いかける場面でのチャンスメークはさすがだと思う。後続がなく8回も無得点だったのは残念である。これで村田の滋賀での出番も最後になるのだろうか。

球場からのその思いが伝わったのか、9回表、先頭の橋爪がこの試合4本目のヒットで出塁する。続くルーカス、新山が連続ヒットを放ち、無死満塁のピンチを迎える。ここまで何度もピンチを迎えながらもしのいできた高井もここで降板。抑えのロレンゾが登板する。

ロレンゾに対して栃木も攻め立てる。谷津がレフト前に流して1点を返してなおも無死満塁。続く野崎のセカンドへの当たりを滋賀の北本がナイスキャッチ。飛び出していた二塁ランナーも戻れず、一気に二死一・三塁と変わった。

あと一人だが、打席の松井が出塁すればその次は村田である。ここで何とロレンゾが暴投で三塁ランナーが戻り、3対2、なおも二死三塁となる。スタンドも、「村田の打席がもう一度見られるかな」という期待感が広がる。

ただここはロレンゾが松井を空振り三振に切って試合終了。3対2で滋賀が勝利した。私が観戦して滋賀が勝ったのも初めてで、これはこれでうれしいところだ。

ヒーローインタビューも初めて見る。呼ばれたのは8回0/3を投げて勝ち投手の高井と、貴重な本塁打を放った桑田。こちらも賞品の近江米がプレゼントされた。

試合後は監督、選手のお見送り。この日は勝ったのでサインをいただくことにする。成本監督代行やホームラン競争に出たジョニー、先制打の前本、本塁打の桑田といったところのサインをいただく。勝ち投手の高井はクールダウンでもしていたのか残念ながら出てこなかった。

公園の一角では滋賀、栃木の両応援団による「二次会」が行われていたが、NPBのそれとは違って一緒に盛り上がる一般のファンはそう多くない。

それよりも人垣ができていたのは三塁側の出口。選手はここから出てくるので「出待ち」の人たちである。いつものBCリーグの試合ならこうした人垣はできない。やはり村田がお目当てのようだ。その村田は正面下でTシャツ購入の抽選に当たった人たちへのサイン会を行っているところだった。試合が早く終わり、幸いコミュニティバスまで時間があるので私も待ってみることにする。

栃木の選手たちも出て来て公園入口のバスまで歩いて行くが、、ユニフォームと顔が一致しない、そもそも対戦相手としてもなじみがないということもあり声をかける人はほとんどいない。その中で辻監督が出てきたり、元スワローズの飯原兼任コーチが引き上げて来た時はサインや記念撮影を求めるファンがちらほらといた。せっかくなので私も一筆いただく。

そして最後の方で村田が登場。滋賀の鈴木球団社長自らがバスまでエスコートし、警備員も一緒についてくる。混乱を避けるためかやはりサインは行わず、その代わり列を作っていた人一人一人と握手をし出す。私もその中で握手だけしてもらった。村田が移動するとそれに合わせて周りの人垣ごと移動していく。やはり元NPB、2000本安打近くまで行った選手の人気、オーラというものは違うように思う。今季でのNPBへの復帰はならず、一部には本人の性格や素行に問題があるかのような声もあるようだが、BCリーグに来て本人が得たものもいろいろあったのではないかと思う。何ならここで指導者としての経験も一緒に積んで、そうした形でのNPB復帰を目指してもいいのではないかとも思う。

試合は滋賀の勝利だったが、やはり「村田修一デー」のような一日だった・・・。
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BCリーグ観戦記~滋賀対栃木@湖東(試合前編 本日は村田修一デー)

2018年09月06日 | プロ野球(独立リーグほか)
9月2日、西国三十三所めぐりの観音正寺参詣後、八日市駅に向かう。ここから11時20分発の東近江市のコミュニティバス湖東線に乗るが、バスを待つ間にも湖東スタジアムに向かうらしい人の姿も見える。旅行のキャリーバッグを持っている人もいる。栃木ゴールデンブレーブスは前日丹南(越前市)で福井ミラクルエレファンツと対戦し8対1で敗れたものの、栃木の1点は村田修一のホームランによるものだった。栃木ファン、村田ファンの中には泊りがけで丹南と湖東の観戦という人もいるのだろう。

時間となり、コミュニティバスの小型車両が到着する。定員26人という表記があるが本当に26人乗れるのかという車両で、バス停前にいた人、駅の待合室にいた人で満員となる。「湖東スタジアムへはこれでいいですか?」と訊ねる客も多く、乗客のほとんどがスタジアム行きの客のようだ。運転手も「湖東スタジアムへ行かれる方は湖東支所で降りてください」と放送する。13時試合開始の1時間少し前に着くから手頃な便だと思うが、これが「村田修一のいない栃木戦」だったらバスが満員になるくらいの客は来るだろうか。

バスは東近江市役所や滋賀学園前を通り、愛知川を渡る。湖東支所までは20分ほどで到着した。果たしてほぼ全ての客が降りる。スタジアムは5分ほど歩いたところにあるひばり公園の中にある。コミュニティバスはこの近くを循環するルートとなっており、帰りはひばり公園の前から乗ることができる。

公園の入口が駐車場で、栃木のチームバスも停車している。金色のボディが目立つが、年に一度のこととは言えはるばる栃木からバスで遠征とは大変だ。

スタジアムは公園の奥にある。入口で入場券を買って中に入ると、スタンドはBCリーグ、また滋賀ユナイテッドの試合にしてはすでに結構な入りで、スタンドの中央部もそこそこ埋まっている。この後からも観客が増え、中央のオレンジのシートは9割以上埋まった。やはり多くが村田の姿を観よういう人たちだろう。ジャイアンツやベイスターズの帽子やタオルをまとった人もちらほらと見える。

グラウンドでは栃木の選手が練習中で、ベンチには早くもユニフォームに着替えた村田の姿も見える。

滋賀もこれをビジネスチャンス?と捉えていて、この試合はさまざまなイベントを仕掛けてきた。村田引退を受けて栃木が作成した「男・村田修一FINAL ROAD記念Tシャツ」を販売し、購入した人のなかから抽選で3名に村田との写真撮影やサインがいただけるという。また試合前には村田と滋賀の4番・ジョニーによるホームラン競争が行われる。これは見ものだ。

スタメン発表。村田は4番・DHでの先発出場である。

その後にホームラン競争。進行は吉本の「滋賀県住みます芸人」のファミリーレストランのコンビが務めるが、本番前に「素人がホームランを打つのがどれだけ難しいか」ということを実演する。トスを上げてもらってバットに当てるが、内野フライかボテボテのピッチャーゴロ。

そして村田、ジョニーの登場。日本語もペラペラなジョニーが「(10スイング中)8本は打ちたいですね」と大きく出れば、一方の村田は「こういうのってあまり得意じゃないんで・・・1本打てたらいいと思います」とえらい謙虚に答える。

ジャンケンで先攻はジョニー。BCリーグ3球団で通算59本塁打のパワーを見せたいところで、惜しい当たりも結構あったのだが外野のフェンスを越えたのは結局1本だけ。「力入っちゃったネ」と苦笑いだ。

そして後攻の村田。スタンドから大きな拍手があり、客席の最前列にはカメラやスマホを持った人たちがその姿を捉えようと集まってくる。こちらはNPB通算360本塁打の実力者、スイングにも余裕が見える。そのうち、カチンという当たりとともにレフトスタンドの奥の森の中に打球が吸い込まれる。そして2本目はいったんファウルの判定だったが、栃木ベンチからの抗議?によりホームランに認定。その後ももう1本放ち、合計3本。そのたびにスタンドから大きな拍手が起こる。結果は3対1で村田の勝ちとなり、賞品として近江米がプレゼントされた。村田にとっては最初で最後となる滋賀での試合だけに、花を持たせたわけではないだろうがいい思い出になったかな。

この後は両チームの選手たちが登場する。滋賀は途中休養の松本匡史監督に代わり、マリーンズの抑え、コーチだった成本年秀コーチが監督代行を務める。一方の栃木は元ホークスの辻武史監督。他にコーチ兼任選手で元スワローズの飯原もいる。

13時に試合開始。こちらのほうは終盤までもつれる展開に・・・。
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第32番「観音正寺」~西国三十三所めぐり2巡目・29(西国めぐりとBCリーグ観戦のコラボ・その2)

2018年09月05日 | 西国三十三所
6勝22敗3分、勝率2割1分4厘。9月1日終了時点での、BCリーグ・滋賀ユナイテッドの2018年後期戦績である。もちろん、前期に続いて後期も西地区のダントツの最下位。8月には今季指揮を執った元ジャイアンツの松本匡史監督が休養(理由は体調不良)する事態となった。シーズン途中も他球団のトレードや新加入で戦力の入れ替えを行っているが、なかなか結果に結びつかない。

そんな中、9月2日に湖東スタジアムにて栃木ゴールデンブレーブス戦が行われる。以前の記事でも書いたが、栃木には今季ジャイアンツから入団した村田修一が在籍しており、先日「引退」を発表したところだ。特に村田のファンというわけではないが、栃木球団が滋賀まで遠征するのは年に1試合だけのことだし、湖東スタジアムにもこれまで行ったことがない。青春18きっぷも残っているから出かけることにする。

湖東スタジアムへのアクセスは、近江鉄道の八日市駅から東近江市のコミュニティバスで20分ほどとある。八日市へは近江八幡から近江鉄道で行くことになる。

ただ、大阪から直接湖東スタジアムに向かってもいいのだが、せっかくなのでタイトルにあるように西国三十三所めぐりを組み合わせたい。西国2巡目も残り6ヶ所となったが、その中の一つに32番の観音正寺がある。先般、31番の近江八幡の長命寺参詣と組み合わせて甲賀スタジアムでの滋賀ユナイテッドの試合を観戦したのだが、今回観音正寺を同じように組み合わせてみよう。湖東スタジアムも観音正寺もエリアは離れているが同じ東近江市ということでちょうどよい。

観音正寺は繖山の頂上近くに建つ。戦国時代に存在した観音寺城の一部でもあった。前回訪ねた時は、安土で下車して4キロほど歩いた後、石寺楽市から1200段ある表参道を上って到着し、帰りは桑實寺を経由して安土駅に戻った。今回は湖東スタジアムへ向かう時間も考慮して裏参道ルートで行くことにする。裏参道ルートというが、公共交通機関で行く場合は、能登川駅から八日市駅へ向かう近江バスの観音寺口から向かうことができる。まあ、繖山に上ることには変わりないのだが、能登川~観音寺口~観音正寺(繖山)~観音寺口~八日市~湖東スタジアムというルートがつながる。

というルート決めで、大阪6時21分発の快速に乗って7時47分に能登川に到着する。バスは2分前に出たばかりで、次は8時15分発である。数人の客とともに発車する。

バスは金堂、ぷらざ三方よしという停留所を過ぎる。ここは近江商人ゆかりの五個荘の一角である。時間の関係で通過するがいずれまた訪ねてみたいところである。

能登川から12分ほどで観音寺口に到着。バス停には黒板が掛けられていて、地元の人たちが寄せた俳句が記されている。「水不足苦労のあとか稲穂たれ」「新米のとれて我が子に宅急便」・・猛暑や豪雨、台風に見舞われた長い夏だったが、一方ではこうした秋の気配も少しずつやって来ていることがうかがえる。

バス停から集落を抜けると結(むすび)神社というのに出る。祭神は誉田別尊で、創建年代は詳らかではないとしながらも、古く壬申の乱の時には天智天皇、天武天皇の皇子たちが乱を避けてこの地にやって来て勧請したと伝えられる。特に観音正寺と神仏習合のつながりがあるわけでもなさそうだ。

その境内の一角に「観音正寺参道」の標識がある。これより13丁だからおよそ1.4キロの山道である。獣除けのフェンスを手で開けて参道に入る。セミの音が賑やかである。

「裏」参道とはいえ観音正寺への公共交通機関でのルートとして案内されているから通る人もそれなりにはいるのだろうが、階段には落ち葉も散乱している。また何ヶ所か倒木もある。先日の台風20号のものか、あるいはそれ以前の大雨や強風で倒れたのがそのままになっているのか。そんなところもあるが、道としてはむちゃくちゃ急勾配というほどでもない。

途中に設けられたベンチに着く。そこからは五個荘の町並みも展望できる。山上りの途中にちょっとした休憩ポイントである。

早くも汗が噴き出る中、前をゆっくり歩いていた男性一人を追い越して、結神社から30分あまりで幅の広い道に出た。裏参道側の駐車場から続いており、寺に勤める人たちのクルマでの通勤道である。ここからはなだらかな道が続いていてホッとする。以前に表参道から来た時は最後の石段が特にきつかった印象があったので。その時に石段の手すりに掛けられていた「言葉」が、裏参道の脇にも立てられている。それらをカウントダウン方式で読んでいく。標高が上がったためか、ここまで来るとセミの鳴き声もほとんどなくなった。風が通ると幾分か涼しさを感じる。

またこちらからだと奥の院の前を通る。鳥居があり、その奥には巨大な岩がそびえる。これは繖山の神である磐座を祀っている。となると、観音正寺も神仏習合の歴史があったのかなかったのか。

上り始めてから40分ほどで表参道と合流し、境内に到着する。観音正寺には山門はなく、露天に仁王像が並んでのお出迎え。合わせて観音正寺を開いたとされる聖徳太子像もお出迎えである。ここまで歩いてきたのでまずは休憩する。といっても少しは風が通るし、8月中旬のような35度超の猛暑というほどでもない。先般四国を歩いた時のようなノックアウト感もない。

正面の奥にある本堂に上がる。2004年に再建された新しい建物で、本尊はインドから特別に輸入された白檀で造った千手観音像である。板の間の外陣に上がり、お勤めとする。

先達用の納経帳に朱印をいただく。境内からは麓を見下ろすことができ、ちょうど東海道新幹線が走るのも見える。16両編成といえば地上で間近に見ると長く感じるが、山の上から見るとミニチュアである。他にも日本百観音のお砂踏みや、聖徳太子堂、護摩堂が並ぶ。

次のバスの時間を考慮するとあまりゆっくりもしていられず、下山することにする。上りで40分で、下りは多少慎重に歩を進めることになるとしても同じくらいの時間見ておけばよいか。再び裏参道コースを通る。今度は何人か上ってくる人の姿を見る。この人たちもバスでやって来たか、あるいは駐車料金を惜しんで下のどこかに停めて歩いて上がって来たか。下りとなるとどこに足を着地させるかも考えながらだし、落ち葉で足を滑らさないようにも注意することになるので慎重になるが、35分ほどで麓の結神社まで戻ってきた。

次のバスは10時28分発。こちらに乗車して八日市駅に到着する。次のコミュニティバスは11時20分発である。その前の便が9時54分発で、観音正寺に行かなければこの便で早くに湖東スタジアムに向かうことができるが、11時20分発でも十分だろう。30分近く時間があるので駅前のアルプラザで昼用の飲食物を仕入れ、ロータリーに戻る・・・。
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津山線快速に乗車

2018年09月04日 | 旅行記F・中国
もともとの旅程では、津山を14時35分に出る普通列車で津山線を南下して岡山に着くようにしていた。しかし、それより1本早い13時29分発の快速「ことぶき」に乗ることにする。津山まなびの鉄道館も1時間あれば十分満足できるところだったし、35度の猛暑日ということで町歩きも億劫になったこともある。

快速「ことぶき」はかつての急行「砂丘」の流れを汲む列車と言ってもいいだろう。岡山と鳥取を結ぶ列車は津山線~因美線を走る急行「砂丘」が長く活躍していたが、智頭急行ができると特急「スーパーいなば」が走り(岡山から鳥取に行くのに、いったん兵庫県に入って相生に近い上郡まで行かされるのが気の毒だが)、「砂丘」は廃止になった。ただ、岡山から途中の津山までは同じ県内ということで需要もあり、その代替として急行「つやま」として運転されるようになった。車両運用の関係で、本来近郊型のキハ40系が急行料金を取って走る・・というのも不評で、結局は料金不要の快速「ことぶき」として運転することで落ち着いた。それにしても「ことぶき」の列車名の由来は何だろう。

鈍行でトコトコと行くのもいいが、キハ47の走りっぷりも体感したいということで快速に乗ることにした。先ほど姫新線で乗ったキハ120と比べると、車内の広さは倍にも感じられる。何だか頼もしい。津山を出る時点でボックス席は1~2人という乗車率。この車両では集中型エアコンに加えてまだ扇風機が回っている。まあ、暑がりにとっては新しい車両の「弱冷車」よりも、空気を循環させる扇風機のほうが涼しく感じられる。

津山の市街地を離れ、里山の景色が広がる。重厚な走りっぷりを感じる。まずは亀甲に停車。亀をモチーフにした駅舎を持つ駅である。またホームには「たまごかけごはん」の幟が出ている。元々養鶏が盛んだったこともあって日本における「たまごかけごはん」の発祥の地とされており、専門店には県内だけではなく京阪神からも訪れる人もいるそうだ。

この後は弓削、福渡、金川と停車する。岡山市内を流れる旭川にも沿うようになった。通過駅だが神目という駅もあり、亀やら福やら金やら神といったお目出度い文字がつく駅が目立つ。これが何となく縁起が良さそうということで、津山線の快速が「ことぶき」という名前になったらしい。

最後の停車駅である法界院を過ぎて、14時38分に岡山到着。両駅間の所要時間が1時間あまりというのはちょうどいいくらいだろう。姫新線、津山線に乗ったことだし、平福の町や扇形機関庫も見学できたのでこの時間から大阪に戻れば日のあるうちに帰宅できるのだが、逆に岡山に来たなら行きたい店もある。ただこの時間ではまだ開いていない。当初予定の普通列車に乗ればちょうど開店時間に着くところだったのだが。

だからというわけではないが、青春18を活かしてもう少し「乗り鉄」を楽しもうということで、伯備線の列車に乗り継いで総社に向かう。高梁川の向こうは西日本豪雨で大きな被害を受けた倉敷市真備町がある。分岐となる清音の駅前には代行バスらしき車両が停まっている。今年の夏は豪雨、台風、猛暑に悩まされたものだと改めて振り返る。実はこの記事を書いているのも、今年最大と言われる台風21号が関西に接近しつつある中のことである。

総社からは吉備線(桃太郎線)に乗り換える。こちらもキハ47の2両編成。ボックス席でのんびりと過ごして岡山に到着。岡山駅では吉備線と津山線が同じホームに発着するのだが、吉備線の列車を降りるとその前にはキハ47のノスタルジー号が停まっている。確か津山の扇形機関庫で見たはずで、1編成しかないので、これは津山14時35分発の普通列車として運転されたに違いない。あらあら、当初の予定通り動いていればこれに乗れたわけだ。

それはともかくとして、時刻は16時すぎ。そろそろ良いだろうということで、岡山駅前のミシュラン居酒屋「鳥好」に入る。16時開店の店だがすでにカウンターを中心にそこそこの地元客が入っている。またグループの予約も何組かあるようだ。

まだ空いていたカウンターに陣取り、名物の「とり酢」や焼鳥、刺身盛り合わせ(必ずサワラが1切れ入る)、「のりくらっち」などいただく。岡山に来ると立ち寄ることの多い店は相変わらずの人気のようで、17時を過ぎると8割方の席が埋まった。現在四国八十八所めぐりは香川県に入っているが、その帰りに岡山で途中下車して「鳥好」に入るのも面白そうだ。

早い時間の夕食の形になり、18時ちょうどの姫路行きに乗り込む。混雑していたが運良く空席があり、姫路まで座って移動することができた。

今回は西日本豪雨からの復旧を受けて出かけたようなところもあり、その後に運転を再開した区間もあったが、9月4日、ここに来て大型の台風21号である。午前中でJRは京阪神で全て、また私鉄も多くの会社、区間での運転取り止めという事態となった(動いているのは地下鉄くらいのものだ)。運休は仕方ないとして、水害や土砂崩れなどで線路に被害が及ぶことのないように・・・。
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津山まなびの鉄道館

2018年09月02日 | 旅行記F・中国
津山に到着。昔ながらの「汽車駅」という風情がよいところだ。

ただ駅前に出てびっくりした。津山に来るのは数年ぶりだが、駅前広場、バスのロータリーが新しく、そして広くなっている。また駅前には古いアーケード街もあったと思うが、それが撤去されていて、新しい観光案内所やコンビニなどもできている。2013年度から駅前の再開発が具体化し、昨年の4月から供用されたという。

津山出身のあの方のパネルもあったりする。

さて目指す鉄道館だが、2016年4月に開館した。それまでは限られた日に事前の予約によって扇形機関庫が公開されていたが、現在は常時開館となっている。駅から見えるところにあるが、いったん駅の外から回り込む形で到着する。

この日は「津山線マルシェ」というイベントが行われていた。津山線開業120周年記念イベントの一環であり、この日に合わせてキハ47「ノスタルジー」編成の気動車を使った「記念号」も運転される予定だったが、西日本豪雨で8月上旬まで津山線が不通になったことを受けて運転が取り止めになった。そのためか、機関庫に続く引き込み線にその気動車も停まっている。

昔ながらの硬券きっぷにパチンと挟みを入れるタイプの入場券を手に、機関庫の見学である。イベント日ということもあってか、DF50形機関車が転車台に載せられている。また、キハ28には急行「砂丘」のヘッドマークがつけられている。

以前に限定での見学で訪ねた時は機関庫の中に入り、車両の前後や側面もじっくり見ることができたのだが、常時開館となってからは原則機関庫の中には入れないようになっている。大勢の人が来るから、車両の保全も考えてのことかと思う。

DD51形機関車もある。展示車両は山陰線などで長く活躍したものである。山陰線といえば、西日本豪雨で山陽線が不通となり、貨物列車の運転に大きな影響が出る中、1日1往復、伯備線~山陰線~山口線ルートでのコンテナ列車が復活した。復活にあたっては線路が大丈夫かとか、非電化区間の機関車をどう確保するかということも懸念されていた。かつてのように客車列車が走っていれば機関車も多くあったところが、現在は旅客は電車、気動車だし、山陰線の貨物も伯備線で米子までの区間しかない。

客車列車という言葉が出たのでついでに書くと、現在行われている「山陰ディスティネーション」の一環として、日本旅行の主催で9月29日~30日に大阪~鳥取間で、DD51形と12系客車を使った「白兎」号(団体列車扱い)が運転される。「乗り鉄」とすればぜひ乗ってみたいところだが、実は30日に先約が入っていて、29日の片道乗車なら鳥取まで行ってその日に引き返そうかと思っていた。しかし詳細が発表されてみると、往復乗車のみのコースだという。オプションでホテルも一緒に手配するかどうかとか、追加料金でボックスの半分、またはボックスまるまるを一人で利用できるのがあるそうだが、片道だけの利用があってもよかったのではないかと思う。残念。

さて話をまなびの鉄道館に戻すと、マルシェということで地元の名物を出す屋台が並んでいる。手にしたのはホルモンうどん。ちょうど軽い昼食ということで美味しくいただく。

展示室では岡山の鉄道の歴史や、鉄道の構造の仕組みを紹介するコーナーがある。昔懐かしいものもあり、施設全体がノスタルジーを感じさせるところである。

ひととおり見学を終え、駅に戻る。本来なら津山城や城下町歩きもいいのだが、時間を切り上げて津山線に乗ることにする・・・。
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宿場町平福と復旧の姫新線

2018年09月01日 | 旅行記F・中国
智頭急行の平福で下車する。ここも佐用町で兵庫県だが、ブログのカテゴリとしては津山を目指す途中下車ということで「中国地方」に入れておく。佐用川沿いの土蔵群の景色というのを一度じっくり見てみたかったので訪ねてみた。駅は無人駅だが武家屋敷風の建物である。

現在の町の中心は姫新線の佐用駅周辺だったり、中国道の佐用インターということになるのだが、元々はこの平福が佐用の中心だったそうだ。因幡街道に面しており、室町時代は赤松氏の拠点が置かれ、利神城という山城の城下町でもあった(国の史跡に指定されたことを祝う看板が駅舎に掲げられている)。江戸時代初期には平福藩というのもあったが、一国一城令で廃城となった。その後は本陣もある宿場町として、あるいは佐用川の水運で賑わったという。ただ、昭和のはじめに開業した姫新線は平福を通らなかったため、町の中心の地位を失った。智頭急行が開通したのは1994年のことである。まあ、鉄道が通らなかったから古い町並みが残ったと言えなくもない。

その町並みは駅からもすぐのところにあり、徒歩で十分回れる範囲内にある。早速駅舎を出て、佐用川に向かう。日差しが照りつけると暑いが、日陰に入ったり、水の音を聞くといくらかは涼しく感じられる。まずはその佐用川の対岸にある土蔵群を見る。宿場町というと玄関のある表側が取り上げられることが多いが、こうした裏側が絵になる景色というのはそう多いものではないだろう。かつては川べりから荷の積卸をしていたのだろう。

右手に川べりの土蔵群を見た後にかかる橋を渡り、宿場町の中に入って行く。その手前、宿場の外れに「宮本武蔵最初の決闘の地」というのがある。智頭急行に「宮本武蔵」という名前の駅があるが、武蔵はこの辺りの生まれである。13歳の時、当時の武芸者だった有馬喜兵衛が掲げた「なんびとなりとも手合わせいたすべし。我こそ日下無双兵法者なり」という高札を見て、平福の金倉橋のたもとで決闘、一刀のもとにて喜兵衛を斬り捨てた。生涯で60度以上の決闘に負けなかったと伝えられる武蔵の最初の決闘とされている。またこの場所は平福藩の刑場だったとされ、処刑された人たちを供養するための六地蔵が残されている。

旧因幡街道を歩く。古い建物と、新しいながらも周りの雰囲気にマッチした住宅がまじりあっている。その中で目立つのが、江戸時代後期の建物である瓜生家。現在はそばや喫茶の店として使われている。

その脇から川べりに下りる。水面に太陽の光が反射してまぶしい。その中で川面をよく見ると水面近くに小魚が泳ぐのが見え、少し深いところでは少し大きな魚がいる。アユとかヤマメとか、そんなところだろう(動植物の種類の違いには疎い)。川底に多少ゴミが沈んでいるのも見えるが、水としてはきれいなほうの川である。

再び通りに上がる。今は門だけが残る本陣跡や、かつての屋敷を再利用したコミュニティ広場などが続く。300年の伝統を持つという醤油蔵・たつ乃屋本店の建物も風情がある。

郷土館も少しのぞいてみる。全国的にそれほど知名度が高いわけではないが、こうしたさりげない感じの町並みの景色というのは私が好きなスポットの一種である。

現在の因幡街道は国道373号線で、ちょうど駅と向き合う形で道の駅ひらふくがある。やはり交通としてはこちらが人気のようで、国道を行き交うクルマや観光バスが立ち寄ってくる。土産物や地元の野菜なども売られていて、それを買い求める人がレジで行列を作っている。先ほどのたつ乃屋本店の醤油やら、鹿肉の缶詰などを自分土産で買い求める。鹿肉は道の駅のレストランの名物料理だそうで、残念ながらまだランチの営業前でいただくことができなかったが、その代わりにスタンドで売られていた鹿肉のコロッケを買って食べる。コロコロした歯ごたえは感じられるが、鹿肉だと言われなければ気付かないかな。

町を一回りして、道の駅の休憩所で涼むうちにそろそろ列車の時刻が近づいてきた。10時42分発の上郡行きはガラガラ。この列車は「風鈴列車」と銘打って、車内に東日本の陶器やガラスで造られた風鈴が20本ほどぶら下げられており、列車が動くと振動に合わせてチリンチリンと音を鳴らす。佐用まで1駅、しばし夏の風情を楽しむ。

佐用からは11時04分発の津山行きに乗り継ぐ。キハ120の単行で津山からの折り返し列車だが、智頭急行の上郡行きが姫新線の姫路方面からの列車よりも先に着いたので、ボックス席に陣取ることができた。すぐ後に着いた姫路方面からの列車からも多くの乗り継ぎがあり、座席がほぼ埋まる感じで出発する。

姫新線は7月の西日本豪雨で上月~津山~新見が不通となり、このうち上月~津山は8月10日に運転再開したばかりだ(乗車当日は津山~新見はまだ不通だったが、その後、8月27日には津山~中国勝山、8月31日に中国勝山~新見が運転再開)。また佐用町は9年前の2009年台風9号でも大きな被害を受けている。中国山地の東にあって豪雨が来やすいところという印象である。また、再開したばかりというだけでなく、普段からローカル線の悲しい事情で保線や沿線の草刈りが思うようにいかないためか、時折極端に減速する。線路際の標識を見ると「25」という数字もチラッと見えたので、そのくらいの時速で運転しているようだ。

ただそうした運転も地元の人には貴重な足で、短区間の利用も含めて乗り降りは結構ある。

東津山で下車が多く、佐用から1時間ほどで津山に到着。いよいよ、お目当ての扇形機関庫である・・・。
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