まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第7番「岡寺」~西国三十三ヶ所巡り・31(和を以って貴しとなす)

2015年08月19日 | 西国三十三所
続きであれば金沢方面の旅のことを書くのだが、いったん時間を15日、終戦記念日に戻す。この日の夜に出発したのだが、その昼間は西国巡りを行っていた。行き先は第7番の岡寺ということで、自宅からは近鉄一本(途中で乗り換えは必要だが)で行ける近場である。

近鉄吉野線に岡寺駅があり、普通に考えればここが最寄駅だが、バスも何も出ていない。歩くなら駅から1時間近くかかる。岡寺にバスで行くなら、橿原神宮前~飛鳥間を走る周遊バスに乗るのだが、この季節は1時間に1本の運行。

ただ、どうせ岡寺に行くなら、その周りにある飛鳥の歴史スポットも一緒に回りたい。ということで、電車で飛鳥駅まで行き、飛鳥の観光スポットを歩いて回りながら石舞台古墳へ。石舞台古墳と岡寺は比較的近い距離にある。となると、岡寺といっても実質は飛鳥。

朝の10時に飛鳥駅に到着する。自宅から近いこともありゆったりとしたスタートである。ここから飛鳥散策ということで、まずは駅前の観光案内所で「飛鳥王国パスポート」を買い求める。1冊100円。観光スポットの案内が書かれているし、パスポートらしくスタンプ帳のページもある。100円と有料だが、各観光スポットの1割引きとか50円引きとかのクーポンがついており、数か所回れば軽く元は取れる。

これを手に早くも暑さを感じる中歩き出す。ここで、「飛鳥巡りと言えばレンタサイクルが定番ではないのか?」と思われる方もいるだろう。私もそう思うし、過去にはレンタサイクルで回ったこともある。ただ、今回は歩いて回ることに。西国巡りは公共交通機関で、それがないところは徒歩で・・・というのを続けている。レンタサイクルも公共の乗り物に近いかなとは思うが、そこはやはり歩きにしよう。

まずたどり着くのは高松塚古墳。石室の壁画で有名である。その複製を資料館で見ることになるが、現物は現在石室ごと解体されて修復作業中である。修復はこれまで何度か行われているが、元の古墳の中に戻すと、経年でカビや劣化が発生してしまう。このため、古墳から出して博物館のようなところで一定の温度・湿度を保って保存したほうがよいのではとか、古墳に戻すとしても、博物館のような環境を整備すべきだとかいう声がある。ネットでそんな記事を読むと、なるほどなと思うこともある。修復されながらでも自然の環境の下で保全できるのならいいが、それが無理なのなら現代の技術を加えるのも、歴史を後世に伝えるという大局的なところから見ればよいのではないか。

炎天下の中を歩く。飛鳥周遊歩道というのがあり、未舗装の区間も含めて歩行者、自転車で回るように整備されたコースである。鬼の俎板、鬼の雪隠という石のスポットに出る。解説では石棺の露出したものとあり、俎板が基盤で雪隠が上の部分とある。それにしても離れたところに上の部分があるのは、よほど大がかりな人の手が加わったか、石棺を押し出すくらいの大雨、土砂崩れでもあったか。

この後、亀石を経て橘寺に向かう。ここは聖徳太子が産まれたところとして伝わっている。また、今私が行っている西国三十三所巡りとは別にある「新西国三十三所」の霊場の一つである。この「新西国」、昭和の初めに関西の新聞社の企画で一般公募も含めて33の霊場を選定したものである。西国三十三所から外れた由緒ある寺院が入ったり、聖徳太子ゆかりの寺院がいくつか入ったりというのが特徴である。私もこの流れで行くといずれは「新西国」も回ることになるのだろうが、今日は朱印をいただくことはせず、手を合わせるだけにする。

本堂に上がる。創建は聖徳太子と言っても当時の建物は残っておらず、現在の姿は江戸時代からという。本尊は聖徳太子。

聖徳太子と言えば、今でこそ実在そのものを疑う著作もあるくらいだし、確かに厩戸皇子という人物はいたが、その業績や伝説はいろんな人のことを寄せ集めたものだとか、いろいろ言われている。1万円札から消えて30年以上になるし、学校の歴史の時間でもそんなに力を入れて教えないようである(私の出た小学校の校歌の歌詞には聖徳太子が出ていたのだが・・・)。ただ昔から長い間聖徳太子信仰というのはあったわけだし、仮に聖徳太子が本当は実在せず、作り話の寄せ集めだったとしても、一人の人物の伝記としてでき過ぎるくらいよくできている。

参拝していると友人からメールが来た。終戦記念日を前に映画『日本のいちばん長い日』を鑑賞したという。戦後70年ということで注目されており、私も観たいなと思いつつ、その前に半藤一利氏の原作を読まなければなと思っていたところ。

そんな中で聖徳太子像を見ると、頭の中にあるフレーズがよぎる。「和を以って貴しとなす」・・・。

聖徳太子が定めたとされる「十七条憲法」の第1条の一節である。今でこそこの字義の解釈はいろいろあるそうだが、一般に知られているのは周りとの「和」の精神である。今、中国や韓国、北朝鮮とギクシャクした関係にある日本で、特に中国を意識した安保法案が成立しようとしている。安倍内閣の最終的な目標は憲法改正だったはずだが、現実には難しく、その一方でさまざまな法制によって結構苦しい憲法解釈で批判にさらされている。もし、「憲法」を変えようというのなら、「十七条憲法」の精神を踏まえるのはどうだろうか。真の平和を願うなら、「和」の精神というのは必ず出てくることではないだろうか。ちょうど戦後70年の正にその日、そこまで歴史を振り返ってみるのも悪くはないと思うのだが・・・。

石舞台古墳までたどり着く。暑い中だが多くの観光客で賑わっている。ここで村内向けのスピーカーから、正午に戦没者追悼のためのサイレンを鳴らすという知らせが流れる。

石舞台から岡寺へは近いとあるが、石舞台の北側にある山道を上る。結構急な坂だが、それを上りきると今度は階段を下りる。すると岡寺の参道に出る。ここを少し上ると山門に出る。・・・とここでサイレンが鳴る。山門は西に向いており、その方角に向けて頭を下げる。岡寺と聖徳太子は直接関係ないが、ここで少し「和」について思いを向けるのであった・・・・。
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