まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第16回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~坊津から薩摩半島北上

2024年07月11日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

九州八十八ヶ所百八霊場めぐりはこれから徐々に北に向けて駒を進める。枕崎の火之神公園を出発する。

国道226号線に入り、耳取峠を越える。その先が坊津である。

歴史資料センター「輝津館」に入る。こちらは南さつま市役所の坊津庁舎も兼ねた建物である。坊津の歴史、民俗についての紹介が充実した施設だった。館内撮影禁止のため画像はないが・・。

坊津は古くから立地的に海上交通の要地であり、遣唐使船の寄港地となっていた。仏教の公式的な伝来よりも先に龍蔵寺一乗院という寺が建立されたし、この先の秋目地区には鑑真和上が唐から上陸している。

また中世では倭寇や遣明船、琉球貿易の拠点にもなっていた。明の歴史書「武備志」では近隣の地誌も紹介しており、「日本三津」として安濃津、博多津と並び、ここ坊津を挙げている。同時期に日本で成立した式目では「三津」として安濃津、博多津は同じだが、もう一つは堺津を挙げている。当時の状況からすれば堺のほうが大きかったに違いないが、大陸の人たちから見れば薩摩半島の港とのつながりが強かったといえるだろう。

江戸時代になると鎖国政策もあり、外国との交易の中心は長崎に移ったが、坊津は薩摩藩主の直轄地として、琉球を介した大陸との貿易が続けられていた。貿易額や品目には厳しい制限が設けられていたものの一応幕府の公認だったが、それを超える「抜け荷」が密貿易として行われていた。こうして得られた利益が薩摩藩の財力になったという。

しかし、江戸中期の享保年間、坊津に一斉に取り締まりが入り、商人や船舶が逃げ出すという事件があった(坊津の唐物崩れ)。もっとも薩摩藩は坊津だけでなく、志布志、種子島、奄美大島など他の拠点で密貿易を続けており、坊津の取り締まりは幕府の目をそらすため薩摩藩じたいがわざと行ったのではないかともいわれている。

その後の坊津はカツオ漁で栄えた。鰹節の製法が伝えられたことも大きい。当初は近海に限られていたが、徐々に海域が広がり、船も大型化された。それでもカツオといえば一本釣りで、次々に釣りあげられる様子をとらえた映像は圧巻である。また大漁を祝う「茜かぶり」という行事もあり、地元の人たちの笑顔も印象的だ。

ただ、今の坊津にはそのカツオ船もいなくなった。大型船が接岸できる枕崎に集約したためである。そして現在は養殖漁業が主な産業となっている。なかなか、変化に富んだ歴史がある。

本来なら2階のテラスからの眺めがよいのだが、外壁の工事中で入れない中、建物の前で背伸びして沖合いの名勝・双剣岩を何とか眺める。

せっかくなのでこの先の鑑真和上上陸の地など、海沿いをもう少し走りたかったのだが、ゴールの川内駅のカーナビ到着予測時刻がこの時点でギリギリとなった。

途中で詰めることはできるだろうが、ここからは山道の県道でショートカットして国道270号線に向かう。途中の山上には風力発電の風車も見える。

この国道270号線に沿う形で、かつて鹿児島交通枕崎線が走っていた。現在の南さつま市の中心である加世田のバスセンター内には鉄道記念館もある。ただ、どこかのスポットに立ち寄って見学するだけの時間は厳しそうだ・・。

温泉や砂浜で有名な吹上浜も通過。ただ、到着予測時刻は少しずつ早くなってはいる。そのまま国道を走るうち、サイクリングロードの案内とともに「永吉駅跡」の標識が見える。鹿児島鉄道の旧駅ということで、これはぜひ立ち寄ってみよう。

永吉駅は伊集院駅から12.7キロのところ。線路や駅舎は撤去されているが、ホームの一部が残り、駅名標も後から設けられている。廃線めぐりといえばひそかに人気が広がるジャンルだが、鹿児島交通枕崎線は結構あちこちに遺構がのこされており、永吉駅跡も知る人ぞ知るスポットである。

国道270号線に戻り、交差点で待っていると右前方から枕崎行きのバスがやってきた。

さらに北に進んだ江口浜で、左手に急に東シナ海が広がった。思わず駐車スペースにクルマを寄せる。少しずつ日が傾くところ。

もう少し走らせると崖のすぐ下に海岸が広がる。海にはサーファーの姿も見える。薩摩半島にこういうスポットがあるとは知らず、今回の車窓の中で印象に残るスポットとなった。

国道270号線から国道3号線に出る。カーナビは無料の南九州西回り自動車道を案内するようだが、そのまま下道を走る。鹿児島線の線路とも並走し、野球、サッカー、駅伝などの強豪である神村学園の前を通過する。鹿児島の学校とはきいていたが、串木野だったのね。

レンタカーの返却時間も気になる中、トヨタレンタカーの川内駅前店に到着。

そのまま歩いて川内駅に到着。駅前に像があるので近づくと、大伴家持とある。薩摩の中心といえば現在の鹿児島市のイメージだが、古来の薩摩の国府は川内にあったという。万葉集の編者として名をのこしている家持だが、本人は時の政争に巻き込まれたこともあり、都と地方を行ったり来たりしている。その中で薩摩守に任ぜられたことがあったのだが、それも左遷人事だったという。

次回は北薩の山中の札所をたどるルートで、川内からふたたびレンタカーにて向かうつもりだ。

川内は九州新幹線、鹿児島線、そして肥薩おれんじ鉄道が乗り入れる駅で、かつJR貨物の駅もある。地方によくあるオフレールステーションではなく、今も東京、名古屋、大阪、北九州への直通コンテナ列車が発車する。またこれらの貨物ターミナルでの中継を経て、全国への長距離輸送が可能である。

これから乗るのは18時06分発「みずほ610号」。広島までの停車駅は熊本、博多、小倉だけという最速タイプで、所要時間は2時間10分。さすが新幹線だ。

レンタカーの利用後のお楽しみということで、「みずほ」指定席に陣取っての一献である。最速タイプだけに寝落ちして広島を寝過ごすことのないように・・。この日(6月30日)は朝の鹿児島中央駅から雨に遭うことはなかったが、「みずほ」に乗って熊本、博多に差し掛かるとまた強い雨になった。まあ梅雨空の下、帰りの新幹線で雨というのも仕方ないだろう。

・・それほど遅くならない時間に広島に着き、西広島まで戻って来た。こちらはしっかり雨が降っていた・・・。

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