まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第6番「宝亀院」~新西国三十三所めぐり・18(高野山奥の院へ)

2016年09月23日 | 新西国三十三所
高野山に来たのだから、やはり奥の院に行こうということで歩き出す。時間は12時を回っておりどこかで食事を・・・というところだが、あまり入りたくなるような店も見当たらないし、先にお参りを済ませようとそのまま歩く。途中、仏具店があり、経本を買い求める。これまで使っていたものよりコンパクトなものがあり、持ち歩きにもよいだろう。

多くある塔頭寺院の中で目を引くのは成福院。八角形の摩尼宝塔が目を引く。ここは太平洋戦争でのビルマ戦線での戦没者を祀る。前の住職が戦時中現地で僧侶をしていたことから、戦後になって戦没者の供養をするということを行うようになった。宝塔の中では戦没者の遺品もあれば、ミャンマーで信仰されている上座部仏教関連のものも展示されている。映画にもなった「ビルマの竪琴」もある。

アウン・サン・スー・チー氏のカレンダーなんてのもある。高野山にあって異国の雰囲気を感じさせるところである。

一の橋に到着する。ここから弘法大師御廟までは2キロほどの参道である。中の橋の駐車場まで直接バスやクルマで行くのが近道であるが、無数の墓碑、供養塔が並ぶ参道は、高野山独特の雰囲気があるところである。「聖域」を感じさせるというのかな。この日は平日ということでそれほど混雑しておらず、静かな雰囲気の中で歩く。菅笠、笈摺、金剛杖という四国遍路姿の人もいる。

御廟橋に着く。ここから先は撮影禁止である。また最近のはやりものを反映してか、「ポケモンGO」禁止の立て看板もある。私が四国八十八所めぐりに初めて渡った時は、ちょうど「ポケモンGO」が配信され話題になりだしたところで、「歩き遍路の道をずっと歩くと、どのくらいのポケモンがゲットできるのか、誰か実験リポートしないかな」と思っていた。ただやはり寺の境内は神聖なところだし、歩きスマホは何かと危ないのでそういう「実験」は行われないようだが。

灯籠堂で手を合わせ、さらにその奥にある弘法大師御廟ではお勤めを行う。やはり高野山の象徴とも言えるところで、大勢の人が手を合わせ、般若心経を唱えていた。そして再び灯籠堂に向かい、地下法場に下りる。この奥にある霊窟で今も弘法大師は修行をしているとされている。肖像画があるのだが、薄暗い中、輪郭が見えるか見えないかというくらいのものである。ここは地下空間ということもあり、静かに手を合わせるのがお参りの流儀だという。

これで奥の院めぐりは終了だが、今回は奥の院の朱印はいただいていない。四国の納経帳ではもちろん最後にいただくものだし、今回持参している新西国めぐりというのは、元々は聖徳太子の和の道をベースとしているものである。余白のページに何かいただくとすれば、聖徳太子に深く関係しているが、西国や新西国には加わっていない、あの世界的にも有名な寺がふさわしいのかなと思う。このため、今回は納経所は素通りして、参道を歩いて中の橋まで行く。さすがに腹が減ったので、駐車場そばの食堂でうどんをいただく。

帰りは中の橋から路線バスの臨時便で一気に高野山駅まで戻り、そのままケーブルカーに乗って極楽橋駅まで戻る。行きにずっと歩いて来た道も、バスとケーブルカーではあっという間で、やはり快適。

発車を待つ間に、橋本方面から観光列車の「天空」がやって来た。展望車両である緑の車両はテレビ番組でもよく紹介されるが、後部の自由席車両の塗装が凝っている。アニメ・ゲームの「戦国BASARA」仕様となっていて、描かれているのは真田幸村と猿飛佐助。理由は言わずもがなであろう。今年の大河ドラマ「真田丸」の主人公は真田幸村であることから、関西では大阪、そして九度山がPRに力を入れている。南海電鉄も時折大胆な塗装の車両を走らせる鉄道で、真田丸関係ではこの「戦国BASARA」の他にも「赤備え」の塗装の車両がある。

だとすれば、(大河ドラマは観ていないが)せっかくの機会なので、帰りはまだ訪れたことがない九度山に立ち寄ってみよう。こちらも赤備え、六文銭がお出迎えのようで・・・。
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