前日にカープの優勝決定試合の中継を観た翌11日、この日はまず朝食前に藤井寺まで歩き、ホテルで朝食とした後で鳴門に移動。そして四国アイランドリーグの試合を観るという、とうとう「八十八所めぐり&アイランドリーグのコラボ」の日である。1週間ほど前の天気予報では11日は傘マークが出ていたが、その後予報が変わり、この日の朝は薄曇りだが雨の心配はなさそうだ。
6時15分、部屋にはバッグを残し、リュックと金剛杖を持ち出す。笈摺も着て外に出る。巡礼姿が似合わない外観のホテルだが、このアクセス鴨島は、前の札所にも広告看板を出していたし、藤井寺、そしてその先の焼山寺を回る遍路・巡礼の宿泊も多いことだろう。
スマホで検索すると、藤井寺までは30分ほどの道のり。駅からまっすぐ伸びる道の途中からスタートする形だ。周辺には近郊住宅や県営住宅の団地もあり、ちょっとした集落である。散歩やジョギングをする地元の人たちもいる。前回、なぜか地元の歩行者の姿をほとんど見なかったのだが、この辺りはそういう意味で開けた感じだ。この人たちは、毎朝のように巡礼姿の人とすれ違っていることだろう。
少し山の入口に差し掛かる感じ。途中、「旅館吉野」の前を通る。藤井寺、 そして遍路ころがし入口の最寄りの旅館である。歩きで回る人たちの巡礼記のブログなどでもよく触れられていて、評判の良い宿のようだ。私の巡礼スタイルでは泊まる機会はないのかと思うが、こういうところかと通り過ぎる。
藤井寺の山門に着く。前には広い駐車場があり、早くもこの時間でそれなりのクルマが停まっている。遍路ころがしに挑む人の中には車中泊をする人もいるとか(仮にここから歩いたとしたら、クルマはどうするのだろうか)。私には関係ないが、四国八十八所では「珍しく」駐車料金を取っている。西国三十三所ではほとんどが駐車料金を取っているのとは真逆である。関西と四国では交通事情、土地の事情が異なるのだが、こと四国に関しては、「駐車料金はお接待で」というのがあるのかもしれない。
私の地元藤井寺の葛井寺と同じく、境内に藤棚がある。もちろん9月に花は咲いていないが、この藤を見るために来る人も結構いるそうだ。
ようやく「藤井寺から藤井寺を目指す」今回の八十八所めぐりの目的地に来た。町中にある葛井寺と、山の麓でここから難所に入る藤井寺というのも対照的だが、いずれも昔ながらの寺の風情である。藤棚を仲立ちとするとか、何かこう、交流があってもいいように思う。
朝から巡礼姿の人がそこそこいる中、本堂、大師堂とお勤めする。それぞれ思い思いに般若心経を唱えている。
本堂のすぐ横に道が伸びていて、これが「焼山寺みち」、つまり遍路ころがしの入口である。そこでいろいろ書かれた立て札を見ていると、「おはようございます、お先に」と一人の男性が私の横をすり抜けて坂道に挑んでいった。この人はそのまま歩いて焼山寺を目指すことだろう。それを見送る私に、本堂横の弘法大師像が「お前は行かんのか?」と視線を送っているように見えた。
・・・うーん、次回はやはりここから遍路ころがしに挑まなければならないのだろう。昨夜の居酒屋の大将ともども、迫ってくるというのか・・・・。
そこは一旦置いておくとして、納経所に向かう。お参りの人がそこそこいたために、定刻の7時を少し前倒しで受け付けている。少し並んだ後で朱印をいただく。後にも列が続く中、ここで「藤井寺から来ました」と言っても取り合うほどのことはないだろう。
朝7時すぎにして、これで今回の札所めぐりは終了。笈摺を脱いでシャツ1枚になる。そしてホテルに戻るため、来た道を逆に歩く。途中、巡礼姿の人ともすれ違う。時間帯からすれば、この人は徳島から朝の列車で鴨島まで来て、駅からそのまま歩いて来たのだろうう。
ホテルに戻ってきた。汗もかいたのでシャワーを浴び、その後1階でクロワッサンを中心としたパン、サラダ、ゆで卵の朝食。うーん、遍路・巡礼の雰囲気とは真逆で、日曜の朝に散歩した人の朝食という感じだが、それもまた我流で面白い。食事しながら、会場に置かれた新聞を読むのもよい。スポーツ紙はもちろん、ローカル紙の徳島新聞も、1面中ほどでカープの優勝を写真つきで報じていた。さらにローカル・社会面では、カープで投手、コーチとして長く活躍した、松茂町出身の川端順さんのコメント記事があったり、徳島の繁華街にあるカープファン御用達の店でも地元の人たちが大いに盛り上がったという記事があった。おそらく他県のローカル紙でも同様の記事があっただろう。その県出身のカープOBとか、繁華街の盛り上がりとか。それだけ、この優勝というのは社会現象で、全国的に祝福されることだなと感じる。年末になると「今年の10大ニュース」といった番組が流れるが、今年はカープ優勝がかなり上位に入るのではないだろうか。
この日はゆったりしたもので、鴨島を9時20分の列車で出るものだから、日曜朝の張本さんのコーナーの最初を見てから出発。
また遠くない時期に、この駅前に降り立つ日が来るのだろうなと思いつつ・・・・。
6時15分、部屋にはバッグを残し、リュックと金剛杖を持ち出す。笈摺も着て外に出る。巡礼姿が似合わない外観のホテルだが、このアクセス鴨島は、前の札所にも広告看板を出していたし、藤井寺、そしてその先の焼山寺を回る遍路・巡礼の宿泊も多いことだろう。
スマホで検索すると、藤井寺までは30分ほどの道のり。駅からまっすぐ伸びる道の途中からスタートする形だ。周辺には近郊住宅や県営住宅の団地もあり、ちょっとした集落である。散歩やジョギングをする地元の人たちもいる。前回、なぜか地元の歩行者の姿をほとんど見なかったのだが、この辺りはそういう意味で開けた感じだ。この人たちは、毎朝のように巡礼姿の人とすれ違っていることだろう。
少し山の入口に差し掛かる感じ。途中、「旅館吉野」の前を通る。藤井寺、 そして遍路ころがし入口の最寄りの旅館である。歩きで回る人たちの巡礼記のブログなどでもよく触れられていて、評判の良い宿のようだ。私の巡礼スタイルでは泊まる機会はないのかと思うが、こういうところかと通り過ぎる。
藤井寺の山門に着く。前には広い駐車場があり、早くもこの時間でそれなりのクルマが停まっている。遍路ころがしに挑む人の中には車中泊をする人もいるとか(仮にここから歩いたとしたら、クルマはどうするのだろうか)。私には関係ないが、四国八十八所では「珍しく」駐車料金を取っている。西国三十三所ではほとんどが駐車料金を取っているのとは真逆である。関西と四国では交通事情、土地の事情が異なるのだが、こと四国に関しては、「駐車料金はお接待で」というのがあるのかもしれない。
私の地元藤井寺の葛井寺と同じく、境内に藤棚がある。もちろん9月に花は咲いていないが、この藤を見るために来る人も結構いるそうだ。
ようやく「藤井寺から藤井寺を目指す」今回の八十八所めぐりの目的地に来た。町中にある葛井寺と、山の麓でここから難所に入る藤井寺というのも対照的だが、いずれも昔ながらの寺の風情である。藤棚を仲立ちとするとか、何かこう、交流があってもいいように思う。
朝から巡礼姿の人がそこそこいる中、本堂、大師堂とお勤めする。それぞれ思い思いに般若心経を唱えている。
本堂のすぐ横に道が伸びていて、これが「焼山寺みち」、つまり遍路ころがしの入口である。そこでいろいろ書かれた立て札を見ていると、「おはようございます、お先に」と一人の男性が私の横をすり抜けて坂道に挑んでいった。この人はそのまま歩いて焼山寺を目指すことだろう。それを見送る私に、本堂横の弘法大師像が「お前は行かんのか?」と視線を送っているように見えた。
・・・うーん、次回はやはりここから遍路ころがしに挑まなければならないのだろう。昨夜の居酒屋の大将ともども、迫ってくるというのか・・・・。
そこは一旦置いておくとして、納経所に向かう。お参りの人がそこそこいたために、定刻の7時を少し前倒しで受け付けている。少し並んだ後で朱印をいただく。後にも列が続く中、ここで「藤井寺から来ました」と言っても取り合うほどのことはないだろう。
朝7時すぎにして、これで今回の札所めぐりは終了。笈摺を脱いでシャツ1枚になる。そしてホテルに戻るため、来た道を逆に歩く。途中、巡礼姿の人ともすれ違う。時間帯からすれば、この人は徳島から朝の列車で鴨島まで来て、駅からそのまま歩いて来たのだろうう。
ホテルに戻ってきた。汗もかいたのでシャワーを浴び、その後1階でクロワッサンを中心としたパン、サラダ、ゆで卵の朝食。うーん、遍路・巡礼の雰囲気とは真逆で、日曜の朝に散歩した人の朝食という感じだが、それもまた我流で面白い。食事しながら、会場に置かれた新聞を読むのもよい。スポーツ紙はもちろん、ローカル紙の徳島新聞も、1面中ほどでカープの優勝を写真つきで報じていた。さらにローカル・社会面では、カープで投手、コーチとして長く活躍した、松茂町出身の川端順さんのコメント記事があったり、徳島の繁華街にあるカープファン御用達の店でも地元の人たちが大いに盛り上がったという記事があった。おそらく他県のローカル紙でも同様の記事があっただろう。その県出身のカープOBとか、繁華街の盛り上がりとか。それだけ、この優勝というのは社会現象で、全国的に祝福されることだなと感じる。年末になると「今年の10大ニュース」といった番組が流れるが、今年はカープ優勝がかなり上位に入るのではないだろうか。
この日はゆったりしたもので、鴨島を9時20分の列車で出るものだから、日曜朝の張本さんのコーナーの最初を見てから出発。
また遠くない時期に、この駅前に降り立つ日が来るのだろうなと思いつつ・・・・。