三島にいて、伊豆箱根鉄道に乗って・・・となると、タイトルが指すのは何なのかはおわかりいただけると思う。
この日購入したのは「伊豆ドリームパス」の「富士見路ルート」2800円。伊豆箱根鉄道、東海バス(修善寺駅~松崎間)が一日乗り放題なのに加えて、土肥~清水のフェリーに1回乗ることができる。フェリーだけで2300円だから、結構お得である。この日の行程の決め手はこのフェリーで、時刻表をあれこれ検討した結果、先に伊豆半島を回り、最後に清水に戻ることにした。このパスは他に伊豆急行と伊豆半島の海岸沿いのバスに乗れる「黄金路ルート」、伊豆急行と半島内陸部(天城越え、河津七滝など)のバスに乗れる「山葵路ルート」があり、いずれも土肥~清水のフェリーとの組み合わせなので迷ったが、西海岸の土肥には行ったことがなかったのでこのルートを選んだ。
伊豆箱根鉄道の車内は以前はJRの近郊車両で見られたセミクロスシート。ボックス席に座り、前の席に脚を投げ出すのがよい。まずは三島の市街地を抜け、田園風景に入る。
三島からおよそ25分走って、8時20分、韮山の一つ先の伊豆長岡に到着。ここで下車する。長岡温泉への玄関駅ということもあってか観光色のある駅である。駅内にも土産物屋を揃えたコンビニがある。これから目指す世界遺産へは、日中ならコミュニティバスやレンタサイクルも利用できるそうだが、この時間ではいずれもやっておらず、歩いて30分の距離である。
その世界遺産とは、韮山反射炉である。高校の歴史の時間に「韮山反射炉」「江川太郎左衛門」という名前だけは暗記したことである。ただそれだけのことで、どういうものかは正直理解していなかった。大砲を造るための炉であったとしても、それで江戸幕府が大砲をどんどん製造して外国列強や薩長連合に相対したということもなく、「韮山にそういうのがあるんやな」という印象だけである。
ところが、昨年(2015年)7月に、「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産に登録決定され、その中に韮山反射炉が含まれたことで、急に注目を集めるようになった。この「明治日本の産業革命遺産」とは、紹介サイトによれば、製鉄・製鋼、造船、石炭産業について、「西洋から非西洋への産業化の移転が成功したことを証言する産業遺産群により構成される」とある。特徴的なのが「この建物単体」「このエリア一帯」という、限定されたものではなく、九州を中心に複数の県の案件を一括して登録していることである。最も有名なのは長崎の軍艦島と言える。後は同じ長崎のグラバー邸、三菱長崎造船所、八幡製鉄所、三池炭鉱、鹿児島の集成館などがあるが、九州以外には萩の松下村塾があり、他にも釜石の橋野鉄鉱山、韮山の反射炉などと合計23ある。
個人的には産業遺産というジャンルは好きだし、長崎の軍艦島などは見た感じも歴史的背景も特異なものだと思うところだが、こういう形で世界遺産にするのはどうかと思う。まあ、最近はあちこちに世界遺産が広がっているから、いずれも「単体」での登録というのは難しいものだろう。だから歴史を成り立たせるために、エリアをまたいで、さまざまな説得材料を並べるということだろう。萩の松下村塾が入っているのは、時の首相の思惑が入っているのかなと邪推してしまうのだが、日本の近代化は薩長両藩の人材が中心になったことを考えると、そうした人材を輩出したところも加わるのかなと思う。
今年の7月にも、東京の国立西洋美術館が世界遺産に登録決定したが、これなどは7ヶ国にまたがる案件で、国どころか大陸もまたいでいる。フランスの建築家、ル・コルビュジェの作品ということで、その一つである。
伊豆箱根鉄道でもそれを祝う、PRする看板が掲げられていた。地域を挙げて歓迎するムードがある。駅まで2キロ弱となれば歩くしかない。伊豆長岡の駅にもコインロッカーがあったが、早朝に静岡駅のロッカーに入れていてよかった。田園地帯の中を歩き、少し坂を上ると製茶工場が見えてくる。その敷地の一角にも見えるところに売店がある。
そして振り返ると反射炉の建物があるのだが、正直、「え?これだけ?」と思った。煙突が2本ある炉の本体だけが公園の中に建っている感じだ。パンフレットによれば、当時は反射炉の周りに炭小屋、鍛冶小屋、砲台小屋などがあり、隣接する川から水を引いて動力とした水車小屋もあったそうだ。なるほど産業遺産、文化遺産としては貴重な価値のあるものだと思う。ただ世界遺産と言われると・・・どうも違和感を覚えるのである。
それでも世界遺産となれば多少は観光客も訪れるもので、ボランティアによるガイドのサービスはある。また隣接して資料館も建設中のようである。ただ、今のところは反射炉を見るだけなら10分あればいいかなというくらいにしか思えない。
反射炉に隣接する製茶工場の茶畑が裏手にあり、この一角を展望台として開放している。ここから反射炉を見ると、天候が良ければバックに富士山を見ることができるそうだ。この日は何も見えなかったので、そこのパネル写真でイメージする。富士山も世界遺産であり(富士山単体での世界自然遺産が諸般の事情で認められず、昔からの富士山信仰などの歴史的背景をつけて世界文化遺産として認められたものだが)、奇しくも世界遺産2件の揃い踏みである・・・。
韮山反射炉の見物時間をある程度見込んでいたのだが、あっさりと終わってしまった。予定の列車まではまだ時間がある。このまま伊豆長岡駅に戻ってもいいのだが、一つ思いついたのが、韮山駅まで歩くこと。駅間の距離は短いので、伊豆長岡まで歩くのに少し距離を足す程度である。韮山駅を目指す途中には、源頼朝が平治の乱で捕えられた後に流された蛭ヶ小島の史跡がある。歴史的にはこちらのほうが有名ではないだろうか。
函南停車場反射炉線という名がある県道136号線。愛称は「反射炉・富士見ロード」という、2つの世界遺産を意識した名前である。こちらも反射炉の世界遺産登録ということで道路拡張の工事中である。世界遺産登録ブームも一段落しているのではないかと思われる中、これから観光客の数がどこまで伸びるか不透明な中、こうした公共工事は確実に行われている。まあそれで利便性が向上すればよいのだが・・・。
蛭ヶ小島の史跡に到着。ここも周辺の歩道に韮山の歴史紹介のパネルが埋め込まれていたり、公園の中に源頼朝と北条政子の夫婦像(最近建てられたもの)がある。こちらも「こんなものか」と眺める。朝に三嶋大社に参拝した時、時間が早かったので入ることはなかったが、そこの宝物館にでも行けばよかったかなと思う。まあ、でも韮山という町(自治体としては伊豆の国市である)も一般にはそう来ることのないところであり、私として伊豆半島の中に新しく一歩を残したということでよかった。
言っておくが、決して「反射炉」そのものをディスっているわけではない。世界遺産のあり方に少し疑問を持っているだけで、反射炉の持つ史跡、産業遺産としての価値は素晴らしいものであることを、最後に改めて記しておく。
韮山から修善寺行きの列車に乗り、こちらは久しぶりとなる修善寺に到着。以前は温泉地に行ったり、源頼家の悲劇で知られる修禅寺(寺は「禅」の字を使う)を訪ねたりしたことがあるが、今回はバスの乗り換えですぐに出発する。目指すのは西海岸の土肥ということで・・・。
この日購入したのは「伊豆ドリームパス」の「富士見路ルート」2800円。伊豆箱根鉄道、東海バス(修善寺駅~松崎間)が一日乗り放題なのに加えて、土肥~清水のフェリーに1回乗ることができる。フェリーだけで2300円だから、結構お得である。この日の行程の決め手はこのフェリーで、時刻表をあれこれ検討した結果、先に伊豆半島を回り、最後に清水に戻ることにした。このパスは他に伊豆急行と伊豆半島の海岸沿いのバスに乗れる「黄金路ルート」、伊豆急行と半島内陸部(天城越え、河津七滝など)のバスに乗れる「山葵路ルート」があり、いずれも土肥~清水のフェリーとの組み合わせなので迷ったが、西海岸の土肥には行ったことがなかったのでこのルートを選んだ。
伊豆箱根鉄道の車内は以前はJRの近郊車両で見られたセミクロスシート。ボックス席に座り、前の席に脚を投げ出すのがよい。まずは三島の市街地を抜け、田園風景に入る。
三島からおよそ25分走って、8時20分、韮山の一つ先の伊豆長岡に到着。ここで下車する。長岡温泉への玄関駅ということもあってか観光色のある駅である。駅内にも土産物屋を揃えたコンビニがある。これから目指す世界遺産へは、日中ならコミュニティバスやレンタサイクルも利用できるそうだが、この時間ではいずれもやっておらず、歩いて30分の距離である。
その世界遺産とは、韮山反射炉である。高校の歴史の時間に「韮山反射炉」「江川太郎左衛門」という名前だけは暗記したことである。ただそれだけのことで、どういうものかは正直理解していなかった。大砲を造るための炉であったとしても、それで江戸幕府が大砲をどんどん製造して外国列強や薩長連合に相対したということもなく、「韮山にそういうのがあるんやな」という印象だけである。
ところが、昨年(2015年)7月に、「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産に登録決定され、その中に韮山反射炉が含まれたことで、急に注目を集めるようになった。この「明治日本の産業革命遺産」とは、紹介サイトによれば、製鉄・製鋼、造船、石炭産業について、「西洋から非西洋への産業化の移転が成功したことを証言する産業遺産群により構成される」とある。特徴的なのが「この建物単体」「このエリア一帯」という、限定されたものではなく、九州を中心に複数の県の案件を一括して登録していることである。最も有名なのは長崎の軍艦島と言える。後は同じ長崎のグラバー邸、三菱長崎造船所、八幡製鉄所、三池炭鉱、鹿児島の集成館などがあるが、九州以外には萩の松下村塾があり、他にも釜石の橋野鉄鉱山、韮山の反射炉などと合計23ある。
個人的には産業遺産というジャンルは好きだし、長崎の軍艦島などは見た感じも歴史的背景も特異なものだと思うところだが、こういう形で世界遺産にするのはどうかと思う。まあ、最近はあちこちに世界遺産が広がっているから、いずれも「単体」での登録というのは難しいものだろう。だから歴史を成り立たせるために、エリアをまたいで、さまざまな説得材料を並べるということだろう。萩の松下村塾が入っているのは、時の首相の思惑が入っているのかなと邪推してしまうのだが、日本の近代化は薩長両藩の人材が中心になったことを考えると、そうした人材を輩出したところも加わるのかなと思う。
今年の7月にも、東京の国立西洋美術館が世界遺産に登録決定したが、これなどは7ヶ国にまたがる案件で、国どころか大陸もまたいでいる。フランスの建築家、ル・コルビュジェの作品ということで、その一つである。
伊豆箱根鉄道でもそれを祝う、PRする看板が掲げられていた。地域を挙げて歓迎するムードがある。駅まで2キロ弱となれば歩くしかない。伊豆長岡の駅にもコインロッカーがあったが、早朝に静岡駅のロッカーに入れていてよかった。田園地帯の中を歩き、少し坂を上ると製茶工場が見えてくる。その敷地の一角にも見えるところに売店がある。
そして振り返ると反射炉の建物があるのだが、正直、「え?これだけ?」と思った。煙突が2本ある炉の本体だけが公園の中に建っている感じだ。パンフレットによれば、当時は反射炉の周りに炭小屋、鍛冶小屋、砲台小屋などがあり、隣接する川から水を引いて動力とした水車小屋もあったそうだ。なるほど産業遺産、文化遺産としては貴重な価値のあるものだと思う。ただ世界遺産と言われると・・・どうも違和感を覚えるのである。
それでも世界遺産となれば多少は観光客も訪れるもので、ボランティアによるガイドのサービスはある。また隣接して資料館も建設中のようである。ただ、今のところは反射炉を見るだけなら10分あればいいかなというくらいにしか思えない。
反射炉に隣接する製茶工場の茶畑が裏手にあり、この一角を展望台として開放している。ここから反射炉を見ると、天候が良ければバックに富士山を見ることができるそうだ。この日は何も見えなかったので、そこのパネル写真でイメージする。富士山も世界遺産であり(富士山単体での世界自然遺産が諸般の事情で認められず、昔からの富士山信仰などの歴史的背景をつけて世界文化遺産として認められたものだが)、奇しくも世界遺産2件の揃い踏みである・・・。
韮山反射炉の見物時間をある程度見込んでいたのだが、あっさりと終わってしまった。予定の列車まではまだ時間がある。このまま伊豆長岡駅に戻ってもいいのだが、一つ思いついたのが、韮山駅まで歩くこと。駅間の距離は短いので、伊豆長岡まで歩くのに少し距離を足す程度である。韮山駅を目指す途中には、源頼朝が平治の乱で捕えられた後に流された蛭ヶ小島の史跡がある。歴史的にはこちらのほうが有名ではないだろうか。
函南停車場反射炉線という名がある県道136号線。愛称は「反射炉・富士見ロード」という、2つの世界遺産を意識した名前である。こちらも反射炉の世界遺産登録ということで道路拡張の工事中である。世界遺産登録ブームも一段落しているのではないかと思われる中、これから観光客の数がどこまで伸びるか不透明な中、こうした公共工事は確実に行われている。まあそれで利便性が向上すればよいのだが・・・。
蛭ヶ小島の史跡に到着。ここも周辺の歩道に韮山の歴史紹介のパネルが埋め込まれていたり、公園の中に源頼朝と北条政子の夫婦像(最近建てられたもの)がある。こちらも「こんなものか」と眺める。朝に三嶋大社に参拝した時、時間が早かったので入ることはなかったが、そこの宝物館にでも行けばよかったかなと思う。まあ、でも韮山という町(自治体としては伊豆の国市である)も一般にはそう来ることのないところであり、私として伊豆半島の中に新しく一歩を残したということでよかった。
言っておくが、決して「反射炉」そのものをディスっているわけではない。世界遺産のあり方に少し疑問を持っているだけで、反射炉の持つ史跡、産業遺産としての価値は素晴らしいものであることを、最後に改めて記しておく。
韮山から修善寺行きの列車に乗り、こちらは久しぶりとなる修善寺に到着。以前は温泉地に行ったり、源頼家の悲劇で知られる修禅寺(寺は「禅」の字を使う)を訪ねたりしたことがあるが、今回はバスの乗り換えですぐに出発する。目指すのは西海岸の土肥ということで・・・。