今日の大阪は朝から晴天で暑かったのだが、四国では相変わらずの大雨。普通天気は西から東へと移るものだが、こうして雨雲が居座るというのはどういうものかと思う。何もかもが極端な方向に走る最近の世相を表しているのではないだろうか。
さて、大正ドームでの「夏の陣」の観戦を結局あきらめてのサイコロしりとり。(本当はある方と行こうという話をしていたのだが、仕事のご都合で流れてしまった。一人観戦でもよかったのだが、まあええかという感じで私も取りやめた。結果はご覧の通りで気分的にはまあまあというところだが・・・)
前回は江井ヶ島の「ま」で終わり、次の始まりは京阪本線の牧野。枚方市から2駅京都方面寄りである。「ま」で始まる駅にはこれまで行くことが多く、いずれはこの牧野にも降り立つことは想定していた。ただ前の記事で「あまり気乗りがしない」というようなことを書いたのにはある理由がある。それは後で書くとして。
京阪の淀屋橋から準急に乗る。この後に出る特急に乗ってもよいのだが、枚方市から先はやはり同じ準急に乗り換えることになる。ならば始発から座って行こうということで、ロングシートながらゆったりとした時間を過ごす。天気は雨模様の予報。朝のうちはまだ降っていないがムシムシとする。冷房の風を受けながら、列車に揺られて読みさしの本に目を落とすのもいいものである。
牧野に到着。典型的なベッドタウンという感じの駅である。周辺の施設としては関西医科大学とか大阪歯科大学のキャンパスなどが挙げられるが、大学のキャンパスまで行ってどうするというものではない。改札の外にあった周辺地図で、歩いて5分くらいのところに牧野公園というのがあるようで、とりあえずそこに行くことにする。
こちらの公園では前日に夏祭りが行われたようで、地元の人たちが櫓を撤去したり、清掃を行っていた。園内のあちらこちらにビールの紙コップやたこ焼きの皿などが散乱している。祭りの時はゴミ箱も用意されていただろうが、やはり一部の心無い人や、酔っ払いとなるとゴミをその辺に撒き散らしてしまう。宴の後、日曜朝独特の気だるさを見たように思う。ご苦労さまである。
そんな公園の中央には何やら墓石のような、塚のようなスペースがある。回り込むと新しい感じの石碑があり、「伝 阿弖流為 母禮之塚」とある。アテルイとモレ。彼らは平安初期、坂上田村麻呂の蝦夷征伐の折り、蝦夷の首長と副将として戦ったが、結局降伏した。田村麻呂は2人を連れて都に凱旋したが、2人の武人としての人格に感心して朝廷に助命を嘆願する。しかし聞き入れられず、2人は河内で処刑された。処刑の場所にはいくつかの説があるようだが、有力なのがこの牧野の地であったという。石碑建立の協賛者には枚方市の関係者のほか、阿弖流為の故郷である岩手県は奥州市の名前も連なっていた。1200年以上も前の出来事であるが、大阪と岩手との意外なつながりである。
私が日本史で習った頃は、どうしても蝦夷というのが未開の部族で、それを征服する京の朝廷軍こそが正義であるというニュアンスであったのだが(後々、武家政治の幕府の最高位が「征夷大将軍」ということにも現れる)、近年のさまざまな研究では蝦夷側から見た歴史というのも語られるようになり、高橋克彦氏のような「東北史観」とも言える歴史小説もいろいろと発表されている。中でも、政治の非情な面になって坂上田村麻呂と阿弖流為、母禮の武人同士の友情というのもあっていいだろう。
ただ、処刑の場所がこの地というのはどういう理由があったのだろうか。都の人たちに見せしめとするのならそれこそ京の近くでもいいように思う。ネットで検索するに、「故郷である東北の地に似た風景が広がっているから」という説もあったのだが、果たしてどうなのだろうか。前夜に行われた夏祭りは、蝦夷の武将にも慰みになったことだろう。
この塚に隣接して神社がある。「河州一の宮」ということで「片埜神社」とある。一の宮か・・・あれ?河内の一の宮は枚岡神社ではなかっただろうか。そもそもはその名の通り交野地方の鎮守の神様として信仰を集めていたのだが、これを修築したのが豊臣秀吉・秀頼親子である。ちょうど大阪から見た鬼門、北東の方面を守るという意味合いがあったそうだ。一の宮というのは、いわゆる旧国名ごとに定められた一の宮ではなく、「交野の」一の宮として昔から呼ばれていたものが残っているものだとか。
このため、社殿も昔ながらのものというよりは桃山時代の様式を取り入れており、現在に受け継がれているとして重要文化財に指定されている。
片埜神社という由緒ある神社もなかなか風情があるが、私には阿弖流為のほうが意外な発見ということで一つためになった。やはりいろいろな駅に訪れてみるものである。
で、通常ならばここで次の駅のサイコロ・・・となるのだが、今回はそれは省略。それが当初気乗りがしなかった理由である。この次は、同じ京阪本線の野江である。「の」で始まる駅がそもそも「野田(阪神本線)」と「野江」しかなく、野田は以前に出ていたため、自動的に野江に行くことになるのだ。野田阪神や野江内代があるやないかと言う方もいらっしゃるかもしれないが、この企画では市営地下鉄は訪問駅から除外しているため対象外である。さらにその次の「え」も、選択肢がかなり限られている。だから先のルートがある程度読めてしまうのだ。
先ほど通って来た駅だし、そのまま淡々と戻ることにする。よかったのはやって来た準急が転換クロスシート車で、ゆったりしたシートに腰かけてまずは守口市まで出る。そこで各駅停車に乗り換えて大阪市内に戻り、駅間距離の極端に短い区間を走る。中でも最も短い土居、滝井の両駅も今回の企画で訪れた。ここで、野江に降り立つ・・・。
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