誘致に参加した時から不純

2021年06月22日 10時57分36秒 | 東京2020
昨日は地球文化論的な面から「東京2020」の開催に反対した。今日はもっと近い所での「反対したくなる思い」を書く。
そして国民が何を言っても、中止・延期を希望する人が過半数を超えていても、「やる」らしいからもう何も言いたくない。言っても無駄だし、言っただけ空しくなるからね。
「東京2020」に対する意見はこれを最後にする。

今までも触れてきたし、今回も触れさるを得ないだろう不可解な現状について、昨日から改めて考え直してきた。それら現状には共通する本質があって、それがある限りどう言われても絶対賛同できない基を探したんです。見つけましたよ。 「東京2020はそのスタートから理念が無く、全てが不純だった」ということじゃないでしょうか。
解りやすく言えば「誘致することが目的」「開催する事が目的」で「お祭りとしての本質」に対する理念と敬意が全く無かったということです。だから「国をあげての成功させようムード」を作れずに来たし、作れるはずもなかった。
そこに降って湧いたパンデミックだ。それなりに順調な開催だったら表面化しなかったかもしれないいろんな矛盾が一機に顕在化してしまった。どう繕っても隠しきれない程に。そして増々国民の「五輪離れ」に繋がっていった。
また神がかるが、こんなやり方 神が許すはずがないと思う。おそらくどんどん困難な状況が発生してくると予測するがな。

誘致では怪しい金が動いたよね。当時の組織委員長はこの問題のもみ消し目的で辞任したよね。
安倍さんは「原発事故から回復した日本を世界にお見せするために」と言ったよね。今の菅さんは原発回復を言わないで「ウィルスに打ち勝った証として」と言い出したよね。これが目的だったの? それでいて、「開催する事のメリット」「開催しないことのデメリット」は全く語らないよね。語れないさ、本来最初に有ってしかるべき「開催の目的、理念」が無いんだから。
国民の安全を語るなら、まず安全施策の一貫性が必要でしょう。五輪を「特別扱い」するむきが出てきましたね。おそらく選手村、その周辺、会場周辺は治外法権な空間になりますよ。
巷の居酒屋さんが明日は倒産かもとおびえてる折に、五輪の中はお酒フリーなんて施策じゃ「国民の安全」が怒るよ。
さらに日本らしい「無責任体制」。菅、西村、田村、河野、丸川、小池、橋本と大勢船頭が語りますが、だれ一人「そうなったら私が責任とってこうします。」とは言わないですよね。「皆で渡れば怖くない」運営組織ですよ。 何か起きた時、緊急対応策の決定が遅れるでしょうね。自分の保身をまず考え、美しい譲り合いをやるんだろうから。

この辺でいいだろう。もう止めておこう。要するに「こんな開催」を認めてはいかんのです。「日本人は軽薄」との評価に繋がります。軽薄は今の地球上に溢れてるとも言えますが。
そして今僕が心配してるのは 「祭典が始まると、制御効かず『見る阿呆』になってるんじゃないか」ということです。ハイ、日本人です。
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