五輪 無観客でやる意味

2021年04月30日 15時16分42秒 | 東京2020
数日前に五輪五者会談(IOC、日本政府、東京都、組織委員会)があって、もう90日を切ったというこの時期に具体性の無い開催アウトラインが表明された。地球上で最大の「祭典」ですよ。こんな状態で開催できるの? と言いたい。今国民の何%が「やれる」と考えてるだろうか? 「やりたいな」が40%、「やれる」は10%以下だと推測するが。

「無観客で開催」という話も出てきてるようだ。この「無観客」 僕は五輪の意義に反する開催形式だと考え、そんな開催なら「やる意味が無い」と考え、「中止」を選択すべきと考える。
お祭りの場が準備され、そこに自らを鍛えてきたアスリートが集い、彼らのパフォーマンスに賞賛をおくる観客が集まってくる。アスリートと観客は一体となって「平和の祭り」を演出する。そんな祭りを見ることで「何が大事なのか」「今何がたりないのか」を考える場にしようというのが「五輪開催の意義」じゃないだろうか。
上の定義を模索しながら綴ったが、「将来は無観客、映像同時配信で五輪は開催できるだろうか?」と問いながら綴ってました。この問いに対する今現在の答えは「できるが、意味をなさない」です。やはり世界中から人が集まってきて、みんなが祭りの役者になってこその五輪なんだと思うんです。今無観客でプロ野球やってますが、何か大きな物が足りないと思いませんか。「熱」なんですよ。球場から本来あるべき「熱」「興奮」が湧いてこないと僕は感じてます。もうそれは祭りではありません。ただの儀式だから強い精神性は生まれません。人々に訴える力は無いのです。

昨日今日は五輪開催を支える「医療体制」がとれる、とれないで議論が表面化してきた。総論賛成でも各論に入ったら「ここもだめ、あれもだめ」となってくるだろうな。
ひょっとしたら、関係者皆が「誰かが『辞めよう』と言い出すだろう」と見合ってる状態なのかもな。 国のメンツが潰れるような形にはしないでくださいよ。
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