






昨日都心に出て2つの展覧会を観てきた。
一つは 国立近代美術館での「恩地孝四郎展」、 もうひとつは 六本木森美術館での「村上隆の五百羅漢図展」。
当初は午前午後でそれぞれを観る予定だったが、急に御近所の葬儀が入り、午前中は葬儀に参列。12時半出発で2つをまわってきた。
竹橋、六本木と回る方が移動しやすそうなのと、観て精神的に疲れるのは五百羅漢の方と判断しての順。まず「恩地展」へ。
恩地さんを知ってたわけではない。先日のTV「日曜美術館」で紹介されてて、観たくなった展示会だ。版画作家で晩年は身の周りにあるいろんなものに色を着けて紙に写し取ったようだ。こう書くと「軽そう」な感じになっちゃうが、いやいや才能があふれて「可能性に挑戦」したと言った方があたってるかもしれない。版画独特の柔らかい色合い、作家の感性そのものの形、多くを描かないが魅了される力は十分感じた。いつもだけど、作品のシンプルさから受ける「出来そう」感がまた湧いて来た。「こんな色、形 作れるぞ」。 こうだから困る、が「描こう」の刺激だと思えば。まっていいか。
そこから六本木へ。ヒルズ森タワーの53階。先日の旗日に知人が行った。エレベータの待ち時間が1時間だと言われ、3階で1時間待ったのだと思う。平日とはいえ、ある程度の混雑は覚悟してたが、全然混んでない。入場券を買うのに3階でちょっと並ばされたかな。でもそこを通過すれば上りのエレベータは4人で出発しちゃうほど。中も混んでない。
この美術展は写真Okというので撮ってきた一部が上の7枚。想像通り圧巻でしたね。大きいというだけでもう圧倒される。強烈なエネルギーを感じたね。村上隆は異才だと思います。但しこの作品は彼が描いたものではないです。こういう作品を作りたいと企画して、描きたいという学生を200人集めて組織し、指揮監督して作ったようです。村上さんと画家さんの間で使われたであろう「指示書」も多く展示されてました。「指示通りやれ! ボケ~」と書かれたものもありましたよ。写真先頭の「気味悪い坊主」 入口に突っ立ってるんです。これがなかなかリアル。突然口、眼を動かしてお経を唱えのです。顔は村上さんが自分を意識して作ったね。ここで別世界に落とされて、出口出るまで自らが羅漢の1人にさせられてる。そいう美術展でした。
一時「別世界の羅漢さんになって」絵の中から世を観るのもいいものですよ。3月6日までです。行くなら平日の午前中じゃないだろうか。
何をするにも若さは必要なれど、若さがある時は暇と金がなく、暇と金が手に入ったときは体力が減少している。こんなことなくば、人類の文化はもっと進んでいるだろうに。
昨日の一日留守番も疲れた。今日やっとコメンテーター復活。
まず、五百羅漢さんの方から、ポスターを見たとき、俵屋宗達の風神雷神の顔が浮かんだ。漫画チックで面白そうと思ったが、まじめに宗教を感じる絵でした。中世や、ルネッサンス期の工房を思わせる作り方なるも、人集め金集めをよくやったものだ。
リンクをありがとう、自分から積極的に興味を持ったものではなかったので、こういう機会があると関心を持つものだ。360度のパノラマは臨場感満点で、絵の大きさ、会場の広さ、行った気分になる。青森のねぷたや、浮世絵のあでやかな色使い、北斎の大胆な構図や漫画的な題材(玉ねぎを囲む波のような線、目玉のような生き物)琳派から近世の日本画の流れと踏襲した作品と見た。ひと時、スマイルできる絵ではある。
恩地さんの方は、あまり、インパクトを感じないが、本物を見ると別な感動はあるだろう。ネットの絵を見た限りでは、マリー・ローランサンの淡い色と曲線の美、フェルナンレジェの直線を彷彿させられたが、日曜美術館は見逃したか、印象がはっきりしない、私の趣味に合わなかったか、抽象画自体合わないのか、でも、「身近なものをなんでも取り入れる」のフレーズは少々記憶にある。とすると、インフルでやられた頭の回復が遅いせいで、人生、ある損をしたことになる。
恩地さんは貴女の印象わかるような気がする。かれの版画は版画だけに本物を見ないと「良さ」「面白さ」は伝わらないかもしれない。版画以外も、例えば油で描いた自画像なんかも何点かありました。そんなのもみて「恩地世界」だからね。
それとここまで言っていいかだけど、「貴女好み」じゃないかもね。もうちょっと強いのがお好きかと思って。
「時間」「金」「体力」の相関関係はごもっとも。一番無い物のレベルに合わせるしかないのでしょう。時間と体力は努力でちょっとは増やせるかもね。「努力」も相関のファクターだな。
明日はひさしぶりの歌練。美人指揮者と1年ぶりくらいに会える。そこが楽しみ。