

自ら「よしっ、観に行こう」と思いたたないだろう「日本画」の美術展を観てきた。今回の横浜そごうデパートでの展示は「福井県立美術館」所蔵の日本画60点が観られるものだった。
友人が「君は福井生まれの福井育ち。郷里の美術館が所蔵してる作品を知らずでいいのか」と糾弾しつつ、招待券を贈ってくれた。こう言われ、招待券までいただいて、観ないというわけにはいかんでしょう。でも基本は日本画、大した期待感も持たないで横浜に出掛けた。
日本画というと「掛け軸」「屏風」、寺社仏閣にある絵を連想し、「昔の絵画」という連想は止められない。そんな僕ですが、最初に展示されてた10数点は僕が生まれてからの作品だった。技法、画材が「日本画」の範囲だから日本画に分類されてるのだろうが、新しい物を観た感だった。先入観というのはいかんですね。もっと素直に向かうべきだと痛感した。どういう材料でどういう技法を使って描くかは問題じゃなく、何を表現するかが問題ですよね。
そして今回の展示の目玉、菱田春草の「落葉」(1910年頃の作)を観た。いや~ もう感激ものでした。しばらく見入りました。なんとも柔らかい。この作品はもう忘れられない作品になるだろう。
嬉しいですね、こういう刺激を受けられるのは。
福井に行った時もありましたが、美術館の存在を知らず、素通りでした。私も、この機会がなくば、一生見なかったかもしれません。この作品以外にも心に残る作品ありで、いずれ書かせてもらいまひょ。
地方の美術館の底力、偉大なりき、です。こらから、この福井県立美術館をかわきりに、地方の美術館の所蔵品を展示する企画をスタートさせて行くそうです。横浜で、見られるなんて幸運です。知らない目玉作品、いっぱいありましょう。うれしい刺激、楽しみです。
こんな絵を郷里の(田舎の)美術館が持ってることはちいさな、ないしょの誇りですよ。
そうなんですか、そごう美術館の方針ですか。考えてみると「いい企画」ですね。美術館側も企画しやすいし、相当の期間続けられる。みせていただける側にとっては居ながらにして全国の美術館めぐりができる。
今地方のちいさな美術館もしっかりした作品、作家さんを所蔵してるからな。美術館としてのプライドもあるだろうし、特徴もほしいんだろうな。ともかく我々にとってはありがたいこと。「そごうは要注意」ですね。
そうなんです。こうしておくと資料をファイリングしておく必要がないんです。人様の記憶媒体を使って電子ファイルでしまっておける。そうなんですよ。
僕がお亡くなりになっても息子君の手を煩わせない。
台紙は8号のカンバス。その気になったら描きだすためのストック。下色だけを入れてある。
そろそろ写真に挑戦でしょうか。
ところで、昨日の集合写真に、めづらしく被写体になってましたね。マフラーの縞柄が暖かそうで、コートの色とよくマッチしてましたね。芸術家はこーでぃねーと、いけねーね。
カンバスはですね、薄い水彩絵の具で模様をつけてます。この上から油で変な形を描くのをやってます。その仕掛かり品だったわけ。
集合写真は「流れ」でしたね。「見学記念にみなさんでお写真いかがですか?」の誘いに乗った結果。自分がでないことが「特権」だったのにな。
生温かい日だな。気持ち悪い。かえって体に悪いぞ。
まだ、インフルの後遺症が居座っているのは、きづかない私の悪行のなせる業かと、「歎異抄」を少々ひも解くも、よくわからん。そこで、閃いたのが「因果応報」です。善行の手始めに、他人の良い所を積極的に探して称賛する、さすれば、天はそれを見ていて、私によい光を反射してくれる。これが、褒めちぎった、いきさつです。これも、他力本願でしょう。
それはよっぽど誉めちぎらないと仏は動かんよ。
もう88回目だとすると若くして亡くなられてることになる。それでも子は父の命日を忘れず、年数を勘定する。子の執念か愛か。ともかく凄い。そんな情はもう消えていくものだろうな。
実家の仏壇には、菩提寺の住職が書いてくれた日ごとの過去帳があり、それで、その日は誰の命日か、知るわけです。浄土真宗の底力です。
今日の暖かい日でも、インフル後遺症はいまいち、文筆活動も進まず、まだまだ、修行がたりませんなあ。
そういう僕もここんとこ喉にタンがからむのにこまってます。朝の寝起き時が一番ひどい。今の痛みを感じるほど。切るろうとするけどしつこい。「龍角散」で一時軽くなるが、1時間もするとまたからむ。風邪っ気なんだろうか。歌うのが辛くなるのがこまる。
うちの過去帳はははの手造り。じいさん、ばあさん、叔父さん、おばさん、従兄妹までかな。でも重宝してます。