税制の審議の中で「配偶者控除」がとりざたされた。結局「平成30年1月から配偶者の年収が103万円を150万に引き上げようか」で審議は終わったようだ。
「実に中途半端な議論、仮の結論」だと思えてしょうがない。
「もっと働きたい妻が103万で働くのを止める。これでは今の、将来の社会に整合しないのでは」という問題意識で議論が始まったと記憶するが、それを「150万にすればいいじゃん」が回答? 103万が問題なら150万だってすぐ問題になるのが見え見えじゃないですか。
もっと本質論で議論してもらわないと国民にはしっくりこないだろうし、議論に注目する動機もわいてこないというものだ。(それが現為政者の狙いなんだろうけど)
そこで僕の考えをまとめ、読んでもらうのもいいかなとこの記事を書きだした。
ぼくの結論は「配偶者控除はもう辞めましょう」です。
何らかで稼いで生活する。生活上で経費ってあるよねで「基礎控除」がある。高齢者、障害者を扶養するので「扶養控除」がある。配偶者がいなくて子供を育てる人には「寡婦・寡夫控除」がある。
では「配偶者控除」は? 「妻の家事も負担(経費)でしょう」となって始まった控除なんでしょう。「夫は社会に出て稼ぐ、妻は家庭をきりもりする」という一昔前の社会ではそれなりの効果、価値があったものと否定はしない。しかし世の中変わりましたよ。「妻だって働きたいわ、キャリア身に着けたいわ。子育てだって夫婦共同で。」となれば「配偶者控除」の存在理由が不明確になってきてる。不明確になった制度を残すのは全体をいびつにするのは常。ここを考えないとこの問題は解決しないはず。
今別途必要な控除概念は「子供を育ててる」ことに対する控除ではないだろうか。子供を産み、育ててる夫婦は社会貢献大であるにもかかわらず、そこを社会的評価してないのではないか。
配偶者控除を止めて増える税金を「育児控除」にまわしてはどうかと考えてるのです。
(追記) 本文でうまく織り込めなかったので。
「主婦の家事を負担(経費)」と考えたスタートが間違ってたと思うのです。
どんな形式であれ万民 家事無しでは生きられない。人間が生きる以上家事付きのはず。
夫婦で生きても、2人分をどう折半してやりくってるかでしょう。
となると、家事は万民共通の負担。
それを主婦においてのみ経費とみなしたこと、かつ多く稼いだら「経費が減った」としたことが
そもそもの誤りだったと思うのです。
「実に中途半端な議論、仮の結論」だと思えてしょうがない。
「もっと働きたい妻が103万で働くのを止める。これでは今の、将来の社会に整合しないのでは」という問題意識で議論が始まったと記憶するが、それを「150万にすればいいじゃん」が回答? 103万が問題なら150万だってすぐ問題になるのが見え見えじゃないですか。
もっと本質論で議論してもらわないと国民にはしっくりこないだろうし、議論に注目する動機もわいてこないというものだ。(それが現為政者の狙いなんだろうけど)
そこで僕の考えをまとめ、読んでもらうのもいいかなとこの記事を書きだした。
ぼくの結論は「配偶者控除はもう辞めましょう」です。
何らかで稼いで生活する。生活上で経費ってあるよねで「基礎控除」がある。高齢者、障害者を扶養するので「扶養控除」がある。配偶者がいなくて子供を育てる人には「寡婦・寡夫控除」がある。
では「配偶者控除」は? 「妻の家事も負担(経費)でしょう」となって始まった控除なんでしょう。「夫は社会に出て稼ぐ、妻は家庭をきりもりする」という一昔前の社会ではそれなりの効果、価値があったものと否定はしない。しかし世の中変わりましたよ。「妻だって働きたいわ、キャリア身に着けたいわ。子育てだって夫婦共同で。」となれば「配偶者控除」の存在理由が不明確になってきてる。不明確になった制度を残すのは全体をいびつにするのは常。ここを考えないとこの問題は解決しないはず。
今別途必要な控除概念は「子供を育ててる」ことに対する控除ではないだろうか。子供を産み、育ててる夫婦は社会貢献大であるにもかかわらず、そこを社会的評価してないのではないか。
配偶者控除を止めて増える税金を「育児控除」にまわしてはどうかと考えてるのです。
(追記) 本文でうまく織り込めなかったので。
「主婦の家事を負担(経費)」と考えたスタートが間違ってたと思うのです。
どんな形式であれ万民 家事無しでは生きられない。人間が生きる以上家事付きのはず。
夫婦で生きても、2人分をどう折半してやりくってるかでしょう。
となると、家事は万民共通の負担。
それを主婦においてのみ経費とみなしたこと、かつ多く稼いだら「経費が減った」としたことが
そもそもの誤りだったと思うのです。