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「花子とアン」の最終回を見てて

2014年09月27日 09時51分00秒 | つれづれなるままに
花子が出版記念会で挨拶し、自分の人生を振り返った。

「あの悲惨な戦争の中でも耐えていればいつか朝来ると思い続けました。先の見えない道を幾度も曲がりながら今日までやってきました。それが今この本になって実ったのです。」ということを話てた。
まさに花子の生き方だったと思い返しながら見た。一方で「今の世の中はどうなんだ?」と考えた。

これ以上ないという悲惨な状態の中でもまだ先に光を見ようとする力があったんだろうな。
それは 花子の個人的な資質だったのか?
    周り全てが同等に悲惨で差がなかったからなのか?
    原因が戦争という生々しい現実だったからなのか?
    まだまだ人々が(価値観が)単純だったってこともあったろうな。

今の世の中 本当はあの戦後よりもっともっと悲惨なのではないかと思うのだ。
    ひとつの価値観におさえこもうとする力が働いてると思うし、
    それに異を唱える力が見えない。その動きさえおさえこまれてる。
    99%の人の汗が1%の人に搾取されてるし、働けど働けど苦しくなるばかりもありだし
    行き所のない人々は「危険薬物」を使い、「わが子を虐待」し、人の子を殺す。
    借金地獄だというのに金の使い道だけを考える政治。
    全く解決の糸口がない戦争は続いてる。
    取った者勝ちのような風潮も強くなってきた。

戦後は悲惨だった。でも人々を覆い潰す「暗雲」はなっか。見上げる空は青かったのだろう。だから夢も持てた。素直にその夢を追えた。
今はここが絶対的に違ってるんだと思う。「暗雲」が覆いかぶさってる。「どうしようもない」とみんなが思い、あきらめてる。諦めさせられてる面もあるだろう。それぞれが小さなはけ口を見つけて発散してる。異常を異常とも気づかすに。「自由」の使い間違いだよ。

TVドラマの晴々しい最終回でこんな思いを巡らせた。制作側の意図がまさにここだったのかも。
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