来月の今日は公演だ。練習もあと4回しかない。
昨日は初めてマエストロ宮本文昭さんが来られて、合唱指導を受けた。
まず印象だけど、先入観では「芸術家、それなりに名をなした、だからちょっと堅物」だと思ってましたが、そうでもないようでした。我々が発声練習を終わった頃におもむろにやってきて、自己紹介も自慢話のようなものを織り交ぜながら、第九のうんちくをチクリじゃないかと思ってたら、そんなのなし。練習開始1時間前から楽屋に来てて、新聞社のインタビューを受けてたとか。6時半ぴったりに舞台に現われ、「いい合唱をつくりましょう」と挨拶しただけ。「みんなの歌を聞かせて」で早速指導に入っていった。話もうまいし、団員をのせていく雰囲気作りもうまいもんだと感心。公演に向かってだんだん厳しくなるだろうと思いつつも、自分の先入観が的外れだったことにホッとした。
さて指導なんですが、もうしょっぱなに「これが合唱なんだ」と思わせる指摘が飛んできた。これまでは発音、メロディー、要するに「歌」の練習どまりだったということを全員理解したんじゃないだろうか。
最初の合唱8小節を1回歌ったあとですぐ「この8小節の流れ、抑揚、ベートーベンの想いを解って、どこに向かって歌うのかを理解しよう」と言いながら、あえて大げさにアクセントの付け方を指導された。さらに「みんなの歌い方はお坊さんのお経と同じ。うちの祖父は敬虔な仏教徒だったんだけど、朝から晩まで仏壇の前でお経あげてた。あれみたい」というのです。「やり過ぎと思うかもいれないけど、こんな感じで抑揚をつけよう。ドラマ性がつくし、歌に厚みがつくんだ」とおっしゃる。
言われてすぐできるわけじゃないけど、それなりにやってみるとうまくなったように聞こえるから不思議だ。ここで力を発揮したのは助っ人のセミプロさん達。彼らはこういう指導には慣れてるし、その技術も持ってる。われわれとは反応が違う。
各フェーズこんな調子で教えていく。結局昨日は後半の1/3は歌わずじまい。それだけ指導ポイントが多かったということだろう。もっと発音とか子音の前処理のこととかを細かく言われるかと思ってたが、そんなレベルはなし。歌のドラマ性の追求が指導の主だった。
「うん、これが合唱だ」と全員が思っただろう。練習時間があと30分くらいになった頃、ここで休憩をいれるかが問題になった時、女性の中から「続けましょう」という声があがってそのまま続けた場面があった。みんなそれなりに「酔った」んじゃないかな。
こういうことなんですね。指導者の力、合唱のおもしろさ、第九の凄さ 改めて認識させられた練習でした。楽譜は赤ペンの注意書きでひどいものになってきた。言葉で注釈してもだめで、自分なりの記号や線で指導内容を表現する工夫をしてる。
次回は来週の木曜日だ。復習をしっかりやっておこう。
昨日は初めてマエストロ宮本文昭さんが来られて、合唱指導を受けた。
まず印象だけど、先入観では「芸術家、それなりに名をなした、だからちょっと堅物」だと思ってましたが、そうでもないようでした。我々が発声練習を終わった頃におもむろにやってきて、自己紹介も自慢話のようなものを織り交ぜながら、第九のうんちくをチクリじゃないかと思ってたら、そんなのなし。練習開始1時間前から楽屋に来てて、新聞社のインタビューを受けてたとか。6時半ぴったりに舞台に現われ、「いい合唱をつくりましょう」と挨拶しただけ。「みんなの歌を聞かせて」で早速指導に入っていった。話もうまいし、団員をのせていく雰囲気作りもうまいもんだと感心。公演に向かってだんだん厳しくなるだろうと思いつつも、自分の先入観が的外れだったことにホッとした。
さて指導なんですが、もうしょっぱなに「これが合唱なんだ」と思わせる指摘が飛んできた。これまでは発音、メロディー、要するに「歌」の練習どまりだったということを全員理解したんじゃないだろうか。
最初の合唱8小節を1回歌ったあとですぐ「この8小節の流れ、抑揚、ベートーベンの想いを解って、どこに向かって歌うのかを理解しよう」と言いながら、あえて大げさにアクセントの付け方を指導された。さらに「みんなの歌い方はお坊さんのお経と同じ。うちの祖父は敬虔な仏教徒だったんだけど、朝から晩まで仏壇の前でお経あげてた。あれみたい」というのです。「やり過ぎと思うかもいれないけど、こんな感じで抑揚をつけよう。ドラマ性がつくし、歌に厚みがつくんだ」とおっしゃる。
言われてすぐできるわけじゃないけど、それなりにやってみるとうまくなったように聞こえるから不思議だ。ここで力を発揮したのは助っ人のセミプロさん達。彼らはこういう指導には慣れてるし、その技術も持ってる。われわれとは反応が違う。
各フェーズこんな調子で教えていく。結局昨日は後半の1/3は歌わずじまい。それだけ指導ポイントが多かったということだろう。もっと発音とか子音の前処理のこととかを細かく言われるかと思ってたが、そんなレベルはなし。歌のドラマ性の追求が指導の主だった。
「うん、これが合唱だ」と全員が思っただろう。練習時間があと30分くらいになった頃、ここで休憩をいれるかが問題になった時、女性の中から「続けましょう」という声があがってそのまま続けた場面があった。みんなそれなりに「酔った」んじゃないかな。
こういうことなんですね。指導者の力、合唱のおもしろさ、第九の凄さ 改めて認識させられた練習でした。楽譜は赤ペンの注意書きでひどいものになってきた。言葉で注釈してもだめで、自分なりの記号や線で指導内容を表現する工夫をしてる。
次回は来週の木曜日だ。復習をしっかりやっておこう。