原発の是非を住民投票にかける条令を作ってほしい とする署名運動が東京都と大阪府で行われ、数日前東京でもその必要数に達したと報道された。
これに対して石原都知事が以下のコメントを出し、取りあわない姿勢を示した。
「挫折、失敗、事故を体験し、克服しながら文明が進歩してきた」
「対案を持たなければセンチメントの域を出ない」
「作れるわけはない、作るつもりもない」
これを聞いて、石原さんも「頑固な爺さんで、時代遅れで、もうひっこむべきだな」と思ったのです。自分が過ごしてきた良き時代の成功体験に基づく価値観に偏ってると思います。おっしゃってる事が間違ってるとは思わないのですが、もっと柔軟で寛容な価値観を持っていただきたいものです。
公正な選挙で選ばれた都知事だから全ての権限があるとするのはもう古いんじゃないでしょうか。変化の激しい今の社会、状況はどんどん変わっていくし、庶民の価値観も変化していく。ましてや「絶対安全」といわれてきた原発の是非、しかも自分達の電気のために関係ない田舎のおじちゃんおばちゃんが生活を破壊された現実を見せられたところで、「自分達の今と将来を考えよう」との提案をあっさり門前払いできる権限はないと思うのです。その権限があるとするなら、そのシステムそのものがもう古いのではないか、そんなふうに考えるのです。
むしろ今回の提案を受けて、世論を高め、住民自らに将来の選択をゆだねて行く、そうもっていくのがこれからの政治だと思うのです。
今回の提案を受けることは都の行政を直接左右するものでないはずです。投票結果の効力はこれから議会で決めればいいわけだし、東電の大口利用者として「原発の是非」を討論することはむしろ義務ではないでしょうか。
「動かない政治」を見せつけられてる昨今、中長期の国の将来像に係わる案件は国民投票にかける制度にしてはと夢想してます。政治屋に多少なりとも緊張感が生まれるだろうし、国民の側にも自治の意識が高まるだろうと期待するからです。そういう新民主主義社会に向けた実験として今回の提案をとりあげてほしいのです。
石原さん 今回の提案は貴方が生きてる時代の問題じゃないんですよ。貴方の孫が生きる時代の国の在り様の問題なんです。昭和の価値観が通用する時代ではないでしょう。
これに対して石原都知事が以下のコメントを出し、取りあわない姿勢を示した。
「挫折、失敗、事故を体験し、克服しながら文明が進歩してきた」
「対案を持たなければセンチメントの域を出ない」
「作れるわけはない、作るつもりもない」
これを聞いて、石原さんも「頑固な爺さんで、時代遅れで、もうひっこむべきだな」と思ったのです。自分が過ごしてきた良き時代の成功体験に基づく価値観に偏ってると思います。おっしゃってる事が間違ってるとは思わないのですが、もっと柔軟で寛容な価値観を持っていただきたいものです。
公正な選挙で選ばれた都知事だから全ての権限があるとするのはもう古いんじゃないでしょうか。変化の激しい今の社会、状況はどんどん変わっていくし、庶民の価値観も変化していく。ましてや「絶対安全」といわれてきた原発の是非、しかも自分達の電気のために関係ない田舎のおじちゃんおばちゃんが生活を破壊された現実を見せられたところで、「自分達の今と将来を考えよう」との提案をあっさり門前払いできる権限はないと思うのです。その権限があるとするなら、そのシステムそのものがもう古いのではないか、そんなふうに考えるのです。
むしろ今回の提案を受けて、世論を高め、住民自らに将来の選択をゆだねて行く、そうもっていくのがこれからの政治だと思うのです。
今回の提案を受けることは都の行政を直接左右するものでないはずです。投票結果の効力はこれから議会で決めればいいわけだし、東電の大口利用者として「原発の是非」を討論することはむしろ義務ではないでしょうか。
「動かない政治」を見せつけられてる昨今、中長期の国の将来像に係わる案件は国民投票にかける制度にしてはと夢想してます。政治屋に多少なりとも緊張感が生まれるだろうし、国民の側にも自治の意識が高まるだろうと期待するからです。そういう新民主主義社会に向けた実験として今回の提案をとりあげてほしいのです。
石原さん 今回の提案は貴方が生きてる時代の問題じゃないんですよ。貴方の孫が生きる時代の国の在り様の問題なんです。昭和の価値観が通用する時代ではないでしょう。