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「ロボジー」を見る

2012年02月27日 09時38分44秒 | 映画・演劇鑑賞
娯楽映画のひととき期待で「ロボジー」を観てきた。開発に行き詰った担当者がロボットの中に老人を入れて周りをごまかし、一躍脚光をあびるも、つじつま合わせに苦労する話と老人故の奇想天外な人間模様で楽しませようとの作品。モチーフからは「おもしろそう」を予感させてくれた。
ところが面白くないんです。「観客を笑わせよう」が強すぎて軽いんです。ぐっと溜めた、練った、強い笑いにならんのです。最初のうちは笑えたのですが、中盤以降はもう笑えません。子供が軽い笑いを飛ばしてる程度。
僕は三谷幸喜さんが好きでよく彼の作品を観ます。今回この映画を観て、三谷さんの才能を再認識しました。人を笑わせるというのも簡単、単純なものじゃなく、それこそしっかり構想し、練りに練ってつきつめないとだめなんですね。
一方観る側の我々も目が肥えてるというか刺激を受け続けてるというのか、小手先の、薄っぺらい刺激では笑えなくなってるのでしょうね。
そう思うと、あまたいる「お笑いタレント」達も売れ続けてる「氷山の一角」達はよっぽどの才能があり、観えないところで汗と涙の苦労を重ねてるんだろうと想像できる。
「継続は力なり」という。「力なくして継続なし」これも真理なのだ。

これと同類の話。最近ある記事が読みたくて「女性週刊誌」を買った。かみさんに買ってもらったのは当然だが。めあての記事も軽かったが、雑誌そのものの中身もなんと軽いことか。この感想を友人に話したら、「君に軽くても、今まで売れ続けてるということは多くの読者に支持されてる証拠。そう感じる君の方が軽いかも」と言われた。妙に納得。目からうろこ。
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