カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ハブられた?

2018-03-16 | 散歩
 一時会も盛況に終わり、二次会に行く約束もなんとなく交わしていたのに、店を出たときに一緒にいた人と話しながら外に出て、ちょっと荷物をホテルに預けている間に、何とはぐれてしまいました。



 あわてて関係者の電話番号探したのですが、出席者で二次会に行く人の番号控えてなかったです。もうタクシーに乗って行かれたことは間違いないです。たぶん中洲のあのあたり…、という見当はついてますが、僕は基本的に夜の街の記憶はあまりない方で自信がありません。



 カミさんに電話したら、それはハブられたんじゃ、だそうです。なるほど、意味は分からないけど、そうだったのか…。



 気を取り直して、やはり一杯やるしかないですね。



 でも一人で行くとこなんて無いですよ。



 さっきまで焼酎飲んでたんですが、気分的に日本酒って感じで、日本酒おいてそうな店探して入りました。



 博多ならゴマサバでしょう。



 サラッと書いてますが、実際はなかなか店を決められなかった。飲みながらそういうことを反省。どのみち飲むんだからぱっと店が決められたらいいのにな。そうい嗅覚は僕にはぜんぜん無くて、おかげで散歩の歩数は増えていいのですが、何か自分が優柔不断でいけないような気もします。でもどうせ事前にリサーチもしない訳で、まあ、仕方のない話なのかもしれません。
 焼き魚でもう一杯いこう。



 でも飲み直したらだいぶ落ち着いていい気分。単純なものです。



 シャワー浴びてさらに飲み直したのは言うまでもありません。


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過去に戻ってやり直すとしたら   僕だけがいない街

2018-03-15 | 読書

僕だけがいない街/三部けい著(角川書店)

 漫画全9巻(最後の一巻は外伝)。主人公はタイムリープする能力があるようで、何かその場に異様なことが起こりそうなときに時間が少しだけ元に戻る。その違和感に気付くと事故を未然に防げるということだ。そのようなタイムリープを繰り返しているある時、誘拐を未然に防ぐことが出来たようだったのだが、その犯人にも気づかれた為に口封じに母親が殺されてしまう。さらにその犯人の罠にはまり、自分が母親殺しの犯人として追われる立場になってしまう。この事件の解決のために過去に戻る能力を強く望むのだったが、子供のころにあった連続誘拐殺人事件の時代まで、大きく時間が遡ってしまうのだった。
 筋だけ略するとSFミステリ作品なのであるが、お話はそれなりに複雑で、恐るべき殺人鬼の連続犯罪と、その犯罪を防ぐべく奮闘する子供たち(のちに大人にはなるが)の友情物語ということになる。最終的にどのように事件が起こるのかはある程度分かっていたとはいえ、その時間の実際がどうなるのかは正確には分かり得ていない。それは自分たちで切り開いていくしかない冒険のようなものだ。犯人は狡猾であるばかりか、その姿はなかなか分からない。そうしてやっと犯人が明かされると、またしても意外な展開を見せて現代に戻ることになる。
 はっきり言って面白い。アニメや映画にもなっているようで、当然話題になっていたのだろうと思われる。そのために僕も評判を聞いたのかもしれない。まとめ買いをしても安いもので、漫画そのものもそれなりに売れたのであろう。科白自体はそんなに多くは無く、全9巻でもそれほど時間をかけずに通読できるだろう。よく考えると収束してない時間のパラレルさは気にならないでもないが、その一つの時間軸の話では、ちゃんと物語は成り立っているように見える。これだけの構成を見事に描き切っている事が、何より面白さを下支えてしていると言えるだろう。お勧めです。
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博多の駅の周辺です

2018-03-14 | 散歩
 わけあって博多へ。



 最近は博多でも、バスで行くとです。懇親会もあっとです。



 僕にとっては敷居の高い会であるのですが、やらんばならんので仕方ないです。ちょっとばかりプレッシャーは感じながら。時間まで散策します。



 でもこのような会を、他のブロックでは毎月開催したりしてるそうです。おっとろしかですばい。



 博多弁は使えませんが、何故か文章に方言が出てしまいます。緊張の表れでしょう。





 実はこの時点で、スピーチのことはあんまり考えてませんでした。なんか最初に話さんばならんことは分かっているんですが、なんとなく考える気になれないんですよ。これは上手く説明できないんですが、その臨場感のようなものが本当に目の前にないと、なんだか嘘を話しているような感覚になって、準備したものが廃れていくような感覚があるのです。



 僕のような人がきっと他にもいると思うのですが、いかがでしょう?
 まあ、そんなに逸脱したことも話すはずもないし、行き当たりばったりだという事にすぎませんが。



 それにしても工事が多いし、やっぱり年度末なんでしょうか。
 しかしこのあたりは学生時代に両替に来たりもしたんですが、やっぱりかなり変わったようにも思いますね。福岡は他の九州の都市とはかなり違った活気があるのは事実です。増幅している感じがするのです。



 僕の地元はかなり厳しいですし、長崎市も厳しいものです。何か活気は過去のものというか、対比してそんなことも考えさせられるものです。



 でも基本的に僕はネットでくらいしか買い物しないし、せっかくの活気を享受する若さも無いな、と思います。ほとんど個人レベルでは関係が無くなっているのかもしれません。



 という事でこの日は泊まりもあるのでチェックインして、会議の会場に入りました。



 議事はスムースに進んで、次の会も厳しい意見もいただくも、まずまず九州は一つ、という事でまとまりました。特に先輩方、ありがとうございました。
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冷酷非道が正義の側だったら   ボーダーライン

2018-03-13 | 映画

ボーダーライン/ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督

 メキシコの極悪麻薬組織殲滅のために現地に送られた女性捜査官だったが、現地の状況は想像以上に過酷で、組織撲滅のために動いている人々の方が、さらに極悪であったりして困惑する。彼女が送り込まれた本当の理由も、単にFBI捜査官がいるという状況であればいいという事情の為であって、麻薬捜査の方が明らかに軌道を逸した残酷なものであった。行きかうのは人間の根元的な復讐心であり、その実行のための人殺しである。麻薬の前に人の命は、どんどん軽くなるようなのだった。
 戦争なのかと見まごう銃撃戦があったり、拷問や裏切りやあらゆることが麻薬の金の為になされる世界があるという事だろうか。これまでにも麻薬捜査のすさまじさを映像化した作品はあると思うが、やはりここまで冷酷に人を殺していく作品は少ないのではないか。麻薬組織を壊滅させる目的は確かのあるのかもしれないが、単に相手を恐怖に落としながら殺すというのが、現地の捜査の人間の考えの中にあるようだ。もはやこれが人間的なのかどうかというところまで、救いようのない世界になっている。もちろんそうなってしまった理由もあるようだが、それは科白にもあらわされているが、だからといってこういう捜査が許されるはずはない。女性捜査官は、懸命に自分の良心と闘いながら抵抗しようと試みるが、やはりこの世界の現実の前に、打ち砕かれていくようであった。
 まったくもってハードな内容で、どうにも気分は最悪になってしまう。しかしまあ、こういうのもいい映画と言えるのかもしれないとは思う。いやもう全然お勧めできないのではあるが、それでもこの映画を好きだという人も結構いるのではないか。それはやはり映画として優れているからに他ならない訳で、まったく困ったことなのである。
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農福マルシェばしたとです

2018-03-12 | 掲示板
 あんまり仕事ネタはブログでは上げてなかったですが、今回農福連携マルシェというイベントを開催したとですよ。



 ちょうどランタンフェスティバルが開催されていた時期と重なったこともあり、それなりに集客を期待しておりました。



 働く障害者の関わるものとして、けっこう農業って関連あるんですよ。自主農園をやっているところも多いというのもありますが、地元農家の作物を育てているところもありますし、ちゃんと労働者として雇われている人もいるのです。また、農産品を加工しているところもたくさんあって、何らかの形で気付かないうちに、一般の食卓に我々の関わる商品が届けられていると考えてもらっていいと思います。



 実は個人的には出張と重なってしまって、初日二日と参加することが出来ませんでした。実はその時期は大変な春の嵐にみまわれてしまって、本当に台風並みの暴風雨。せっかく準備したにもかかわらず、危険が伴うためにテントはたたまざるを得なかったらしく、時間も短縮営業になってしまいました。見越していた売り上げの半分以下の大惨敗。非常に苦しい運営になってしまいました。



 しかしながらそれにめげてばかりもいられません。
 出店の皆さん粘り強く頑張って、後半は少し巻き返しました。徐々に客足が戻ってきて、大盛況とまではいかないまでも、まずまずの人に来てもらうことが出来てきたのではないでしょうか。



 まあなんというか、テキ屋さんみたいな商売ですから、客が来ると楽しいのですよ。暇な方が大変なんです。賑わいが出てくると元気も出てきて、時間の進みも早く感じられます。不思議と疲労も動いている時の方が感じないものなのです。



 お仲間の出店する店からカレーうどん頂きました。





 うちの店からは、陶器だけでなく具だくさん鯨汁とおにぎりも出してました。もちろん、これも頂きました。



 それでも結果的にはやはりだいぶ厳しかったのですが、いろいろ勉強することもできたと思います。
 まだ正式決定したという事では無いかもしれませんが、第二第三と企画はうって行こうという事になりそうです。まだまだ頑張りますよ。
 
 また、今回のやり方で、個人的にもいろいろ考えるところはあったです。準備も含めて、期間中は本当に忙しくて、まだやれることはたくさんあったとも感じています。効率も上げる必要があるし、可能性も感じることが出来ました。これはやりようによってはかなり化けるかもしれません。今のところホラのようなことも含んでますが、それは夢があると同じなのです。
 この面白さにもっとみなさんを巻き込んでいきたいです。
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逃げるのは生きるため   ダンケルク

2018-03-11 | 映画

ダンケルク/クリストファー・ノーラン監督

 第二次大戦中にフランスの海岸から英国に撤退する兵士たちの様子を描いた作品。群像劇のようなことになっており、ほぼ全滅した部隊で一人生き残った兵士が撤退する上で船に乗ろうとする物語が主で、英国から民間の船で撤退に参加する親子や、この海岸を狙ってやってくるドイツ空軍を迎撃しようとする英国パイロットの奮闘がそれぞれ描かれている。科白は少なく、特にこの状況の客観的な説明は無い。歴史的には有名な話らしいが、そういう状況にいる者たちの行動を、そのままの臨場感で描いている作品である。観ている人たちも、いきなり戦場に放り出されたような感覚になるような演出なのかもしれない。
 だからこれはほとんど戦場の場面ばかりなのだが、英国空軍のパイロット以外は特にドイツ兵と戦っている風では無く、逃げているだけである。もしくはドイツからの攻撃にひたすら耐えている感じである。特に空からの攻撃に対して、退避する船を待つ兵隊は並んで待っている、又は攻撃から身をかがめることしかできない。生き残るのは運のみという感じだ。やっと船に乗れても、やはり標的にされて何隻も沈没する。乗れなかったから良かった場合もたくさんあるようだ。それでもこの海岸から逃れなければならない。残っていたら、やはり命は無いという事なのだろう。
 個人的にノーラン監督に対して、ある種の期待のようなものが僕にはあるのかもしれない。いわゆる戦闘の臨場感としてたいへんによくできた映画であると思ったのだが、何かこの映画の持っている訴えたいことのようなものは、やはり説明が無いように分からない。人間の運命は残酷であるという事は言えるかもしれないが、逃げている兵隊からそのことが本当に伝わるものなのだろうか。いや、何とか生き延びて欲しいような感情はわかないでは無いが、やはりなんとなく距離があるのである。
 一緒に戦っていたフランス兵に対して、英国兵は冷たいというのはあって、それが非常に残酷であるというのは分かる。何か戦争中にはそのような分断の精神が、死の恐怖が、人間の狭量さを浮き立たせてしまうものがあるのだろう。また、歴史的な事実として、このようなことがあったという事なのかもしれない。
 もっとも映画的には、単純にナチスドイツが悪いんや、的なありきたり映画になっていないところが、ちょっとだけいいとは思う。この距離感で戦争を語るスタイルが普通になってくれると、もう少し反戦への理解が進むのではないかと僕は考えている。
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混ぜ麺食べて余裕なし

2018-03-10 | 散歩
 さて、もう国分寺で飯食ってから移動しましょう。



 なんとなくですけどね、駅の向こう側の方がいいような気が…。







 北口に渡って飯屋を探そう。





 なんでもよかったんですが、何故かまたラーメン屋に。お冷の氷が丸かった。バーか?



 気温が上がってて、汁はいいかなと思って、軽く混ぜ麺頼んだのですが…。



 ウマイには旨かったんですが、とにかく汗びっしょり。ものすごく辛い訳じゃなくて、僕が汗かきなだけだけど、これは男しかいない店でしたでね~。麺が独自でよかったです。





 食い終わってアプリ観て初めて気づいたけど、なんと飛行機の時間までギリギリという感じになってました。乗り遅れる余裕10ッ分と出てる。やばいッス。



 で、余裕15分くらい前に空港ついて、まあ余裕かまして買い物もして、搭乗口着いたら10分遅れ、その後さら20分遅れ、十分余裕あったのでした。





 おにぎりの店なんかもあるんだな。



 富士山もみえて良い感じ。お疲れ様でした。



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時効を迎えた犯人はどうしているのか   22年目の告白-私が殺人犯です―

2018-03-09 | 映画

22年目の告白-私が殺人犯です―/入江悠監督

 以前の法律では殺人事件であっても時効があり、その時効の成立するギリギリまで連続殺人を行っていた犯人がいて、時効成立後しばらくして、手記を発表して華々しく姿を現したのだった。もちろん世間は騒然となる。時効を許した警察は怒りを隠せないし、もちろん被害者家族だってたまったものでは無い。一方で手記は当然のようにベストセラーになり、犯人もテレビなどの露出が多く時の人となって行く。しかしながらこの犯人には何か狙いがあるらしく、自己顕示欲だけでなく表舞台に乗り出してきたようなのだった。
 過去の事件のあらましと、現在の家族の苦悩を含めて、重層的に物語は進行していく。もちろん意外な事実も発見されるし、その後展開がどうなるのかも読みにくい。サスペンス物語として、なかなか手の込んだ緻密なつくりになっているのではなかろうか。
 勝手に自慢をさせてもらうと、実は少しは先走って物語の展開は読んでいた。大筋では当たっていたが、結末は間違っていた。まったく惜しかった。けれどだからこそ面白く観られたというのはあるかもしれない。
 実際のところ三億円事件の犯人のように、結局お蔵入りした社会的な事件というのはいくつもある。そういう犯人は今、一体どうしているのだろうと思うことはある。これだけ捕まらないのだから、すでに死んでいるのだろうという話もある(それは警察の驕りとしてかもしれないが)。そうして自己顕示欲があるというのも良く分からないが、やはり既に時効で罰せられなくなったとしても、多くの人は隠し通して生きて行こうとするのではないか。それはとりもなおさず、社会的な制裁が強いという予想もたつからである。
 ひとの恨みというのは簡単な問題では無い。やはり犯人には正当に罰せられるようにという願いがあるのだろうと思う。その機会が奪われるというだけでも、時効というのは罪深い制度だったのではないだろうか。
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庭園は贅沢ですよ

2018-03-08 | 散歩
 住宅街になっておりまして、でも空き地があちこちに。土が多い(舗装されてない)感じもあって管理が大変じゃないかな、などと思いながら散策してました。実際農家の家も多いようで、トラクターがおいてあったりするし、とにかく通りが昔ながらで狭いです。





 不動橋ってのがありました。地味でいいですね~。





 国分寺駅まで来たんですが、殿ヶ谷戸庭園というのがあって、150円払って入りました。



 ほとんど人はいないかな、と思うと、爺さん婆さんがベンチでだべってました。憩いの場ですね~。








 旧三菱財閥の別荘だったみたいですね。前にもそんな庭園散策しましたよね。お金が集まるところに文化ありってことですか。今は行政が一番金持ってるってことかもしれませんが。







 春の嵐の後の静けさ。目の保養になりました。







 この時はまだ、12時前だったし、自分なりに余裕があったんですが、それは単なる勘違いでした。でもそんなことはみじんも感じないのが僕の僕らしいところですかね。昼飯の問題は続きます。
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最も身近で分かちがたい人間らしい数学   数学する身体

2018-03-07 | 読書

数学する身体/森田真生著(新潮社)

 大学などに属さない数学者による著書。数学の本には違いないが、数学を巡る思索の話という感じである。数式を用いて計算を解くというテキストでは無い。哲学めいたものも多いように感じられ、これが数学かという概念すら剥がしてしまうような本かもしれない。
 人間の指を使った数の数え方や、数字というそのもの、そうしてコンピュータに至るまで、我々人間と数学というものは、いつもその生活の中に複雑に絡みこんでいる。また、宇宙の法則に至るものまで、既に数学というものでなければ成り立たない世界のようなものがある。我々が生きているそのものが、数学という事でなければ理解できないものなのかもしれない。そうして歴史ということも数学でたどることが出来る。時間も空間も、そして架空の次元に至るまで数学というものでなければ理解できないものがあるようだ。本当に理解できる人がほとんどいない世界であっても、数学で解かれる真理のようなものは、数学的には存在しているのかもしれない。そうして数学の世界だけで生きている人々もいるのであろう。
 しかしながら何故身体なのか。これは、人間というもの、又はコンピュータであろうとも、その実態のようなものと、数学というものは、離れがたく同体であるという事なのかもしれない。この本で紹介されているチューリングなどは、数学で人間の心まで読み解こうとしている。そうしてその系譜は、恐らく現在のAIなどの開発にも生かされ、将来的には心の問題は計算によって明らかにされるのかもしれない。
 また後半には日本の数学者である岡潔のことが詳しく書かれている。数学者として偉大なだけでなく、どことなく変わっていて愛嬌のようなものを感じさせられる人物で、岡本人は、数学は情緒であると説いていたようなのだ。数学の苦手な人ほど数学に情緒を感じていない可能性がありそうに思えるのだが、数学は美しい(定理などは、永遠に美しい訳だし)だけでなく、情緒という極めて人間の感情や心に近いものであるという事なのである。西洋的な目的主義的な数学の探求の仕方では無く、いわゆる人間の感情のような気持ちを大切にする心持が、数学の探求には必要だという話は、何か哲学のような不思議な感覚のある話なのだった。
 著者は、数学の講座のような活動を実際にやっているものらしい。数学の素人に向けて数学を用いて世の中を読み解く話をしているようだ。もちろん数学を志す人に向けても、もっと奥深いメニューも用意しているようだ(ネットで検索してください)。
 この本の影響を受けて、なんだか数式を使っている訳では無しに、なんとなく数学のことをしばらく考えている。計算という事でなく定理で無く、しかし数学的なアプローチで、僕らの日々を観ることは出来ないだろうか。もちろんそれは著者が考えているからこそ、伝染してこちらも考えてしまう訳だ。物事を考える上で、斬新でありながら実は最も身近な数学というものを使う。そういうことを、もう少し日常的に僕らは(というか数学者以外の人々は)、習慣づけるべきなのではないだろうか。
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国分寺

2018-03-06 | 散歩
 まあ、名前の通り国分寺。現在のところにやっときました。



 とにかく門が立派、という感じです。わくわく。





 くぐったらあたりまえだけどお寺がありました。







 散策道になってて、お隣あたりに資料館などがあります。人はいないけど、近くのカフェのようなところで100円払って入館するシステム。まあ、いい加減ですけど、不正も行けませんので100円払いに行って首に札下げて散策。役場っぽいけど、まあ、いいです。







 中の人は普通に役場のお仕事か何かしながら管理しておられたようです。ここも地味に瓦など展示が揃ってて良かったですよ。トイレも借りたしね。


 あのあたりから湧水があり水を引いているらしい。



 お鷹の道って散策道になってて、犬の散歩してる人が多かったです。

















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もの凄く当然まっとうな毒舌   考える障害者

2018-03-05 | 読書

考える障害者/ホーキング青山著(新潮新書)

 この本を読む途中で、ネットを見て著者の姿を知った。著者はお笑い芸人で、すでに20年の芸歴があるのだという。いわゆる毒舌で笑わせる芸のようで、下ネタなども平気で語るような感じである。本にも書かれている乙武問題を話しているところを見たのだが、確かにな、というようなことを障害のある立ち位置からスッパリ斬って話している印象を受けた。
 本の内容の方はそのような芸風とは少し違うようで、至って真面目に書き連ねられていると感じる。書かれている内容も論理的だし、いわゆる落ち着きがあってバランスがいい。障害者を取り巻く社会現象的な事件を取り上げて解説や意見を述べているが、今までニュースで漏れ伝わってきたニュアンスとは一線を画すような、しっかりしたものの考え方をしている人だと思った。センセーショナルに物事を煽るようなこともなく、またシニカルに距離を置きすぎている訳でもない。本当にバランスの良い頭の良い人ではないかと思う。こういう問題は僕もかかわっているから時々思うのだが、ひとによっては非常に語りにくい(誤解を受けるというか)綱渡りのようなバランスを必要とされる場合があるのである。そういうことを危なげなく渡りきれる人というのがむしろ少数で、時には落ちそうになったりもしながら、なんとか渡ろうとしている人がほとんどではなかろうか。
 また一般の人に障害者が接する機会というのはそれなりに増えたが、まだまだぎこちないというのが本当のところだ。僕らの力が足りないとも思うが、土台が育っていないというのがあるのだと思う。近頃は小学校などでやたらに不審人物を警戒する取り組みが行われているらしく、普通にコンビニなどで買い物していても通報されたりする。実際には子供が面白半分にやっているらしいのだが、一応警察は通報を受けたのだからという理由で、僕らの方を注意する。まったく割り切れないものだと思う。まあ、慣れがあって繰り返し買い物をすると、こういうことも無くなるのだろうけど。
 本に戻ると、著者のバランスの良い考え方で障害問題を追って考えていくことは、一般の人たちにとっても大変に有用だと思う。自らの障害があるという事であっても、素直にハンディキャップで面倒であるという事を素直に言える人だし、しかし特別扱いや庇護の目で見られることにも抵抗があることがよく分かる事だろう。もちろん障害者の中には著者のような人ばかりでは無いこともあるんだが、おおむね著者のような考えに共感をもっている人の方が大半ではないかと思われる。しかしそう思っていないだろうと考えている人の方が世の中には多いような気もしないでは無いので、理解のためには読まれるべきなのである。
 障害を負うことは不幸なことかもしれない。時にはその苦しみに耐えがたいものをもっている人もいることだろう。しかしながらたとえそうであっても、現実を受け入れて、いつもいつも嘆き悲しんでばかりいる人ばかりでは無い。楽しいことがあったり、愉快でたまらない気分の時もある事だろう。言いたいこともあるし言いたくないこともあるだろう。そういうことは普通のことであって、ある意味で何にも変わるものでは無い。当然と言えば当然すぎることだけれど、いろいろポーズをとったり印象操作をしたり利用したり勘違いしたりする人たちがいる。むしろそういう人達ばかりが様々な意見を強めに発信している。だから困ったことになる訳である。困った状況は少しずつ解きほぐしていくしかない。そういうことをこれからも当然のようにやっていく人が、著者のような人なのだろう。
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市立大四中の体育館の一角

2018-03-04 | 散歩
 中央線に通いだして早8年くらいにはなるんですが、途中駅には立ち寄ってないんですよね。日野、豊田には行ってましたが、まあ、近すぎるしね。
 だから、こういうことが無い限りあんまり来ないだろうからどこにしようか迷ったんですが、立川から近い割には降りたことないということで、国分寺にしたわけです。




 国分寺って全国のあちこちにあるらしいけど,その総本山みたいな感じですよね。跡地ですが尼寺があったらしいです。ここにたどり着くまでの道がまた良かったですよ。散歩してて頭空っぽになったです。カラスの鳴き声がうるさかったですけどね。













 ガードくぐって次に参りましょう。



 ちょうどお爺さんと目が合って(管理人さんだったみたいです。失礼しました)、寄りませんか、とお誘いがあって立ち寄りました。中学校の体育館に展示室があって、ここで出土した土器などを展示してました。僕はこういうのを日本の底力のように感じます。地味だけど凄いですね。説明も丁寧で楽しかった。こういう学校で育った生徒さんはどんな感じなんでしょうね。


 あくまで地味ですけど、お立ち寄りくださいませ。ホントに地元中学の体育館の一角ですよ。国分寺おそるべし。



 まあしかしここは東京という感じではないですね。歴史もあるし静かだし、住みやすそうです。まあ、ホントの田舎と違って時価はものすごいんでしょうけど。二坪くらいで長崎だったら家が建つかもしれませんね(想像)。



 交通の要衝というのは分かりますが、郊外感のあるところです。九州だと佐賀っぽいかな。



 武蔵国分寺跡らしい。





 保育所の子供たちが遊んでたりして、ほんとにのどかでした。


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春の嵐の影響なし

2018-03-03 | 散歩
 泊まってるホテルはけっこう外国人率高いです。それも白人系。長崎とはずいぶん違う感じ。エレベータではたぶんイタリアの人だったと思う。飛び交う言葉があんまり英語じゃない感じ。企業も多いし、専門の人も多いのかもしれませんね。別にアジアでも専門の人はいるんだろうけど、観光客だけじゃないですよ、たぶん。



 懇親会は中華。なんかちょっとだけ高級でした。話している内容が高級かどうかは別にして。いやまあ、下品な話なんかしませんけど…。



 この日は春の嵐とかで、報道はたいへんな騒ぎでした。台風到来という感じと近いかも。僕も心配してたんですが、影響受けなかった方かな。



 で、二次会まではいろいろ話して、コンビニ寄って九時くらいには部屋飲みでした。色々決まって良かったですよ。来年度も仕事があるようで、まあ、大変ですけどね。



 疲れてたのでありがたくて、11時半には寝たと思うんですけど、なんと4時過ぎに目が覚めて、うろうろしながらなんとか二度寝して、でも外は雨がひどいようで、待ちに待って朝飯を迎えました。



 朝飯後に外に出ると、小雨だし、傘を差しても風に飛ばされているほどではない感じに回復している朝でした。テレビは相変わらずひどい低気圧だと騒いでましたけど。







 こうなったらもう、傘さしたくないんですよね。なんでだろう? 持ってきてるのにね。僕の考え方に僕自身もよく分からない感じです。



 少し時間つぶして、どこ行ったと思いますか?



 降りたのは西国分寺。この駅は武蔵野線と交錯してて出口間違えちゃった。



 降りたら閑静な住宅地という感じ。静かでいいですよ。


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なんか通ってる感出てきたんですけどね

2018-03-02 | 散歩
 今回の出張はですね。行く前に色々ありすぎて、既に疲れている感じではあったんですよ。でもまあ、行かない訳にはいかない。まあいつも、ギリギリ感はあるのはあるんで、変わらんと言えば変ら無い訳で…。



 別段僕だけが、日本の中で一番忙しい訳ではない。考えてみるとそんなに能力が高い訳では無くて、僕よりものすごく働いている人に対して、そんな愚痴を言うこと自体がおこがましいことなのかもしれません。それにやっぱり出張で現場を離れること自体は、せっかくだから気分転換になってますしね。





 かっこつけて言わせてもらうと、羽田にもなじんでしまって、もう周りの風景あんまり見てなかったな、と改めて思ったりしました。行くトイレもほとんど同じ。行動パターンというのは、ルーティンになっていくのかもしれません。風呂入る時の動きって、ほとんど無意識で事が進んでいきますよね。ある意味羽田の滞在時間というのは、そんな感じになっているように感じます。







 で、スムーズに中央線乗り継いで、立川に着いちゃいました。



 でも昼飯の問題は、それなりに考えます。





 もう12時の三十分はだいぶ過ぎていて、サラリーマン集団が店から出ていく姿がけっこうみられます。



 ということで、並んでいる店というのはほとんどなくなっている昼下がりでありました。



 ほんとは蕎麦食おうという頭があったんですが、まあ、中華そばでもいいか。
 で、入ったら店主が福岡出身という豚骨の店で、煮干しなんだそうでした。



 スープが麺に絡みつくようなドロドロ感のある濃厚なラーメンでした。何故か女子高生が何人も居ましたけど(まあ、女子高が近くにあるようです)、男っぽいラーメンだなと思いました。



 会議には15分前に到着。僕が一番遅いようでした。それで時間前だけど開会して、だけど途中でラーメン腹一杯食った所為か、お腹がグルグルいい出して、中座したりしたのでした。どうもすいません。

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