22年目の告白-私が殺人犯です―/入江悠監督
以前の法律では殺人事件であっても時効があり、その時効の成立するギリギリまで連続殺人を行っていた犯人がいて、時効成立後しばらくして、手記を発表して華々しく姿を現したのだった。もちろん世間は騒然となる。時効を許した警察は怒りを隠せないし、もちろん被害者家族だってたまったものでは無い。一方で手記は当然のようにベストセラーになり、犯人もテレビなどの露出が多く時の人となって行く。しかしながらこの犯人には何か狙いがあるらしく、自己顕示欲だけでなく表舞台に乗り出してきたようなのだった。
過去の事件のあらましと、現在の家族の苦悩を含めて、重層的に物語は進行していく。もちろん意外な事実も発見されるし、その後展開がどうなるのかも読みにくい。サスペンス物語として、なかなか手の込んだ緻密なつくりになっているのではなかろうか。
勝手に自慢をさせてもらうと、実は少しは先走って物語の展開は読んでいた。大筋では当たっていたが、結末は間違っていた。まったく惜しかった。けれどだからこそ面白く観られたというのはあるかもしれない。
実際のところ三億円事件の犯人のように、結局お蔵入りした社会的な事件というのはいくつもある。そういう犯人は今、一体どうしているのだろうと思うことはある。これだけ捕まらないのだから、すでに死んでいるのだろうという話もある(それは警察の驕りとしてかもしれないが)。そうして自己顕示欲があるというのも良く分からないが、やはり既に時効で罰せられなくなったとしても、多くの人は隠し通して生きて行こうとするのではないか。それはとりもなおさず、社会的な制裁が強いという予想もたつからである。
ひとの恨みというのは簡単な問題では無い。やはり犯人には正当に罰せられるようにという願いがあるのだろうと思う。その機会が奪われるというだけでも、時効というのは罪深い制度だったのではないだろうか。