新月を左に旋回/衿沢世衣子著(秋田書店)
テレビを見ていたらブルボン小林が勧めていたので手にとった。感想、なるほど。
こういう世界観があるのはまず分かる。コノハズク(ふくろう)が人間世界に入り込んで、ちょっと不思議なことが起こる。まあ、ちょっとしたことだから軽く不思議という感じがちょうどいいのかもしれない。ローカルで凄いこと、という感じかもしれない。そういう局所的なことはどこかで起こっているかもしれない、程度の、なんとなくありそうな感じもファンタジーとしていい感じかもしれない。設定は中学生ということだから、それくらいの年齢の、そうして女の子にとっては、あんがいリアルさがある世界観かもしれない。憧れが残っている感じかもしれない。
ギャクの面でサイダーがシュワっとするところを気に入る「このはちゃん」が可愛いわけだが、個人的には映画「寅次郎と殿様」を思い出して笑ってしまった。このはちゃんは「美味」と感心するが、殿様は「甘露じゃ」といってサイダーを飲んだ。ともにこのギャップが面白いわけだが、まあ、いいか。
ところでこの少女性については、近年の少女マンガ(この言葉もなんだかおかしいな)においてはかなり多様化して、かえってつかみどころがなくなっているように感じる。少女の中の大人だとか、大人への脱皮だとか、単純化するとなんだか陳腐な響きを帯びてしまう。そういうものを内包している人間というのは、描いていて大変に文学性がある。そうして文学で描ききれて居ないものを間違いなく少女マンガは的確に捉えることに長けている。この漫画には、自分の持っている少女性的な視点だけでなく、人間界に降りてきたミミズクという異型の大人の視点がメタ視力となって、自然に両方の視点が混ざる仕掛けになっている。そうして言葉が少ないものを、視点視点で多角的な見方で描き出して、不思議な効果を上げている。さらにその効果が、読むものを引き込んで奇妙な共感を味わうことができるのである。
少女性というのはその純粋さゆえに恐ろしさがあるわけだが、そういうところも実に見事だ。特に異型の世界との約束のある人間でなくとも、実際にはその境界に居る時期があるということかもしれない。男の子にはこれが少ないが、女の子にはこれがある。今のところ、これが僕の偏見的な了解ということなのであろう。