休みに引きこもる。深酒して遅くまで飲んだくせに、休日の朝であっても早く目覚めてそのままテレビに向かう。録画している番組がたまっている。順番ではないが、適当に再生する。朝が来て、朝飯食べて、トイレに行って、また再生して、少し眠たくなって、でもまた再生。すっ飛ばしてみるのもあるから10時間程度のものは午前中にやっつける。そうしてもう昼なんだなと思う頃にはかなりお腹いっぱい。ハードディスクの予約録画の時間が十数時間余裕が増えて、そうしてそれだけが満足感と言えばそうかもしれない。
基本はドキュメンタリー。世界にはドラマに満ちている。脚本のあるものを追っている時間はもったいない。もちろんドラマチックとは限らないかもしれない。しかし現実の前に、そのような脚色はかえって不要なのだ。
京都の祇園の芸術を見て、韓国の高齢化問題を考える。ハワイの風景を見て、日本の高山の自然を楽しむ。歌を聞いて、実験を見て、公園のミミズクの生態を観察する。自然の恵みに感謝し、国際紛争に悩んでしまう。犬や猫のスナップを眺めて、小魚の泳ぎを追う。
そういう時間を経て、つれあいの買い物にお供させてもらう。現実の天気も気分がいい。本当はやることもあるんだけれど、しかしながらとりあえずは忘れたところで一日くらいいいじゃないか。そういう爽快感と逃避行。いや、もう既にそんなことも忘れているかもしれない。ちょっとだけ、無計画だった昼飯の問題くらい考えても良かったかな。でも別に何にも食いたいなんて無いわけだ。目の前に出てくるかもしれない何か。それこそがすべてご馳走。開放感って、そういうものじゃないだろうか。