エボラ出血熱騒動。恐怖という意味では均等に恐怖感は理解できる。誰だって死にたくはない。他所の事であると考えるなら関係もない。そういうスタンス問題というのは、実にまっとうな感覚かもしれない。
しかし、これがアフリカじゃなかったらどうなのかな、とか、考えないではない。最初にヨーロッパならたぶん反応はぜんぜん違っただろう。言いたくはないが、そういうこと。
これが日本でもおんなじことで、誰が被害者なのかな、と思ったりする。
中には平然とアフリカだけで済んでほしい、などとのコメントを公共放送が流したりする。いやこれはどうなの? そういうことは誰も考えないの?
僕はあえてこれは全世界に広がって欲しいとまで思う。そうしないとわからないのではないか。いや、でもそうであっても分からないだろうことも分かる。残念だが、人間の差別意識というものは本当に根深い。
生き残ったものだけでもいいから、世界を再構築して欲しい。そういう経験のなさが、人間をどんどん矮小化させていくのではないか。人間という生き物の醜さを増殖させていくのではないか。
エボラというのは、そういう人間に対する試金石ではないのか。僕には何の信心もないが、ひょっとするとそういうことではないかというのが、現世における疑問かもしれない。