落下の解剖学/ジャスティーヌ・トリエ監督
フランスの雪の残る山荘から、夫が転落死する。妻はベストセラー作家で、事件当時息子は犬と散歩に出ており(死体発見者だが)、家には二人きりだった。夫は頭に深い傷を負っていて、他殺の可能性がぬぐえなかった。もちろん侵入者が居たとも考えにくい。そうなると家にいた作家の妻に、殺人の容疑がかかってくるのだった。状況判断だけだと、誰が殺したのか、もしくは自殺だったのか、という争点になるのだが、妻は完全に潔白を主張している。しかしながら捜査を進める中で、息子の視力が低下する事故を起こしたのは夫であったことと、それらをめぐって夫婦仲は必ずしも良くなかったことが、次々と判明する。中盤からは激しい法廷劇へと展開していくのだが、何しろドイツ出身のベストセラー作家のスキャンダルとして、国民的な関心も高まっていくのだった。
大きな賞も取り、かなり評価の高い作品。ちょっと尺は長い(実際もうちょっと削れただろう)が、なかなかに構想が練られた問題作だと言える。ミステリタッチなので関心が途切れない工夫はしてあるが、観る者に対して、かなり挑戦的であることも確かだ。そういう怪しさも含めて、好きな人はかなり取り込まれてしまうのではなかろうか。気まずい雰囲気をかもしだす演技合戦も含めて、芸術性がそれなりに高い。観ているものは、何度もその展開のブレに驚かされながら、このような裁判が本当に有効なのか考えさせられる。状況だけの憶測が膨らんで、それで本当に殺人かどうかの判断をするべきなのか。僕なんかは前からずっと疑問を持ち続けているが、どの国の裁判であっても、事実を追求するのには不適切であるという証明にしかならないような印象さえ受けた。裁判は科学ではない。ある意味、人間であることの限界が、そこにあるだけのことなのではなかろうか。
まあ、映画としてはそういうことを言いたいわけではないが、親子の愛の在り方も考えさせられることにもなる。僕は結論としてはそう考えてもいるわけだが、もちろんそれは一つの見方であろう。一定の結論めいたものは提示されるが、何か信用できないのである。もっともそれが、この映画が評価されている最大の流れのようなものなのだが……。
ということなのだが、映画好きなら観ておくべきということになる。実際こういう映画を複数の人が観ることで、映画のレベルは一つ階段を上ることにもつながるだろう。ちょっとほめ過ぎているかもしれないが、いわゆる「羅生門」系譜の芸術映画なのではなかろうか。