カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

娘が誘拐されたらどうなるか   母の聖戦

2024-08-22 | 映画

母の聖戦/テオドラ・アナ・ミハイ監督

 デートのために10代の娘が外出する。母親も外出すると、急に車が割り込んできて停められ、娘を誘拐したので身代金と夫の車をよこせ、と言われる。警察が信用できないらしく、届けもせずに、別居している夫と共に身代金をかき集め渡すが、結局娘は戻ってこない。さらに追い金まで払わせられる。そこでやっと警察に相談するが、やはり相手にされない(メキシコらしいが、なんという国だろう)。さらにおそらく誘拐グループが嫌がらせをしてくる(銃撃を受け、車を燃やされる)。たまたま軍が通りがかったところに直訴すると、その軍の偉い人がいい人で相手にされる。それで一緒に犯人グループの一味を捉え、暴力をふるい娘の居場所を聞き出そうとする。しかし、その周辺の犯罪組織のチンピラなどは分かってくるのだが、なかなか娘にはたどり着けない。犯罪組織は誘拐した人間を拷問にかけ、多くの人はそのまま殺しているようだ。母親は考えつく先はすべて嗅ぎまわるようになり、独自に娘の居場所を探し求めていくのだったが……。
 お国事情があるのだろうが、誘拐をビジネスにするチンピラがまちにはびこっていて、それらを助けるグルが、いたるところにネットワークを作っている。夫の知り合いや業者、親戚や知人も、すべて何か隠しているようで信用できない。母親は最初はおろおろしているだけで、何もしないで金だけを支払おうとしていたわけだが、そんなことをしても何もならないことを悟り、独自で動く中、犯罪組織のどうしようもなさを知ることになっていく。
 いったい何なんだ、というお話なのだが、こういう社会なら誘拐して金をとることは無くならないだろう。そうしてその連鎖が続く。最初に娘と母親の会話があるが、娘もろくでもないティーンエイジャーで、なんとなく同情できない。探している最中も、娘自体がグルなんじゃないかと言われ、母としては傷つくが、まさにそんなような社会だ。まともに仕事をして暮らすのがバカらしくなるので、そういう悪の連鎖が終わらなくなるのだろう。犯人グループの一味は捕まえることができるが、開き直って罵倒される始末だ。自分を捕まえるようなことをして、(ろくでもないことをした)お前には罰が下される、という事らしい。娘が誘拐されたのは、その親の罪のようなものだ、というのだろうか。本当に馬鹿げているのである。
 一種の社会性をあらわしている作品かもしれないが、本当にメキシコ社会がこんなだとすると、人が住めるところでは既に無いのではないか。母親は誰も自分たちを助けないと言って暴れるが、実に虚しいだけである。人為的な不幸を、誰もどうすることもできないのであれば、人間社会は終わりであろう。
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