カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

終わらなくなった戦争

2023-01-08 | 時事

 まったく目にしなくなったわけでは無いが、比較的大きなニュースであるにもかかわらず日常的には気にしてない風になってしまったものが、ロシヤとウクライナ戦争かもしれない。「紛争」という表現も聞かれるし「侵攻」も使われている。相変わらずひどい状況に変わりなく、ならず者国家であるプーチン・ロシヤを嫌悪する言動は増えたものの、だからと言って膠着を解くカギは提示されていない。どちらがどう止めるかという理由さえ分からなくなってしまった(それでも、どちらかの勝利しかないと考えている人がいるのだろうか)。どちらも戦闘を止める理由が無く、ともに勝利という言葉しか使わなくなった。どちらがどういう状態になれば勝利なのか。例えばウクライナがロシヤが一方的に併合した地域を奪回した場合、それは領土の再侵攻とロシヤが捉え核を使う理由になるとされ、それは西側でさえ望まない勝利になっているのではあるまいか。
 ウクライナは西側の代理戦争として戦う図式を得ているが、要するに戦費は米国などの民主的な支援国が賄っているということになる。米国などの国家予算にこの戦争のものが含まれている訳で(もちろん日本もだが)、そういう意味では我々も間接的に既に戦火にある。その先にある核の脅威を含め、起こりうる危機の度合いは可能性として高まっているはずである。痛みを伴いながら様々な圧力をかけてロシヤの戦意を削ごうということになっているが、中国やトルコやインドは、今後もロシヤから天然ガス・石油などを輸入し続けるだろう。予想されていた(期待されていた)ロシヤの国家破産というのが無いのであれば、プーチン政権の転覆もなさそうだし、ポスト・プーチン・ロシヤが、さらに強権国家になる恐れさえ出てきた。冷戦時代よりさらに、世界は恐怖と不安定の波の中に漂うことになったのかもしれない。このことで、夢物語だったはずの人類滅亡のシナリオさえ、ふつうに描けるようになった。少なくとも合理的ではないことが行われ続けた結果、数時間で数千万人という命が失われるリアリティが、今そこにあるのである。
 長い冷戦の後にレーガンとゴルバチョフは、核兵器削減にサインするに至った。ある意味で既に大国を維持できなくなるほどソ連は衰退し、米国との経済格差が広がったためだと、ざっくり考えることはできる。今は状況がまったく異なり、経済的にはまだまだにせよ、資源国である上に軍事力の脅威はそのままにいる。しかしウクライナには勝てないロシヤであることもまた事実だ。人々は、戦争は短期間で終わると思うからこそ支持できる。過去にはそれで何年も戦争をしつづけた国が腐るほどある。今考えられることというのは、いつまでも戦争が続いて疲れて懲りてどうにもならなくなるまでくらい膠着しなければ、次が見えないかもしれない可能性かもしれない。考える前からうんざりしてくるが、本当に核が使えない非合理だと分かっている(はずの)プーチンに期待するよりないのかもしれない。
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