カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

芸術的で商売の上手い感覚   バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

2015-11-14 | 映画

バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)/アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督

 以前はバードマンというあたり役を持っていた俳優が、今はなんとなく落ちぶれていて、再起をかける感じで演劇に取り組んでいる。しかしながら共演する俳優の方が脚光を浴びたりして余計にみじめになっていく。追い打ちをかけるように娘との関係も上手くいって無い。どうも精神的にどんどん参ってしまって、現実と夢とが錯綜する世界の中に入っていく感じになっていく。ほとんどファンタジーといっていい映像世界と、それでもリアルな日常のコントラストと、そうしてそれが混沌とまじりあう変な映画。
 話題になっていたらしい長回しの撮影手法もそのリアルさを際立させているし、突然に何の説明もなくファンタジーの世界に入り込む狂気が、なんだか主人公と一緒になって狂気を体験しているような気分にさせる。凝りに凝った映像世界なのに、妙に内にこもったところがあって、これはこの業界人でなければちょっと理解しがたい感じも無いではなかった。
 狂気であるが、単にこれは精神的な破綻の姿かもしれなくて、理解できない人にはちょっとぜんぜんだめかもしれない。僕の場合はちょっとびっくりはしたが、まあ、そんなに苦しいもんかな、という共感は逆に冷めてしまったところはある。ネット上で話題になる展開は面白くなりそうだったけれど、それは結局自分の救いにはならなかった。まあ、そのようなカタルシスを楽しむ映画では無いのだろうけれど、映像が上手すぎてかえって上手くいって無い映画なのではなかろうか。
 しかしながら誰にでも精神的な破綻は経験はあろう。問題はそれが病的なのかどうか、というあいまいな境界で、この映像世界だと、かなり確実にあちらに行ってしまった感が強い。しかしバランスなのかこちらにも戻ってくる。しかしそのリアル世界は、僕らからするとさらに夢の中のような、ちょっと現実離れした演劇世界なのである。夢の中で夢から目覚めるような居心地の悪さがある。素直に病院に行ってくれないかな、というか、そんなにつらいならもうやっていくは不可能だろう、という心配の方が先に立ってしまう。それは日本人的な真面目さゆえかもしれないが、相手も傷つけ自分も破綻していくさまが、痛過ぎてちょっとつらいのだ。
 つまるところ現実の主演俳優のマイケル・キートン自身がこういう演技をやっていることにあちらの人たちはきっと感慨深いものを覚えるのだろう。僕はそういう気分もまったくわからない訳ではないのだけれど、しかし本当は自伝でもなんでもないわけで、やはりあちらの人たちは商売がうまいのかもしれないな、と思うのだった。
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