火山に住んでいるマダラスズという昆虫は、冬になっても鳴いているという話を聞いたことがある。確か北海道の火山ではなかったか。要するに極寒の環境にあっても、火山の熱で一年中暖かいところがあるのだろう。マダラスズにとってはおそらく楽園で、一年中鳴いてハッピーかもしれない。
しかしながら考えてみると、その火山に住める適正な数というものもあろう。暖かい範囲の中で、鳴くというのはおそらく繁殖と関係があり、何とか繁殖に成功しても、増えすぎてすべてが生き残れるのかという問題はどうなるのだろう。もちろん餌問題もある。火山の環境で食べられるものというのも限られているだろう。マダラスズが生きていられるだけの、他の生物の繁殖も必要になるだろう。そういう限られた環境の中で、さらに熾烈な争いが恐らくあるのではないか。
温室育ちという言葉がある。文字通り温室で保護されながら、いわば軟弱に育てられることによる比喩である。しかしながらその温室に育つ権利を持つ人間は限られている。恐らくそれなりに裕福で、さらに愛情を注がれるだけの運を持っているということだ。言葉の中には、その後の外の環境での適応を心配されている部分もあると考えられるが、その環境を維持できるくらいの資金力は、恐らくその後もその子を守り続けられるかもしれない。
特殊な環境で生きられることは、自然の中であれば必ずしも安泰を意味しないかもしれない。それは、特殊に適応する術を持たなければならないかもしれない。その中にあって、さらに過酷な競争があるかもしれない。そうして本当に火山が爆発するなど、限られた期間のみの歴史になるのかもしれない。
それでもそこで生きる生命がいる。それが多様性の面白いところで、あたかもそこに意思があるがごとく、多様性を選択して生きているように見える。温室のような環境に行きながら、実は過酷な状況と隣り合わせでしたたかに生きている。
僕ら人間の側は、それを見て勝手にどうこう考えている。それはそれで面白いことかもしれないが…。