カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

繊細でダイナミック、地球の気候を知る   チェンジング・ブルー

2015-11-23 | 読書

チェンジング・ブルー/大河内直彦著(岩波現代文庫)

 副題は「気候変動の謎に迫る」。気候の変動についての関心は、今はトレンドといっていい地球温暖化問題だろう。実は僕も興味的はそれでこの本を買ったのかもしれない。もちろんそのこともこの本を読んで理解できるだろうとは思うのだが、ちょっとスケールが違う。いや、本当に引き込まれるように読んでしまってなんだが、そもそもそういう興味のスケールとは最初からまったく次元の違う話だったのだ。地球の気候がどのように変化してきたのかということを理解する上では、これ以上の解説書はおそらく日本には他に無いだろうが、しかしながらこれほど壮大な話が気候を知る上ではあるのだということを知ってしまうと、地球温暖化はトピックとしては重大なことには違いないとは思いながらも、なんだか失礼ながら、やはりそれは小さい話だったということに思い知らされる。そうしてそのような知的な興奮は、まったくもって快感なのである。
 まず人間の歴史と地球の歴史という時間のくくりのスケールが違い過ぎる。歴史的に気候がどのように変化してきたかというのはある程度地球に残された痕跡を調べることで分かるらしいのだが、これを分かるための研究それ自体が、大変なスリリングの連続なのだ。海底に積もった堆積物を分析することでも分かるし、北極や南極などの堆積した氷を分析することでも分かるのだが、この分析したり調べたりする方法にも歴史があり、また分かるための方法や分析の原理や、また堆積したものについての状態を理解することなど複雑なものを解釈して、分かるにたどり着く道筋がものすごい苦難の実践の歴史的なのだ。
 我々は地球に住みながら、実際は地球のことはあんまり知っていないということもよく分かる。いや、人類は何とか地球を理解しようとはしていて、そうしてこの本のように真摯に調べてかなり理解してきているとは思われるのだが、それでもやはり地球というのは人間のスケールに比べると、どうしてもものがでかすぎるのかもしれない。そうしてそのでかすぎる存在が、宇宙スケールでは無に等しいほどちっぽけなのだ。要するに人間の視点の持ち方で、まったく違った世界を読み解く作業になってしまっているのである。実際の作業は正確さを大切にし、微量なものを子細に見ている訳だが、その外的な影響まで考慮していくと、まったく実に様々な視点を同時に駆使しなくては、何も語ることは出来ないのである。
 科学的態度というものは文系の人には、時には冷たく感じられるものがあるのかもしれないが、しかしながらそれは科学者が誠実であればあるほど、慎重さが必要になる上に、簡単な、ある意味で乱暴に語ることは、控えなければならなくなってしまう。そうしてその言葉づかいを、単に理解できないだけのことで、文系人はいらついているだけのことなのだ。まったく馬鹿げたことなのだが、そういう人であっても(それは僕もだろうけど)、この本を読んでいくだけで、なるほどこれはこのような分かりやすい語りになるためには膨大な知識が必要だったのだと膝を打つことになるのだ。簡単に分かりたいエゴで政治的に間違った道を歩む人間とは、何と愚かなことなのだろうか。
 まあ、そういうことで僕自身は、地球のプレートテクトニクスというのが本当だったんだな、と改めて感心した。また、地球表面にへばりつくように存在しているらしい海が、やはり気候には重要な存在だったということも、理解できて良かった。どういうことなのかは危険を避けるために改めて言わないが、それはこの本を読む人の楽しみとして取っておくのが礼儀だろう。何しろこの著者の語り口の上手さの方が、感想文より何倍も上である。著者は研究者としてこのような本を書く時間を惜しんでおられるようだが、日本人や、恐らく人類のためにも、このような仕事は意味があると思われた。そのような文才を併せ持つ研究者がいかに貴重なのか、ぜひとも読んで体験してほしい本である。
コメント
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