カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

高所恐怖症症候群の疑い

2014-03-15 | HORROR

 高いところが怖いのは、高所恐怖症として知られている。これは特殊な恐怖症とは思えないのだが、中には平気そうな人もいるようだ。しかしまあ一般的には、高いところで足がすくむようなことは普通だけど、ちょっとした高さでもその恐怖に耐えられないような人を指しているということなんだろう。
 僕は恐怖症と呼べるほどには自信が無いのだけれど、そういう程度問題として高いところは苦手ではある。観光名所の吊り橋などは、一応怖がりながらも渡ることくらいはできる。高い塔に上ったこともあるし、ビルの高いところから風景を眺めることもできる。いちいち足がすくんでいるだけのことで、終われば当たり前だが平気だ。
 でもまあダメだろうな、と思うのはスカイ・ダイビングの類かもしれない。バンジー・ジャンプでもそうだろうけど、飛び降りる行為には大いに抵抗を感じそうな予感がある。絶対大丈夫だといわれても、もちろんそのような処置がとられているだろうと理解できても、自分の時だけは例外的に事故が起こるような気がするに違いない。そして実際にそうなる可能性も否定できない。そうであるなら死の恐怖ということなんだろうけど、死ぬのが怖いから高いのが怖いというような論理的な思考で怖いのではなく、やはり高いから根性が無くなって怖いのだろうと思われる。
 高いところから下を見ると、腿の後ろのあたりがジーンとするような感覚を覚える。それで身動きが制限されてしまうという感じだ。まともに歩けないのだから、自ら落ちそうになってしまうということにもなりそうだ。落ちたくない感情に体が逆らって落ちようとしているようにも思える。まったく自分の体が意地の悪いものだと思う。
 さらに僕は眼鏡をかけているのだが、この眼鏡が滑り落ちてしまうのではないか、という感覚にもなる。靴が急に脱げて体が下にひっくりかえるのではないか、とも思う。ポケットの中のものでさえ、なぜか一度浮き上がって外に出てしまうような気もする。なぜそうなのかはわからないが、下を見るという行為の時に、一瞬でそういう連想が浮かぶのである。もう見続けているだけで人間がダメになってしまいそうだ。
 自分自身が怖いというのは、自分自身でも理解できることなのだが、実は高いところに高いところが平気な人がいるのが怖いという感覚がある。高いところが嫌いな人は、恐る恐る下を眺めているような感じがあって、同情的な気分になる。しかし平気な人というのは、ずかずか(たとえば)金網のところに近づいて行って、身を乗り出さんばかりに下を眺めたりしている。ちっとも共感のできない行為で、いわば信じられない愚行にさえ思える。そういうときに、本当に彼(彼女)が滑ってしまって金網を乗り越えて落ちてしまったり、またはその金網そのものが壊れてしまうような気分がするのである。ああ、やめてくれ~、と思わず目を背けてしまいたくなる。
 このように、ひとえに高所恐怖症というものはくくれないのではないかと疑っている。いわば症候群なだけじゃないか、という話かもしれないが、他人の不幸共感恐怖症というものがあるのではないか。今のところ高所の時にこれが自覚されるのだけど、ひょっとすると他の事でも、別の恐怖症が発症する可能性があるようにも感じる。できるだけ他人の事には関与しない生活を送りたいものである。
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