カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

発言力の弱さを嘆いても…

2014-03-06 | HORROR

 ニュースなどでは日本の国の発言力の話などはよく聞かれることだ。要するに発言力が弱かったり、発言の真意が伝わらないもどかしさのようなことが多いということだ。失言めいたものは大々的に取り上げられるけれど、誤解に基づいた誹謗を受けることばかり繰り返されている印象さえある。なんとなく悲しいやら情けないような心情を、国民の多くが持っているのではかなかろうか。
 残念ながらその原因ということになると、英語力の弱さのようなことをいう人が多いように感じる。確かにそれもあろうけど、日本人だから英語が弱いというのは、単純に生活に必要が無いという証明にしかならない。必要ないものは上手くなりようがない。日本人だから外国語ができないという証明は無い。人間はある一定の年齢を過ぎると、他国語を覚えられなくなるというのは、万国共通のものであることは分かっている。それは人間の脳の機能といっていいものだ。人間の違いはそういうことでしかないと思われる。日本人だから優れているとか劣っているとかいうことは、まずありえないことだろう(それはだから他国の人も同じことだ)。
 近隣の国との違いについては、明確に違うらしいことは別の根拠がある。たとえば、在外の韓国人・朝鮮人の人口は697.5万人なのだという。中国に248万、米国に210万、日本には帰化した人を含め91万人である。一方で在外日本人はおよそ118万人。米国に39万、中国に14万、韓国に3万、という感じらしい。総人口は日本の半分の国なのに、外向きの発言が強い理由は、これが一番大きいと思われる。
 日本人が外に出ないのはいろいろ理由があろうけど、基本的には日本が住み良いということがあろうと思う。そのこと自体はだから不幸とはいえない。そういう幸運の国だからこそ、しかし諸外国への発言力は弱くならざるを得ないということかもしれない。つまり日本の発言力を強くしようと思ったら、日本から日本人が出国しなければならない状況にならなければ、なかなか上がるものではなさそうだということだ。
 とりあえず外務省の予算を上げて、本腰を入れて日本をアピールする政策くらいしか取りよう無い状況かもしれない。しかし外務省が有能らしかったことは、過去も現在もほとんど見られないという悲しい歴史がある。日本の発言力について嘆く心情は理解できるものの、内向きに怒っていることはまったく無益だ。そのことに気づくだけでも、ずいぶん精神衛生上は良くなるのではあるまいか。
コメント
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