わが心の銀河鉄道・宮沢賢治物語/大森一樹監督
題名どおり宮沢賢治の生涯を描いたもの。どの程度まで真実かは知らないけれど、ある程度は史実にのっとっているものだろう。国民的な人気作家である賢治が、このように変人だったというのは、一般的にも知られていることなのだろうか。ある意味で自らの作品を作る人物としてふさわしい人間とも言えるのだけれど、妙に青臭く左翼がかった情熱家というのが見てとれる。
父親は長男を理解できない堅物のように描かれているのだけれど、実際の言動はあんがいまっとうで、一方的に家族を困らせたり困惑させたりするのは賢治の方だったのではないか。それでも賢治は父親に認められたいという欲求もあったようで、ある意味、偉大すぎる父に対して背伸びをしている一生という捉え方も出来るかもしれない。僕はジュニア・ブッシュ大統領を描いた「W」という映画を思い出したが、基本的には同じような感情だったのではあるまいか。
最大の理解者だった妹への愛情や、学生時代の友人との絆も物語の大きな柱になっている。そういう理想主義へ傾倒する心の支えだったものが、しかし一方は死に、一方は決別してしまう。そのあたりの葛藤を経て尚、晩年の開き直りのような境地に達するというくだりが、逆に大きな力となったり、支持者を得たりということの根本になって行ったのかもしれない。実直だけれど行き過ぎて、むしろ詐欺師のように怪しい。そうして作家としてはほとんどは死後に認められることになった訳で、そういうところはゴッホ的である。しかしゴッホはどう考えても不幸な生涯だったように見えるが、賢治の場合は経済的には恵まれており、そうして実際に奔放な人生を謳歌しており、他人に迷惑をかけた分幸福だったのではあるまいか。人生はわがままな方が勝ちである。
結局変人だった賢治が死後これだけ愛されているのも、やはりその残された作品が素晴らしいということに尽きるのではあるまいか。その人となりが見事に表れている生涯までも、ある意味で愛されるということでもあるのだろう。しかしながら、それは結局、本当には理解できないまでも無償の愛をささげた両親や弟や、その仲間たちの尽力あってのことだったようにも思える。天才は理解されないということでは無くて、理解されるのに世間的な時間のかかるものであるという証明かもしれない。
時代に合う人生を選ぶのか、それとも後世に残る人生を歩むのか。もちろんそのような選択を現世で出来る人は限られている訳だが…。