カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

リサーチの大切さを学ぶ

2012-07-03 | 境界線

 先日のセミナーでデフレでも強い商品開発という(このテーマ自体がいろいろ問題が既にあるような気がするが、論旨がずれるので棚上げする)事を説明するために「AKB48」を題材に取り上げていた。言いたいことは既にそこでほぼ分かる気がしたが、しかしそのためにか、聴衆の3分の2はそれ以後興味を失い寝てしまった。問題は聴衆の平均年齢が高すぎたせいもあると思うが、ひとえに題材に興味が持てな過ぎるということが敗因だったと思われる。講義自体は構成もよく出来ていたのだが、材料が悪いとなかなか食いつきは戻りはしない。僕は眠くなくて全部聞いたけれど、オーディエンスがどういうものか、リサーチが失敗した例として記憶に残ることだろう。
 AKBの存在を知らない訳では無かろうが、いくらヒットしたモデルといえども、興味が無いものは仕方が無い。僕自身も飲み屋さんで女の子たちが歌う歌としてしか知らないし、テレビで現れても視線は別のことに移ってしまう。興味が無いというより少しだけ不快なのかもしれない。しかしそうではあっても、AKBが魅力的な人にはゆるぎなく絶大なのだろうことは何となく分かる。ファンというのはそういうものだし、その仲間内ではそういうものを楽しんでも支障はない。要はそれを外に持ち出して欲しくないだけの問題だと思う。それだけ市民権を得た存在であるとか、現象であるという認識を持ちたいのは分からないではないが、さらに言うとそういう気分を分かりあえたくないというのが、一般的にはあるような気がする。そういうものが楽しいという人がいることはそれでいいのであって、やはりそれ以外の人は楽しくもなんともないからである。
 問題はそれで終わりなのだが、講義が終わって司会の方がこの話題に食い付いて、さらに持論を披露していた。フォローをする必要を感じているというよりは、自分も本当にファンであるために、カミングアウトしたついでに持論を言いたくてたまらないという感じだろうか。それでさらに感じたのだが、こういう感じがおじさんやおばさんにはウケない原因なのだと思う。嗜みというか、何となく気恥ずかしく品が無い。少しくらいは見てもいいとは本当は思っているのだけれど、このような熱を持ってしまうことが恐ろしいのだ。
 モノの売れなくなっているように見えるときにAKBに学ぶべきものがあるというのは、分かるものには分かりやすい材料であるのかもしれない。しかし残念ながら、そういう材料で理解したくないという心理が働くのは、そういうもので分かりたくないということに過ぎないのだと思う。そういう態度だから駄目だといわれるとそれまでなのだけど、だからさらにモノを売るセンスは磨かれることはないということで、将来は暗いということなのかもしれない。そういうことの証明だというのであれば、示唆的な出来事だったのであろう。でもそれで、さらにAKBが一人勝ちを続けるのであれば、それはそれで彼等(関係者というか)にとっては、いいことなのではないだろうか。
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