カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

傷跡の残りを追う僕ら

2012-07-02 | 雑記

 仙台空港に降り立ったすぐは、何となく拍子抜けするような感覚があった。傷一つないというか、実にきれいな空港である。滑走路だって何の変哲もなかった。普通に自然に降り立って何の問題があるのか、という佇まい。小さな飛行機だったので、歩いて到着口まで移動したのだが、僕らとともに降り立った人々も、普通の観光然として写真を取りあったりしている。のどかで気持ちのいい風も吹いている。
 レンタカーを借りて移動することにしていた。一行では僕がいちばん若いので運転手係である。受付窓口に行く前に、担当者に被災地を紹介してもらうように言われるが、その時点で何となくモヤモヤしたものを感じている。沖縄などでも感じることだが、僕らのような一行が、観光がてらに被災地や戦地跡を見ることの後ろめたさのような感覚。窓口の人がどの様な境遇の人かは不明だが、被災地の人であることには変わりは無かろう。僕がその役を一人でやりたくないというのはあるのだけれど、僕自身も被災地を見たいという感情があるのもまた確かな事だ。観たいがどのような振る舞いで訊ねるべきなのか。遠慮があって当然だろう。
 結局空港周辺と、有料道路を通って石巻まで足を延ばすことにした。道によっては通れないところもあるので、くれぐれも気をつけるように言われる。ごく自然なセールストークにも反応している自分のナイーブさに、さらに無頓着の僕以外の仲間たちにも軽いいらだちを覚える。運転中もなんとなく物静かに不機嫌そうにしていたかもしれない。
 多少草が伸びているので分かりにくかったが、基礎や建物の土台まで綺麗に無くなっているところが多い。そしてその基礎の部分のあちこちに、花が手向けてある。だだっ広い平原のような風景に、そのような花々が無言の声をあげている。残った建物の一階部分はがらんどうになっている。もちろん人の気配はないし、時折大型のダンプカーが数台連なって走っている。海岸線に生えている松のほとんども枯れているように見える。映像で見覚えある風景だが、やはりずいぶん広いものだ。しばらく車を走らせているが、海岸線から少し離れた場所になると、どんどん新しい住宅が建っている。ここは実際に被害がどうだったのかは分からないのだが、それでいいのかどうか、そんな心配がしたくなるような真新しい住宅群の連なりに、やはり複雑な気分になった。
 しばらく有料道路をひた走り、石巻の漁港あたりまで行くことにする。これも重機が忙しく働いており、ダンプカーの交通も多いようだ。船も停泊しているし、トロ箱のようなものやらコンテナなども積まれている。ある程度は漁獲の作業は普通に行われているようである。防波堤に目をやると、街路灯が順に傾いている。倉庫や建物はきれいに無くなっているか、基礎や骨組だけになっているようなものが残されているという感じだ。もちろん既に綺麗になっている建物も相当にある。やはり工事をしているところが多くて、基礎を幾分高く積み上げて、新たな建物を建てるという準備をしているようであった。そのごく当たり前な感じがまた、どういう訳か引っかかるような不安な感じがする。復興はたくましく喜ばしい事のようでいて、しかし被災地の上にまた新たなモノが立つ不安に、複雑なものを感じるのであろう。
 大きな橋を渡って遠くまで見渡せる場所に来ると、改めて息をのむ風景が広がっている。製紙工場はモクモクと蒸気をあげて動いている様子がある一方、その周りはガレキや車がうず高く積まれている。学校や病院のような建物の窓という窓は黒く口を開けている。そうしてやはりその手前の建物は見事に根こそぎ何もない。時々大きな建造物の破片やタンクや土管の様なものが横たわっている。大きすぎて移動できないものが残っているということなのだろう。同行の者たちは口々に呻くような声をあげている。しかしそれはやはり見たかったものということでもあり、どこか僕は後ろめたい。
 結局帰りに松島を見て行こうということになる。行ってみると随分たくさんの観光客の群れと遭遇する。そのコントラスト。想像以上に俗だけれど、妙な安心感のあるところだった。もちろん近づくと防波堤はあちこち傷んでいる。観光船は多くの人々を運んで島々を巡っている。
 観光が悪いということを言いたい訳ではない。むしろ早く日常的に人の流れが戻ることの方が、本当に望ましい復興の姿であるだろう。しかしながら僕らはどういうものなのだろう。もちろん悪意の団体なのではない。ナイーブ過ぎる僕の方が水を差して中途半端なのも分かっている。そうなのだけれど、やはりなんだかモヤモヤは晴れない。こうした風景を見たかった自分の気持ちは正直だが、そういう思いが素直に出せるという気分になりたくないのである。
 義捐金や復興支援物資を送ったりということは一通りやってはきた。しかしそれで十分だったとはもちろん思えない。何かをしたいという気持ちと、何もやれないというもどかしさも同時に感じてはいた。今回の研修についてもあえて被災地開催というのは、主催者側の前向きな考えを反映してのものだし、僕も出来ればもっと早くにでもそうすべきだという考えを持っている方だ。しかしながらそうであっても、僕らは単に観光をしているだけではないのか。そんなような現実の行動しかしていないではないか。具体的にボランティアをすることだけが偉い訳ではないのだけれど、そうしてやはり現実にやれることはやはり限られているのだけれど、自分の中のもどかしさや歯がゆさのようなものは、現地にいて少しもぬぐうことができないのであった。
 仙台市内は落ち着いてかつ活気のあるものだった。夜には飲み歩き、そして多少深酒も過ぎた。勉強だって、まあ、まじめにやった。それのどこにも何の落ち度なんて微塵もなかろう。しかしながらそういう安全圏の自分の姿が、僕にはなんだか嫌だったのである。
コメント
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