少し前から本を買う場はすっかりアマゾンになってしまっている。出張中に本屋に寄ることがあっても、持ち歩くための一二冊以外は、中身を見て後にネットで注文する。本は重いので、全部買うわけにはいかない。神保町の帰りに、買い物袋か何かを買って本を詰め込み宅急便で送ったりしていた頃が懐かしい。あれはあれでいい時代だったなあと思うものの、後戻りは出来ない。
しかしながらアマゾンのカートも、時々整理しないと本が溜まり過ぎる。放っておくとすぐに数十冊溜まり出してしまう。とても全部を買うわけにもいかないし、クーリングオフの役割もあるような気がするので、少し時間が経つと「今は買わない」にさらに仕分ける。本は考えようによっては生ものだから時間の経過により安くなるものもあり、小説やビジネス本のようなものなら1円になったりするもするので、しばらく寝かせておくのである。もちろん思惑が外れて、逆に数千円に化けていくものもあるわけだが…。
しかしながらその「今は買わない」も、どんどん溜まることになる。今度は数百冊の単位になっていく。そうなってしまうと、もう過去の何故買おうと思ったかという動機さえよく分からなくなっていく。時々クリックして商品の説明や中身検索やカスタマーレビューなどを見る。評判の悪いものがあるとつい買いたくなってしまうが(それだけ読者の心を動かす力があるということだ)、そもそもの動機が思い出せないと、やはり踏ん切りはつかない。そのうち段々飽きてきて、やっぱり放置しようかという気分にもなってしまう。
やはり数が問題で、そういう動機の分かる範囲というのが、僕の場合250冊前後のような気がする。それを超えたあたりから、少しずつ記憶が怪しくなったりするようなのだ。だから250ラインになると自動的に少し整理することにしている。要は単純に、怪しいと思うものを容赦なく切るというだけのことである。
切るというのは削除のことで、ざっとリアル本棚を眺めて最近の自分の傾向をおおむね頭の中に入れておく。すでに積読しているくらいだから、本当に今後買うつもりがあるのか自分に問うということである。そうして心を少し厳しいモードに高めたうえで、リストをバンバン切っていく。調子に乗るとそれなりに気分がいいけれど、中には逡巡し出して停滞することがある。却って食指が動いて単独注文で買ってしまったりして敗北を味わうこともある。でもまあ、このような買い物というのは楽しいのかもしれない。その上リストが減った充実感もある。「今は買わない」というのは要するに仕事を先送りしているようなもので、そういう仕事を済ませてしまったという充実感なのであろう。
その後は連日本が届くので、包や箱を開けて中を覗く楽しい毎日である。結局目次を見るだけで廃棄するような本が無いわけではないが、やはり手にとって中身を見るというのが、本当の本の出会いという訳である。さらに最後まで読むような本は限られているのだけれど、こうやってお付き合いを済ませて赤ペンで埋まった本がまた別の本棚に並べられることになっていく。大袈裟に言うと、たぶんこれからの人生もこの繰り返しなのであろう。