カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

空飛ぶタイヤ

2011-05-06 | 映画
『空飛ぶタイヤ』予告編



空飛ぶタイヤ/麻生学監督

 そういえばそんな事件があったな、というかすかな記憶はある。本棚をみると小説も何故か上巻だけ買ってあるようだ。たぶん関心があったんだろう。そしてどうしてこのドラマも見たかったのかも、もちろん忘れてしまっているわけだが…。
 実はちょっと前に観たのだが、ふと最近思い出した。原因はたぶん土下座である。謝っても謝っても、たぶんニュース上でしか意味の無いいじめの土下座。故意に殺人を犯すような人はやらされもしないのに、社会的な責任の重いものには科せられる社会的な圧力。もちろん何のことなのかを言うのも疲れるのでやめる。罪の償いは土下座で果たすべきだとは到底思えないし、むしろやらせるべきではないとさえ思っているだけだ。そんなことで死んだ者の家族の心が癒される方が、よっぽど不誠実でいやしいだけだ。もちろん本心からそう望んでいたとしても、その心に本人も苦しむことになるのではないか。
 ドラマの方は、そのような重苦しい償いと生きていくことをあきらめない誠実な人間の物語だ。誠実であるからこそ、被害者にはむしろ悲しい行動をとらざるを得ないジレンマが描かれている。
 もちろん悪い奴は悪いという事件はたくさんあるんだろう。罪も人も憎いというのは人間の正常な感情だ。しかしその感情を利用した空気の力があまりにも強いために、ものすごく広範囲に不幸の嵐が舞うことになる。それは現代社会の病理でなくて何というのだ。
 実際の被害よりも大きな影響をもたらすのは、そのような風評の被害だろう。そのことを少しでも立ち止まって考えられる人間がいることが、おそらくその社会を回復させる本当の原動力になるに違いない。そのような人の良心というものを信じたいという淡い期待のために、あえて今このドラマを見て欲しいと思うのであった。
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カツオのぼり

2011-05-06 | 雑記
カツオのぼり、コイと競演

 高知に佐賀という場所があるらしい。大分にも佐賀関ってあるし、何だかややこしいです。ま、住んでいる人に支障が無ければいいのかもしれませんが。
 ノボリについては写真じゃようわからん。
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フローズン・リバー

2011-05-06 | 映画
フローズン・リバー/コートニー・ハント監督

 米国とカナダの国境の保留地というところが舞台になっている。アメリカは移民の国なので、もともと住んでいた人達を押しのけて建国したために、今になって原住民の子孫に遠慮してこのような場所があるものらしい。ところがこの場所が国境として曖昧なために、アメリカへの密入国者の居留地にもなってしまっているらしい。(おそらく)仕事を求めて米国入りしたい人達を手助けする、いわゆる密入国ブローカーの温床になっていて、原住民の一部にとって、それは大きな収入源になっているのだろう。
 とにかく寒いらしく、その国境の境界である川まで凍ってしまう。凍った川は車で渡ることができるようになるために、自動車さえ持っていれば、密入国ビジネスが可能になるわけだ。
 ネイティブ・アメリカン(昔のインディアン)と違って白人がこの仕事をすると、俄然警察の目をすり抜けやすいということがあるものらしい。つまりそれは偏見なのだが、実際の話このような危ない仕事をする白人は少ないのだろう。夫に金を持ち逃げされたトレーラーハウスに住む母親が、子供や生活のために、例え一時のつもりであろうと、この運び屋の仕事に染まっていく。何しろトランクに人を積んで川を渡ればいいだけなのだ。
 ある時パキスタン人夫婦をトランク乗せて川を渡る途中、中東のテロリストであると勝手に勘違いして、預かっている荷物を川の途中(つまり氷の上)に捨ててしまう。約束の場所まで夫婦を運んだら、妻の方が荷物を求めて激しく暴れている。爆弾と勘違いして捨てた荷物は赤ん坊だったのだ。
 奇しくもビンラディン達が起こしたテロは、アメリカの国境の中東の人とも関係の無いところで影響があるわけだ。映画の中の話とはいえ、この程度の認識と風評被害が、アメリカ全土を覆っているのかもしれない。
 物語の流れは、豊かなはずのアメリカであっても、ちょっとしたことで最下級の貧困の世界へ落ち込んでいく悲しい現実を描いている。また、実際にそのようなリアリティが、アメリカという国の問題を見事にえぐり出しているということなのだろう。延々と暗く重たい厳寒の世界を見ていて、本当に気分までも冷たくなっていくような気がしてしまった。
 自由の国アメリカに存在する差別や貧困や家庭問題。どれをとっても重く深刻だ。その上主人公の女性は、ある意味でアメリカ人的な身勝手さと傲慢さを持っている。そうして、自分が犯罪に手を染めざるをえない境遇に立って初めて、自分の傲慢さに気付いていくのかもしれない。共感というのはそのように、簡単に共有できるようなものではないのかもしれない。もちろん僕らも含めて習慣的に無意識に持っている偏見というものは、本当には越えにくい国境のようなものなのではないだろうか。
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