カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ピンポンさん

2011-05-26 | 読書
ピンポンさん/城島充著(講談社)

 日本の戦後復興の象徴のような人らしい。その激しい努力は人間の限界のようにも思え鬼気迫っている。こうまでしなければ世界の頂点には立てないということだろう。そして必ずしもいい性格とも思えないところもまた、この人だけでなく、多くの人を助けることにもつながっていく。人間単なるいい人では何にも成し遂げることなどできないのかもしれない。もちろんそれで駄目だということではなく、強烈な個性があってこそ、日本の逆境を跳ね飛ばすほどの力と精神力を培うのかもしれないということなのである。
 また、この話はこのような強烈な個性である荻原をただ支え続ける卓球屋のおばさんを中心にもしている。猛烈なやり過ぎを、ただただ黙々と支援する。後に関係の悪くなる時期もあるにせよ、やはり元に戻って支え続けることになる。肉親でもなんでもない、卓球という接点だけの出会いだけで、一生が決定づけられていく不思議さ。しかし、特にそれが信念であるともいえず、それでも後悔のある生き方であるとも言えない。これも強烈な戦後史であるのかもしれない。日本が奇跡の復興を果たしえたのは、ひょっとするとこのような努力が一番大きかったのではあるまいか。
 日本が貧しかったからこそ、卓球での復興が大切だったのだろう。誰でもできるが非常に難しい。そしてそれは、激しい訓練によって本当に一流になれるのである。当時の卓球先進国であるヨーロッパの偏見と圧力にも負けない強さが、戦後という厳しい時代に生まれたことは必然だったとさえ思えるほどだ。そしてそれは中国などの後進性のある国々が受け継いでいく。単なる偶然かもしれないけれど、象徴的であることには間違いがない。その上で政治にも負けない強さがあるのである。真の国際人とは何か。もっとも日本人離れした男が日本に生まれたことの意味は、計り知れなく大きかったのではなかろうか。
 あまりに強烈すぎる個性が炸裂するものの、その話がつまらないわけがない。今では考えられない日本の立場や国際情勢も非常に勉強になる。表面的でない生の国際感覚。すべて卓球に懸ける情熱が、人間を突き動かしていく。時にはやり過ぎに嫌悪感さえ覚えるものの、しかし誰が彼を責めることができるというのか。その信念の前に、むしろ本当に大切な人間関係がにじみ出ているのではあるまいか。
 この人がもう少し長生きしたなら、ひょっとすると世界の日本人観というものさえ変わってしまった可能性もある。日本のような和を尊ぶような国からこのような強烈な個性が生まれる。それは考えようによっては、出過ぎた釘でなければならないお国事情のせいかもしれない。だからこそ荻原伊智朗は、逆説的に正当な日本人なのである。悲しくも強烈な個性は、日本人そのものの姿なのである。
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