カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ディフェンドー

2011-05-11 | 映画
ディフェンドー/ピーター・ステッピングス監督

 僕は最近のアメコミ原作の映画化であるかのように思っていたらしい。始まってすぐに何だか様子が違って、そうして面喰ってしまった。もちろんこの誤算は大変に楽しいものだった。いったいどうなるのかという危なっかしさは付きまとうものの、実に爽快で、そして泣けるのだった。文句なしの大傑作。数少ない大当たり映画に出会った喜びは大きかった。お勧めだけど安易に他人に勧めるのがもったいないほどだ。
 もちろん正義のために暴力での解決策を選ぶことには感心できない部分はある。それに誰にでもできることでは当然違う。しかしながら、普通なら個人の力ではどうにもなりそうにない問題を純粋な正義で何とかしようとすることは、根源的に賛同できる人は多い事だろう。そういう意味で設定が生きており、そして救われる人がたくさんいるのではなかろうか。物語が引きずっているくらい影の部分でさえ、その純粋な諦めの悪さで見事に昇華されていくのであった。
 もちろん本当に助けたかったのは、今となっては手遅れであるはずの母親であろう。そうではあっても、実際に助けられる人は他にいるのである。直接的に助けられたことを知らないはずの人であっても、彼の考えや行動に助けられているのかもしれない。そして、それはひょっとする誰にでもできることなのかもしれない。本心からそう念じることだけで、それは可能になるのかもしれない。
 夢物語であってもそう信じさせてくれるものは実は数少ない。それは非現実的な力でありすぎるからだ。例えばスーパーマンは、人間離れしすぎた神の領域のヒーローだ。だから逃避された世界にしかやってこない。ディフェンドーだって夢には違いないのだが、僕はその存在を信じられる気がする。もちろんこんなことをやっていては生活は破綻するだろうけど、拳銃を卑怯だと言い張っていては命がいくつあったって足りないのだけど、ひょっとすると僕にだって助けられることができるかもしれないではないか。
 とりあえずはデフェンドックのエンブレムをつけた車に乗って、夜の街をパトロールしてみようではないか。蜂の瓶詰はちょっとできそうにないけど…。始められることから始めてみる。少なくともそのような気分になる、勇気満載の怪映画である。
コメント
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