カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

休日の分散化を決めてほしいか…

2010-03-05 | culture
 観光庁が検討している休暇の分散化についていろいろと反応が出ているようだ。実現化されるとすると早くても2012年からということらしいから、すでにそう遠い先の話ということでも無くなっているのだろう。
 僕の事業所の話でいうと、もともとそんなに関係のない話ではある。仕事はシフトを組んで行うので休日と個人の休みというのはあんまり関係が無いからだ。その上年中無休。別に特殊な形態とも思えないし、多くのサービス業も似たようなものだろう。だから個人がどのように休むのかということの方が大切なことで、出来るだけ一人一人が長期休暇を取れるよう年間で計画を立てることの方が課題といえば課題だ。休みも給与のうちということは誰も了解していることだと思う。仕事は第一に考えてほしいことは本音としてあるにせよ、個人が仕事で埋没するのは本末転倒である。また、祭日が関係なくなると有給休暇の取得率は上がる。経営者の人は一度そのような現実には目を向けた方がいいんじゃないかと思うほどだが、まあ、それは別の機会にでも。
 僕がほんのちょっと気になったのは、祭日の意味というところかもしれない。お上が決めた休みだからそういうことをいうのかとも思うけど、祭日は休めばいいってものでもなかろう。休日という前に祭日という意味が優先するのは当たり前だろう。国民の祝日というのはやはりその日に意味があってのことだというのは、実にまっとうな感覚だと思う。
 僕は長年地元の祭りにかかわっていたこともあって、この感覚は実に自然なものだと感じている。土日に開催して参加しやすいものにすべきだという、一見真っ当というか、経済優先(そういう思惑で盛り上げるという立場があるのは当然としても)というか、そういう圧力と長年戦って来たこともあって、何度も祭りというものはそういうものではないと抗弁する立場に立たされ続けてきたのだった。今となっては懐かしいが、本当に毎年判で押したように同じことをいう人が現れるのには呆れたものである。誕生日や結婚記念日が毎年変わればおかしいと誰もが思うだろうけど、祭りなんてそんな認識なんだと悲しくなったものだった。
 さてしかし、今は何でも経済効率優先ということであるらしい。経済無視より少しはましかもしれないけれど、さすが共産主義国家のような計画経済を企てる日本のお役所らしい発想だな、と思ったら、もともとは観光業界の要望にこたえてのものだという。お上に要望を立てて救ってもらおうなんていう発想を捨てきれないから駄目なんだという気もしないではないが、確かにゴールデンウイークに祭日が集中するというのは効率が悪いことなのかもしれない。僕の知り合いの波佐見の住人は、その時期にはものすごい渋滞に見舞われ不便極まりないので、家にこもるか脱出せざるを得ないという愚痴をこぼしていた。何事も渋滞するのは非効率だという合理精神を鑑み、流れを良くするという緩和策を考えざるを得ない立場になれば、このような案を立ち上げなければならなくなったというのも分からないではない。なるべく意見のまとまらないバラバラなことの好きな人間である僕の立場からすると、このような火種はなかなか面白い現象を呼ぶかもしれないとは思うのであった。
 まあしかし、やはり個人の認識がこのように国家の政策次第でコロコロ変わるような国民性であるかぎり、どのように変えたとしても似たようなものにしかならないのではないか。観光業界が要望するというのは、いろんな休みの地区に、ぜんぶ参加するような人を取り込もうということもあるのかもしれないが、逆にこの計画に敗れて規模を縮小するところは必ず出てくることだろう。
 日本という国は本当に不思議な国だと遠い目をしてしまうのだけど、やっぱりそれでも自主性が無いから国が悪いとしか思わない人が多いのだろうと悲しくなるしかないのだった。僕の生きている間には、おそらく変わりなく日本人は日本人のままなのかもしれない。
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