カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

バスに乗って行こう

2010-03-01 | 散歩
 訳あって久しぶりに乗合バスに乗った。
 バスに乗らなくなったのは自家用車を持っていることが何より大きいと思う。普段の生活で利用する必要が無い。特に田舎では車なしでの生活は考えられないレベルにあるので、成人したらバスを利用しなくなるのは、いわば当然の帰結と言える。
 という訳で日曜日の日中にバスを利用すると、実にのんびりした感じでなかなか楽しめた。長崎市内の端の方の路線に乗ったので、蛇行する山間の道を大きなバスが縫うように走るだけで感動してしまうのだ。運転手さんって(ドライブテクニックが)凄いなあと思う訳だ。僕はアジアの都市での経験しか知らないが、路上駐車がびっしりの中で走るマカオの小型バスも凄いと思うし、ベトナムの自転車やバイクの群れに突っ込むバスも凄いのだけれど、やはり長崎の山の上を走るバスは、のどかな中でもさりげなく凄いのであった。
 さてしかし、僕以外での利用者を見ると、圧倒的に高齢者ばかりなのである。一人だけ小さい子供を連れたお母さんがいただけで、あとはほぼ少なくとも子育ては済んだという世代の人たちばかりなのである。なるほど、自家用車を自分で運転しない人たちということなのであろう。
 日曜の昼の時間帯ということもあるのだろうけど、座席が全部は埋まらないという程度の利用率である。平日との違いは分からないが、これでもそれなりに利用が多い方なのではないかとも思うのである。僕の住む地方のまちで、5人以上人が乗っているバスを観ることの方が珍しい。
 僕は散歩が好きなので、よっぽど飲んで帰りが遅すぎない限りはタクシーは利用しない。出張に行く都市部は電車で事足りる。リムジンバスを利用する場合もないではないが、それはよっぽど事前に調べてのことである。雨が降っていたり荷物が多すぎたり誰かと一緒だったりしない限り、タクシーなどの乗り物にはむしろ乗りたくないという心理がある。
 バスを利用する機会が少ないさらなる理由は、バスしか通らないところにはいかなくなったということが大きいのだろう。バスはそういう路線のために生き残っているということなのではないか。
 またバスというのは、なんとも言えず敷居が高い感じもするのである。行き先が分かっていても、どこで乗ればいいのか、バス停の時刻表を見てもすぐには分かりづらい。さらに料金がいくらになるのかもよく分からない。東京なんかだと先払いしなくちゃならなくて、さらに乗るのが億劫だ。かと言って後払いでも、どのように料金が上がるのか、なんとなくドキドキしてしまう。小銭の両替をするタイミングだって注目を集めそうで恥ずかしい。十円単位くらいなら無視してもよいけれど、何百円かのところを1000円で支払うのもかえって気障すぎてカッコ悪い。降りるときにボタンを押すのも、なんとなく気恥ずかしい。誰かほかの人が押してくれたらいいのだけれど、自分しか降りないというのはものすごく不安である。そういう準備が必要と考えただけで、やはり急にバスに乗ろうという気分になれるわけが無い。
さらに待ち時間というのがある。たぶんほとんど時刻表通りには運行されているには違いないのだろうけど、待つというのは不安なのだ。また雨が降っていたりなんかすると、さらに心細くなることだろう。
 もちろんだからといって、そのような問題がそう簡単に解決されるとはやはり思わない。今でも十分にバスは努力してきたのだろうし、僕のような人のためにバスがあるのではもともと違うのであろう。たまに乗る分には、それくらいは事前に調べるくらいのことをするべきなんだろう。
 しかしながら今回久しぶりに乗ってみると、たまには乗るのもいいとは感じたのだった。通勤にバスにしたいとも思わないし、またそれは不可能にしろ、日曜にブラブラするには、バスに乗るというのはあんがいウキウキ出来るのではないか。立ち寄った店で少しばかりビールを飲んでもいいだろうし、歩きたくなれば途中下車すればいいのだ。
 まあそれでもまたしばらくは、バスに乗る機会が増えるとは思えない。それくらいの付き合いである方が、僕らにとってはしあわせなことなのかもしれない。
コメント (2)
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