カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

今の時代の人では到達できないかもしれないが

2009-05-22 | 映画
神様がくれた赤ん坊/前田陽一監督

 同棲中で既に倦怠期のような関係の二人の住むアパートに、男が過去に関係のあったらしい女の子供がつれてこられる。女はすでに駆け落ちして居らず、子供の父親らしい5人のリストとともに子を置いていったということらしい。男はその第一の候補者のようだが、父親としての納得はいかず、他の男たちを疑って父親探しの旅に出る。
 最近はあんまり聞かなくなったが、以前にはよく聞かれた話である。今なら受け止められ方がだいぶ違うことだろうとは思うが、なんとかその時代にはこの設定は成り立っていたということだろう。ただ、逃げた女についての情報がほとんど無いので、おいていかれた子供の悲壮感があんまり無い。困ったことには違いないが、父親を捜すうちに逆に養育費をふんだくることが目的化してきたりして、かなりいい加減に楽しんでいる。まあ、それがそれなりに楽しいといえば楽しいコメディである。
 そういえば桃井かおりといえばこんなような女優さんだったなあという懐かしさと、二枚目半の渡瀬恒彦という取り合わせがなかなか良くて、物語としては大変によくできた作品になっている。あんまり昔ではないけど今とはぜんぜん違う昔話として、今でも多くの人の鑑賞にたえるものになっていると思う。
 しかしながら桃井の演じる女の過去のように、子供が大きくなったときにどのような消化のされ方をするのかという問題はそれなりに疑問として残らないではない。親の都合で自分自身には何の選択もできない子供という立場というのは、ある意味でやはり不憫である。しかし子供という現実は、かわいそうだから何とかしたいという感情でどうにかするにはあまりにも重すぎる問題のようにも思える。しかしいくら悩んでもその現実は目の前から消えることはない。子育ての難しさというのは、つまりそういうエンドレスな覚悟を含まなければどうにもならないということだろう。
 ロードムービーの王道である人間の成長物語としても、なかなか良くできた物語になっている。それは結局青年になったとしてもまだまだ人間は大人になりきれていないということでもあろうし、しかしその若さが苦難であっても楽しく乗り切る原動力になっているとも取れるところだ。倫理的に今では描きにくい世界かもしれないけれど、確かに過去の人には未来が輝いていたんだといことが理解できる作品であり、そういう意味でも今の時代にはいい意味で皮肉になっているとも思えるわけで、あえてお勧めとして楽しんでもらいたい。
コメント
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