カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

監査報告をした件

2009-05-20 | 時事

 給食費のことはもう書きたくないという思いがあって控えていたのだが、PTAの役割もあって給食会の監事として監査もやったので、僕の知りえた情報もあるわけでもあるし、ブログなんだから書いてもいいかなと改めて思いなおしたりして、ちょっとだけメモする。
 給食のこと自体を考えると、あまりに馬鹿げた教育現場の意見に対しては、馬鹿にものを言っても理解されないので止める。しかし、どこの社会であっても問題点はあるわけだから、給食に問題があること自体は、ちゃんと認めるということを前提にすると、それは正常な状態である。問題が無いなどという社会の見本は北朝鮮のようなものだからだ。
 給食は実施してもしなくても実はたいしたことじゃない。結論はそれだけだと思う。
 しかし給食についての問題点としてあげられるものには、実に誤解が多いのも確かである。給食の実態について誤解が流布しているために、判断を誤っても仕方がない。給食問題で社会的に不信があるのは、この誤解を大声で取り上げる人たちが多すぎる所為もあると思う。これは保護者の側も学校側も、同じというか、いびつに競争して発信しているせいであろう。これはたぶんいつまでも解決しないので、ここでは今は取り扱わない。勝手にやってくれ、である。
 さて、先週給食会の監査をしてみて思ったのだが、会計についての問題点は、確かにたくさんあった。そしてその多くは監査指摘してもどうにもならない問題なので、個人的に聞きたい人があればお話しする。しかし断っておくが、行政の考え方そのものの問題なので、給食会特有の問題なのではない。行政の会計には(民間の目から見て)、問題が多すぎるのだ。
 さてやっと本論だが、給食費未納というのはどうなっているのか、監査をして何一つ分からなかった。
 給食会というのは、給食の主に食材や燃料に対することを扱う組織で、そのことについての決算であった。結論を言うと、計算方法や決算書を作成する姿勢については先に言ったようにかなり問題があるにせよ、これは行政の体質の問題である。関係書類や通帳などを見ても、その考え方に沿うならば、実に適正に正確であった。そして、各学校から入金されてくる食材費については、まったくの未納は存在しなかった。結論はそういうことだ。
 報道で見られる給食費の未納はどうなっているのかというのは、各学校内で何らかの処理がなされているということである。学校によってはまったく未納がないところもあるし、少し未納が多いかな、という学校は二三校といったところらしい。しかし繰り返すが、食材費については完全に入金されていて、一円たりとも狂いがなく満額給食の食材は毎年これも完全に消費されている(こういう計算方法にはかえって問題があるが、事実は事実だ)。
 それで僕が疑問に思ったのは、給食費未納問題でよく取り上げられている、食材費が足りなくなって、おかずが減らされたり安い食材への変更がなされたりなどの、給食の質を下げざるを得ない問題があるとされることである。給食会の会計を見る以上、実際にはそのようなことはあり得ないし、そのような処置がなされた事実も存在はしない。それなのに、何故そのような処置がなされているという噂が浮上し、実際の問題点として取り上げられることが多いのだろうか。
 ここまで来て、やっぱり言いたくないな、という気分になってきた。未納問題は事実みたいにしろ、最終的な未収金は実はゼロである。間にあるカラクリは、僕には分からない。この間を埋めるのは、各学校なのである。その各学校によっては、まったく問題がないところとあるところがある。僕に言えるところはそこまでかもしれない。
 結論として僕自身が思うのは、最終的に教育現場の教師の中に、給食が教育であると考える人がいる以上、給食は廃止すべきだということだ。実際には中学まで給食を広げて実施すべきという意見の方が大勢であると聞いている。だから僕の意見はおそらく通りはしないし、やはり理解はされないだろう。しかし払わない人の子供であっても現実的に食べさせないことは不可能だと考えているような教師がいる以上、この問題は解決することなどない。単純に言うとそれだけのことだ。払わない人が一番悪いけれど、払う気のない人が払わないというのは、どんな理不尽な理屈であるにせよ、実はまっとうな行動である。それなのにそれを認めないのが現場であるならば、僕らに手の打ちようはない。だから現実にある決算書の未収金は、事実としてゼロとして計上されているのだろう。これが学校という社会であって、それが給食費の未納問題のすべてであろう。税金が入っているのでものをいう権利はあるだろうが、もう僕は勝手にやってくれという気分しか残っていない。結局そうであるから、やはり僕は気が重かったのだなあという、確認のメモである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする